:七月:少し野暮用で実家に帰る

「なぁ、親父。アイスボックスあるか?」
 遠くに、坊ちゃんの声が聞こえる。どうやらお父上に所在を尋ねているようだ。坊ちゃんの声を聞いたお父上は、坊ちゃんと同じように声を張り上げて「ある」といった。坊ちゃんも同じように声を張り上げて「わかった」といった。どうやら、お互い離れた場所にいるようである。ゴウンゴウン、と大きな音も聞こえる。同じように座り続けている仲間たちを見ていると、一筋の光が差した。それは段々と大きくなって、薄暗い倉庫が明るくなった。恐らく、坊ちゃんであろう。倉庫の前を通り過ぎる人たちの口癖からも、もうすぐ夏であることをわかっていた。
「おっ。あった、あった」
 ツカツカと大きな足で倉庫に入ると、坊ちゃんはすぐワタシを見つけた。埃の被った頭を、叩いてくださる。だがその量に、坊ちゃんはゴホンゴホンと咳き込んだ。坊ちゃんは手を叩く。ワタシの体を四方から覗き込んで悩んだあと、倉庫を出た。
「おーい! 誰か、手伝えるヤツいるか!?」
 とても大きな声だ。扉が開いてる分、坊ちゃんの大きな声が耳に響いた。坊ちゃんの声掛けに対して、他の人は「すまん、手が離せないんだ」「今仕込みで忙しい」「ごめんね、ちょっと急ぎの用事があるから」といって離れた。最後に、坊ちゃんのお兄様もきて「あと二、三時間したら手が空くから、そのときに手伝えるかもしれない」と仰られた。坊ちゃんは「そうか」と気落ちした声で応えるものの、すぐに「わかったぜ」と元気に答えた。そうしてまた、倉庫にワタシと仲間たちと、坊ちゃんが残る。坊ちゃんは入り口で「うぅん、うぅん」と唸った。うろうろとその場で歩き回る。砂利を踏む音が七回ほど聞こえたところで、坊ちゃんが思いついた。
「そうだ」
 パッと閃いたような声を出して、薄い金属板を取り出す。それを耳に当てると、お一人で話し始めた。「おう、馬手水か?」人様の名前を呼んでいる。「あぁ、ちょっと野暮用でな」「近くに手の空いているヤツはいるか?」「カチコミじゃねぇよ」「荷物運ぶのを手伝ってほしいんだ」「助かる」そのようなことを呟いてから、薄い金属板を仕舞いこんだ。ルンルンとした足取りで、坊ちゃんはワタシの前に戻る。嬉しそうな坊ちゃんの顔が、真上にきた。
「随分と埃を被っちまったな」
 そのようなことをいって、ポンポンとワタシのお腹を叩く。
「乗せる前に拭いておくか……。いや、その前に借りる方が先か。うん」
 うんうん、とまたお一人で話した。坊ちゃんと同じ人間様がこの場にいないのでほとんど坊ちゃんの一人相撲に終わっている。倉庫を出る坊ちゃんを見送る。キラキラと光る粒を見ていると、坊ちゃんが戻ってきた。今度は、若い衆を何人か連れている。「これを運ぶんで?」「おう」「初代、免許は?」「二輪だけだ!」「ダメじゃないですか」「俺、普通免許持ってますよ」そんなことを話して、若い衆の一人が消えた。坊ちゃんともう一人だけが、扉の前にいる。「それで、なにを運ぶんですか? ブツによっては用意する必要があるんで」「あぁ、あれだ。別に用意するもんでもねぇだろ」そう話しながら、お二人はワタシの前にくる。坊ちゃんの横にいる男の人が「あー」と鳴いた。「デカイですね」「だろ?」坊ちゃんはワタシの大きさに、胸を張る。「これは苦労しそうだから、軽がくるまで待ちましょう」「は? 入り口までは運べるだろ」「マジですか」と男の人が答えると、坊ちゃんはワタシの横に並んだ。坊ちゃんと一緒にいた男の人も、ワタシの横に立つ。そうして掛け声をかけると、一斉にワタシを持ち上げた。
