:五月:大型連休に大阪へ行く

 五月一日に、新元号が施行となった。それを祝って、国内は大型連休に入った。土日が休みであれば十連休──そうでなければ八連休と、国内初の長さである。その休日の長さに、働くところもあれば休むところもあった。猿投山コンニャク本舗も例外ではない。通常通りの営業をし、猿投山が任された支店も同じように働く心づもりであった──しかし。文月が呟く。
 ──「連休にお客さん、来るのかしら」──。
 ふと零したそれに、猿投山は「来るだろ」「というか、開いてなかったら来たお客さんに申し訳がねぇじゃねぇか」と返す。それに対し文月は「そうですね」と返すものの「他のお客さんは大型連休で、どこかに出払っていそうですよね」と。普段より客は少なくなることを指摘した。猿投山は黙る。反論はできなかった。本舗と違い、こちらは店頭販売もするのだ。作っても売れなければ意味がない。それに『こんにゃく』という看板がある。わざわざ料理をしたくない日に、生のこんにゃくを買いにくるだろうか? いや、あっても調理した惣菜だろう。そしてそれを買いにくる客も、全体を見れば何割ほどか? 様々な憶測が立つ。それぞれの頭の中に独自の考えが浮かんだとき、電話が鳴った。メッセージの着信である。それぞれのスマートフォンを出す。スマートフォンの画面を覗くと、そこにメッセージのポップがあった。
『おい、猿投山。この前いっていたGWの件、どうなった』
 犬牟田である。「猿投山」との名前が出たことに、文月は顔を上げる。猿投山は顔を青ざめていた。「まさか」と文月が声に出す。猿投山はこっそりと、犬牟田や蟇郡に打ち合わせをしていたのであった。手で目を覆い尽くす。「あー」と項垂れるような声を出す。今のメッセージは、グループメッセージだ。勿論、文月だけではなく、蛇崩にも伝わった。ガシガシと頭を掻く。文月の物言いたげな視線は変わらない。諦めたように溜息を吐いたあと、猿投山はいった。
 ──「じゃぁ、休みを入れるか」──。
 その一言に、文月は内心喜ぶ。猿投山の方から譲渡したのだ。静かにガッツポーズをする。そうして、今回の大型連休に、猿投山コンニャク本舗の支店である猿投山コンニャクは、新たに店休日を一つ、入れたのであった。
 五月に入る。土日はいうまでもなく、月曜の祝日も書き入れ時である。『祝日はほぼ起床時間が遅れるから』──との理由で、事前に張り紙をした通りに開店時間を遅らせる。無論、仕込む時間も遅くすることができた。この工夫によって、文月が倒れる可能性を減らした。体力の温存である。だが、繁忙期と変わらない忙しさは続く。なにせ、夕方に入ると昼時よりもコンニャクやその惣菜を買いにくる客が多いのだ。作る手も対応する手も止まらない。結局、文月が販売と猿投山が仕出しに追われることとなった。文月は倒れかける。そんな文月を休ませて、猿投山は一人で店を閉める作業に入る。こうして多忙の連休を乗り切ると、ようやく休日に入った。
 ──五月三日の金曜日。憲法記念日の今日である──。
 文月は新幹線のシートに、深く凭れ掛かった。
「すっごく、ねむい……」
「ちょっと。アタシを前にしていわないでくれる? そもそも、普通前日に体調整えておくもんでしょーが」
「だって……ギリギリまで、働いて……ふぁーあ」
「まったく、製造業も大変だねぇ。まっ、一番大変なのはサービス業だと思うけど。なぁ?」
「あ? なんでそこで俺に振るんだよ」
「当たり前だろう。店の営業方針を決めるのは、結局のところお前になるのだ。お前のその判断一つで、従業員を死なす可能性もあるのだぞ!?」
「は!? いやいや、たかがコンニャク一つ作るくらいで」
「ぬるいわぁ!!」
「グハッ!?」
 蟇郡の怒声とともに、猿投山の頬に拳が入る。猿投山の横に蟇郡が座っているのだ。いうまでもなく、殴られた猿投山は、文月のいる窓際の方に飛んだ。文月はそれを片腕で受け止める。猿投山の全体重を受けた片腕に、痛みを覚えた。窓の景色を見ながら、立てた片腕を擦る。文月が寝惚け眼で欠伸をする一方で、蟇郡は猿投山に説教をしていた。
「『たかがコンニャク』だと……? 貴様ッ! 貴様のコンニャクにかける情熱は、所詮そのようなものだったのか!? コンニャク一つとて侮るな!! 機械にかければ、その中に人間が入って死ぬこともあるのだぞ!?」
「ぐっ、そうだった……。ぬかったぜ、蟇郡……!! 手前ぇの言う通りだ。確かに、コンニャク一つ作るだけで、気を抜いちゃいけねぇ……!! お前の言う通りだな、俺が悪い」