 ここ一年、腰をかけた地面と離れる。涼しい顔をする坊ちゃんとは違い、男の人は苦労している。ヒィヒィと汗を掻き、ズドンとワタシを下ろした。坊ちゃんはゆっくりとワタシを下ろす。「鍛え方が足りねぇな」「初代の鍛え方が、人並外れてるんですよ」そんな坊ちゃんたちの話を聞いていると、一台の軽トラックが近付いていた。排気ガスを噴き出すお尻をコッチに向け、ゆっくりと下がっていく。二つ目のタイヤが見えたとき、真上から声が聞こえた。「初代、どう入れますか」「とりあえず、下ろしやすさも考えねぇとな……。こっちに向かって、下がってくれ」「わかりやした」そう答えて、軽トラックは遠ざかる。一旦遠くに行ったあと、ワタシへお尻の正面を向けた。そのまま、ピーピーと赤く光りながら、下がってくる。臭い。埃をかぶった上に臭い臭いを付けられては堪ったものじゃない! ギュッと目を瞑ったら、プスンと軽トラックが止まった。ナイスタイミングである。坊ちゃんが白い荷台に手をかけたら、パカッと滑り台が現れた。でも、長さは足りない。若い衆の一人が長い板を持ち寄り、長さを補充した。「よし」と坊ちゃんはいった。
「お前が荷台に上がれ。お前は、そうだな。コイツの力になれ。後ろに気を付けろよ」
 そう坊ちゃんが指示を送ると「はい!」と若い衆は力強く答えた。
 ギシギシと木の板が軋む。しかし、ワタシは荷台の滑り台が気になった。なにせ、ワタシの体は重いのだ。嬢ちゃんがワタシの体を動かそうとしたのに、できなかったくらいだ。坊ちゃんはともかく、嬢ちゃんよりも体格の良い彼らでさえ苦労するのなら、ワタシの体は重いに違いない。そう思うと、若い衆の一人が「あっ」と鳴いた。
「初代。これ、キャスター付いてますよ」
「は? あ、本当だ。忘れてたぜ」
「初代ィ!!」
 苦労した男の人が、泣きそうな声で叫んだ。その察しの良い若い衆のおかげで、ワタシの足が解除される。コロコロと、動きやすくなった。坊ちゃんは相変わらずワタシを下から押し上げ、若い衆は横からワタシの体を荷台へと上げる。ガタン、と体が揺れる。どこかに引っ掛かりを覚えた。けれども若い衆と坊ちゃんの力で、完全に荷台の中へ押し込まれた。この慣性で、コロコロと壁にぶつかる。
「うしっ。入ったな!」
「でも、かなり鈍い音がしましたね」
「大丈夫か……? これ、初代のお兄さんから借りたんですよね?」
「おう! ま、大丈夫だろ。多分」
(多分!)
 若い衆の顔にハッキリとそう出ていた。そんな坊ちゃんは、軽トラックにワタシを結び付ける。後ろにロープを回し、張ったロープの下に通す。念入りにシッカリときつく縛ると、ワタシの体は動かなくなった。ガッチリと固定されている。それを終えると、坊ちゃんは軽トラックの助手席に座った。若い衆の一人は運転席に入り、もう一人はバイクに乗った。バイクに乗った男の人が、助手席から顔を出す坊ちゃんに声をかける。
「んじゃぁ、バイトがあるんで。先に失礼します。またなにかあったら駆けつけるんで!」
「おう、助かったぜ!」
 坊ちゃんが潔い声で感謝をいうと、男の人は感極まった。涙でグシャグシャになった目をグイッと拭き「絶対ですよ!」と言い残してから、遠くに去った。エンジンがかかる。生温かい風が、ワタシを切り裂くように打ち付けてきた。景色がグルグルと回る。目が回る。猪武者のように突進する風に耐えていると、景色が止まった。見慣れない場所だ。ブブブブと震える音の隙間に、坊ちゃんたちの話す声が聞こえる。
「そういえば、彼女さんとはどうなんです?」
「あ? ラブラブに決まってんだろ」
「それもそうか、相変わらずなようですね」
「あ? どういうことだ」
「とりあえず、アレを置いて帰ればいいんすよね?」
「……おう」
 小さく坊ちゃんが返すと、ブオンブオンと大きい音が聞こえた。そのまま、また景色が走り出す。回る景色に立ち眩みすること、数回。吹き付ける風に目を瞑って、そのまま眠りこけてしまうこと数回。そんなことを繰り返しながら数時間、荷台に揺られていると、ようやく見知った場所に着いた。
 ワタシの寝床が、坊ちゃんのお父上やお兄様のいる屋敷の倉庫だとすると、ここはワタシの働き口だ。生憎、坊ちゃんのお父上やお兄様のいる屋敷と違い、こぢんまりとしたビルである。ゴウンゴウンと唸る機械の音は四六時中聞こえないし、忙しなく大量の箱を運ぶ人間も見当たらない。ただ、坊ちゃんと嬢ちゃんの仕切る小さな店である。軽トラックが小さな店の前に停まると、店の奥から嬢ちゃんが出てきた。嬢ちゃんは目を丸くしてワタシを見たあと、パタパタと駆け寄った。
「え、ちょっと、これ。えっ、先輩?」
「ハハッ! 夏になったからな。実家から持ってきたぜ」
「えっ、いや、でも。えっ? それなら、いってくださればよかったものを」
「あ? なら、誰が店番するってんだ」
「え? お店が休みのときとか?」
「ばぁか。それだと休めねぇじゃねぇか」
「え?」
 嬢ちゃんは困惑している。オロオロとワタシと軽トラックを代わる代わる見ている。それなのに、坊ちゃんは呑気に若い衆と話をしている。「じゃぁ、上の方頼むぞ」「わかりました」「ちょっと板かなにか持ってくる」そういって、軽トラックから降りる。降りた坊ちゃんを見た嬢ちゃんは、縋りつくように駆け寄って「ちょっと」と声をかけた。
「聞いてませんよ。ちゃんと片付けてないのに。それに麦茶もここにはありません」
「は? 入れなくても大丈夫だろ。あとで奢るからよ」
「ダメです! とりあえず、買いに行かないと……。近くの商店に置いてあるかな? 氷も買わないと」
「あっ、おい!」
 ブツブツと嬢ちゃんは呟く。坊ちゃんの焦る声など聞かず、嬢ちゃんは店の奥に走った。財布を掴んで坊ちゃんの前を通り過ぎる前に一言。
「じゃぁ、少し買い出しに行ってきますので」
「は!?」
 驚く坊ちゃんを余所に、嬢ちゃんは走り去ってしまった。掴みかけた手をそのままにして、坊ちゃんは立ち尽くす。その一部始終を聞いた若い衆は、笑いを堪えられないように「フラれましたね」といった。それに坊ちゃんは「ちげぇよ!」と否定した。しかめっ面だ。ドシンドシンと大股で店に入ったあと、ガタガタと物を退かした。それで板を取り出すと、先と同じように大股でワタシに近付いて、ガンッと荷台の柵に板を立てかけた。
「ほらっ! さっさと下ろすぞ!!」
「初代、まだ解いてないので無理です」
「クッ、貸せ!! ほら取れたぞ!」
「さすがです」
 そう若い衆は坊ちゃんを褒めるけど、坊ちゃんの機嫌は直らない。カッと頭に血が上った状態で、坊ちゃんは器用にロープを巻き取る。そして私を解放すると、ポイッと丸めたロープを荷台に投げた。
「ほら、下ろすぞ」
「荷台の方は、開いてるか。わかりました。じゃ、下ろしますね。せーの」
 若い衆が後ろから力を押すと、ワタシの体が外に向かって流れる。坊ちゃんは斜めに立てかけた板の上に乗り、前からワタシの体を支えた。一歩ずつ、ゆっくりと地面に降りる。ガタンと大きく音を立てて体が地面に立つと、坊ちゃんは扉を開けた。ガラガラと若い衆がワタシの体を押す。見慣れた店内が、視界に広がる。
「えーっと、おっ。初代、この変に空いたスペースに置けばいいですか?」
「あっ! アイツ、仕込みの途中だったな!? 蒟蒻芋全部洗いきれてねぇ……!!」
 坊ちゃんは聞く耳を持たない。若い衆は返事のない坊ちゃんを見て、ワタシを変に開いたスペースへと押しやった。隣の箒がワタシに寄り掛かる。「さっき、あの子が掃除してたよ」と教えてくれた。でも、掃除用具をそのまま店内に置いたままでもいのだろうか? 少し、店の衛生が不安になる。坊ちゃんは店の奥に引っ込んで、ブツブツと芋の分別を行ったあと、店に出てきた。今度は大きな切り株みたいな丸太を持ってきている。
「初代、それはなんです?」
「あ? 夏といえばコンニャクだろ。作り立てのコンニャクを切る様子を眺めるのも乙なもんだぜ? ご近所さんの評判も良いしよ」
「いや、それは多分初代のルックスが良いからで……まぁいいや。それ、彼女さんはどうなんです? 怒ってないんですか?」
「あ? 『コンニャクが残らず売れてよかったですね』だとよ。チッ、冷水で冷やしたコンニャクのプリップリの良さが分からぬ馬鹿め……!」
(それ、初代以外には誰もわからないのでは?)
「俺は語り継ぐぜ! 毎年夏になると、冷水で冷やしたコンニャクを出しては切って出しては切ってで綺麗な一丁に作り上げた親父の背中を! あの背中で語る漢気を語り継がなきゃぁ、漢が廃るってもんよ!!」
「あ、親父さんの背中を語り継ぐためですか! よっ、さすがは初代! 他とは心意気が違う!!」
「ふっ、煽てるんじゃねぇ。俺なんてまだまだよ」
 そう謙遜しているが、坊ちゃんは嬉しそうだ。豚もおだてりゃ木に登る。今の坊ちゃんなら本当にしそうで怖い。若い衆はパチパチと拍手をして坊ちゃんを褒め尽くすと、軽トラックを指差した。
「それで、他に手伝うことはありますかぃ? 今日一日暇なんで」
「あー……。だったら、店番するか? 値段と商品を覚えられれば、になるが」
「なるほど、商品自体は少なそうですね」
「さらに晩飯の時間に近付くと増えるぞ。ついでに値段を一円でも間違えてみろ。すっげぇ恐ろしいことが起きるぞ」
「なるほど、彼女さんにしこたま怒られると」
 若い衆が頷いていると、嬢ちゃんが帰ってきた。腕に麦茶のパックが入った袋と、汗を掻いたペットボトルを抱えている。財布は扉を開けた嬢ちゃんの手に、しっかりと握られていた。
「た、だいま。ちょっと、少し、待っててください」
「すげぇ汗だな。そこで待ってろ」
「お疲れ様です」
「ちょ、待って。それなら、これを」
 と嬢ちゃんが渡す前に、坊ちゃんは店の奥に引っ込んだ。この暑い中走ったんだろう。嬢ちゃんの体にはびっしりと汗が出ていた。手で汗を拭い、麦茶や財布をワタシの顔に置く。両手を自由にすると、持っていたペットボトルを渡した。
「えっと、その、これ。ここまで運んでもらったお礼にと。その、少し濡れちゃいましたが、多分まだ冷たいはずなので、どうぞ」
「へ!? あっ、いや、そのぉ。へへ、それはどうも。ありが」
 若い衆が受け取る前に、ヒョイッと坊ちゃんが上から奪い取る。犯人に気付いた嬢ちゃんは「あーっ!」と声を上げて、気付かない若い衆は呆然としている。マジックショーかと誤解しているようだ。それを気にせず、坊ちゃんは取り返そうとしている嬢ちゃんにちょっかいをかける。ピョンピョンと嬢ちゃんが跳ねても届かない高さに、ペットボトルを上げた。
「ちょっと! なにやってるんです!? それ、その人にお礼にと!」
「あとで奢るっつったろ。とりあえず、その汗だくの顔をどうにかしろ」
「万年筋トレで汗だくになる人にいわれたくない!! あ」
 ファサッと嬢ちゃんの顔にタオルがかかる。それのまま、嬢ちゃんは自分の顔を拭いた。
「どうもです、って、そうじゃなくて! アーッ!!」
 嬢ちゃんがもう一度声を上げる前に、坊ちゃんはペットボトルの蓋を回してしまった。そのまま一気に飲み干す。「ふぅ」と坊ちゃんが一息吐くと、ペットボトルの中は空になっていた。悪びれもなく、坊ちゃんは謝る。
「悪いな。あとで奢るからよ」
「や、なんというか、その、お邪魔虫感ないです?」
 坊ちゃんは黙る。沈黙は金なりともいうが、これほどお金を返したいと思わないことはなかった。若い衆は坊ちゃんの沈黙に察する。
「あ、あー……。じゃ、用が済んだということで、帰ります」
「え!? ちょっと待って! お茶の準備が」
「いい、いい。悪いな、今度なにか奢ってやるからよ」
 慌てる嬢ちゃんを引き留めて、坊ちゃんは手で追い払う。そのチグハグな行動に若い衆は笑ったあと「楽しみにしてます」とだけいって帰った。
 軽トラックが小さくなる。嬢ちゃんは坊ちゃんの力が緩んだのを見て、バッと腕を外した。ギリッと目尻を吊り上げて、坊ちゃんを睨む。
「なにしてるんですか! しかも、あれお兄さんの車でしょ!? 軽トラとナンバーの様子からして、そうでした!」
「別に怒ることでもねぇだろ。ちゃんと兄貴には許可を取ったんだしよ。今、電話で車戻すって伝えるから」
「そういう問題じゃなくて! 往復どれだけかかると思ってるんですか! ちゃんとお礼しないと」
「だ、か、ら、あとでするっつってんだろ!」
「今しなきゃダメでしょ!」
「ダーッ! 細かいヤツだな! 良いっていったら良いんだよ!! 俺とアイツの仲なんだから、一日くらい遅れたって平気なんだよ!」
「一日?」
 怒り心頭の嬢ちゃんは、ピクッと反応する。
「一日、一日……。一日くらいなら、まぁ、平気かな?」
「あぁ、そうだぞ。兄貴か? 今仲間の一人が車を戻しに行ったからよ、頼んだぜ」
 そういって、電話を切る。嬢ちゃんはポンポンと坊ちゃんに頭を撫でられ続ける。やがてその手を退かしたあと、坊ちゃんを見上げていった。
「でも、長い運転で疲れてるんだし、やっぱり飲み物をあげた方が」
 おっと、これは見てはいけない。坊ちゃんは嬢ちゃんの目隠しを取ったあと、外を見た。
「電源見てから仕込みの途中をやるからよ。お前は発注? ってヤツをやってくれ」
「は、はぁ。わかり、ました……」
 ボッと赤くなる顔をタオルで隠して、嬢ちゃんは店の奥へ引っ込む。さて、店の中にはワタシと坊ちゃん、一人と一台だけになってしまった。坊ちゃんはワタシの後ろへ回り込むと、体に内臓したコードを引っ張った。内臓を外へ向かってグルグルと引き出され、コンセントの穴に接続する。ビリビリと電気が通る。坊ちゃんはワタシの前に戻ると、手で埃を取りながらボタンを触った。ピッと体の中が光る。体内に霜が降るのは、まだもう少しかかりそうだ。坊ちゃんはそれを見て、うぅんと唸る。
「やっぱ、最初に掃除した方がいいな。うん、おっ。そうだ」
 またポンッと閃いて、ワタシのコードをコンセントから外す。そうだ、それでいい。万が一ワタシの体に被った埃で火事なんかが起きたら、一大事であるのだから。坊ちゃんが店の奥に引っ込むと、嬢ちゃんの声が聞こえる。「いいところに。アイスでなにか欲しいものとかあります?」「ガリガリくん」「メジャーだなぁ」そんなやり取りを経て、坊ちゃんが戻ってくる。手に、水の入ったバケツと雑巾を持っている。それでワタシの体を綺麗にしてくださった。最後に乾いた布で乾拭きをして、水気を取ってくださる。
「よし、これくらいでいいか? ま、いわれたときになんとかするか。アイツ、細かすぎるところもあるしなぁ」
 また一人でそう呟いて、坊ちゃんは店の奥に戻った。今度はパカッと開く音がする。それからサッサッと物を動かす音が聞こえると、「おっ」と嬉しそうな声が聞こえた。坊ちゃんは大きな声を出す。「おい、アイスがあったぞ! 去年のだ!!」「はぁ、去年の? バッキバキに凍ってるじゃないですか」「あぁ。しかもピッタリ二つある」「二本、ですね。パピコじゃん。よく手が霜焼けになりませんね」「暑いからな。ちゃんと二つに割らないとなぁ」「力ないので、先輩にお任せします」「わかったぜ」そう頷いて、坊ちゃんはアイスを割ったようだ。パキッと小さな音がする。大股で歩く音が聞こえてから、「ほら」と坊ちゃんがいう。ギュルギュルと濁った軽い音のあとに、嬢ちゃんが「ありがとうございます」といった。
 無音。坊ちゃんと嬢ちゃんはアイスを食べたっきり、なにも話さない。ボーッと天井にある模様を見ていると、外から男の子のはしゃぐ声が聞こえた。少し目を上に寄せると、虫かごと虫あみ、ではなくて、小さなゲーム機を持った男の子たちが数人、集まっていた。「この辺にレアモンスターが出るんだってよ!」「嘘だぁ、草しか出ねぇぞ!」「おっ、エスパー系が出た!」わいわいがやがやと騒いでいると、アイスを食べる嬢ちゃんと坊ちゃんが出てくる。
「確か、サイズがこのくらいで、内容量はこのくらいだから……アイスの受注は」
「結構溶けやすいからな、量は多めでいいんじゃねぇの?」
「売れ残るのは嫌」
「あっ、コンニャクの兄ちゃんだ! アイスくれよ!」
「俺もちょうだい! 小遣いねぇから十円に負けろ!」
「ピノある?」
「ねぇよ。しかも今出したばかりだ。来週来い」
「えー!!」
 坊ちゃんがシッシッと手で追い払うと、男の子たちはブーイングをした。ブーブー親指を下に突き下げる男の子たちに、坊ちゃんは「何度いってもダメだ!」と強く断った。それに対し、嬢ちゃんはワタシの体を撫でながら、難しい顔で考える。
「うぅん。今聞いたら、ちょっと依怙贔屓になりそうだし、それだからダメっていわれるし、どうしよう。でも流行りの量と種類が」
「お前ら、アイスだったらなに食べたい?」
「ピノ!」
「ジャンボ!」
「ジャイアントコーン!」
「フルーチェ!」
「それはアイスじゃねぇな、うん。お前ら、ガリガリくんは好きか?」
「好きだけどフルーチェの方が好き!!」
「んだよ、お前らフルーチェの徒党か?」
「なに変なこといってるんですか。君らも、あまりお兄ちゃんの変なことを真に受けないでね?」
「はぁい!」
「仕方ない、急いで業務用スーパーに赴いて。あれを買って」
「え! 買いにいくなら俺らにもちょうだい!!」
「奢って!」
「奢ってよ!!」
「ごめんね、君ら。お姉ちゃんたちも死活問題かかってるから、ダメなの」
「そうだぞ。タダでやるならコンニャクの切れ端しかねぇぞ。食うか?」
「食わねぇよ!」
「喉詰まるし!」
「じゃぁな!」
 そう叫んで、男の子たちは店を走り去った。とてもヤンチャな子どもたちである。今からあのような騒ぎを、また一夏中聞くことになるんだろうなと思ったら、胸がワクワクしてきた。
 ブォンと体内に電気が通る。嬢ちゃんがワタシのプラグをコンセントに差し込んで、スイッチを入れてくれたのだ。
「これで、しばらくすれば冷えますね」
「そうだな。で、買いに行くか?」
「コンニャクは、今日少な目っていうことで売りに出せば……大丈夫かな。えぇ、そうしましょう。で、車ですか?」
「バイク」
「溶けそう」
 そんな話題も、一夏中聞くことができそうだ。


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