「いや、そこまで謝る必要はない。反省をしていれば、それでいい。俺はそれ以上を望まん」
「フッ、さすが蟇郡……。頑固さは、超一級だな」
「はいはい。製造業同士でしか伝わらない熱いやり取りはもういいから。っつか、周りの乗客に迷惑だろ。少しは声のトーンを落としなよ」
「あっ、す、すみませんでした」
「ご迷惑をおかけしました」
 犬牟田の指摘で周囲の状況に気付いた蟇郡と猿投山は、自分たちへ刺さる視線に謝る。子どもを庇う親、近くの赤いボタンを押そうとしたり駅員を呼ぼうと席を立とうとする者──乗客の対応は様々だ。二人が反省した様子を見たあと、乗客は自分たちの時間に戻る。少しだけ戻った元の時間に、蟇郡と猿投山は、ほんのちょっとだけホッとした。席に座る。蛇崩の不機嫌そうな視線が刺さった。
「ったく。アンタらの馬鹿騒ぎで、いい迷惑よ!」
「すまん」
 猿投山と蟇郡が異口同音に、謝罪の言葉を口にする。けれども、それで納得する蛇崩ではない。窓際でボーッとする文月の足を叩く。
「ほら、アンタもなにかいいなさいよ!!」
「え? あぁ、痛いです」
「すまん!」
 猿投山の全体重を受け止めた腕を揺らすと、猿投山が土下座をする勢いで謝る。その後ろで、蟇郡が冷や汗を垂らしながら「すまん」と謝っていた。文月は大きく欠伸をする。
「まぁ、いいですけどね。要は、静かにしてくだされば……ふあぁぅ」
「そうだ。せっかく安眠妨害されたくないヤツがいるんだ。静かに喋る練習でもしてみたらどうだい」
 犬牟田の提案に、蟇郡と猿投山は顔を合わせる。そして自身の口に手で障子を立て、小声で喋り始めた。
「こ、こうか……?」
「さっ、さっぱりわからん!!」
「そこ、律儀に答える必要はないわよ。要は勝手に熱くならずに話せばいいのよ」
 ねっ、簡単でしょ? と流す蛇崩に蟇郡は頷く。
「なるほど」
「つっても、俺には関係ない話だな。なにを隠そう、俺は心眼通を経て奥義開眼をしたんだ! すでに平常心を保つことなど、造作もないっ!!」
「は? さっき熱くなってた人間がなにをいっているんだ?」
「確かに。耳かっぽじって顔洗ってから、出直してほしいです」
「オイ!? お前までなにいってんだ!?」
「先輩、眠いです……」
「いやいや、それで聞き流せるほど、俺の耳はまだ悪くなっちゃいないからな!?」
「正直に迷惑ってことよ。いい加減気付いたらぁ? 猿くん」
「なんだと……? おい、蛇崩。今の言葉を取り消したら、赤城山で逆さ磔にするのも、考えてやってもいいぞ?」
「あらぁ? 負け犬の猿くんが、なぁにをいってるのかしら」
「なにぃ!?」
「あー! 騒がしい! まったく、いい加減にしてほしいよ!!」
「犬牟田ァ!! 貴様の声も騒がしいぞ!!」
「アンタらの声も騒がしいわよ! ったく、静かになさいよね!!」
「いやいや、それに声を張り上げてる乃音先輩も、大き……ふぁーあ」
 互いに声を張り上げて意見を主張する本能字学園生徒会四天王の面々に、文月は静かにいう。寝惚け眼を擦っても、眠気は取れない。騒ぐ四天王の面々とは反対に、文月は睡魔と戦う。そんな文月に、猿投山は心配になった。
「おい、千芳」
「はい?」
 耳元で聞こえた小さな声に、文月は振り向く。視線だけを、猿投山に向ける。重く瞬きをした中で、猿投山の不安そうな顔が見えた。
「お前、大丈夫か? なんか、具合悪そうだぞ」
「あぁ、はい」
 文月は小さく欠伸をして応える。
「連日働きづめでしたからね、その疲れが……」
「えっ」
 文月の一言に猿投山は固まる。すぐに訂正を求めた。
「お、俺だって手伝っただろうが……」
「それはそうですけど」
 声を震わせる猿投山に、文月は目を擦っていう。
「先輩は疲れ知らずですもん。私、先輩とは体のつくりが違いますから」
「は?」
 猿投山はしかめっ面をする。
「当たり前だろ? 俺は男で、お前は女だぞ?」
「そうじゃなくて」
 眠気に負けそうな文月は、間延びした声を出す。
「体の鍛え方とか、そういうのが、です」
「あぁ、なるほど」
 と猿投山は納得した。目を擦る文月を見る。ふと、気になったことを聞いた。
「そういえば」
「ん」
「お前、そんなに眠そうなら寝ないのかよ……」
「寝れると思います?」
 文月の指摘に、猿投山は周りを見る。今や目の前では、蛇と犬と蟇が互いに睨みを利かせたり、静かな火花を散らせて論争を行っていた。知的な言い争いに、猿投山は視線を逸らす。窓の外を流れる風景を見たあと、文月を見た。
「大丈夫なんじゃね?」
「全然、大丈夫じゃない」
 不思議そうに尋ねる猿投山に、文月は否定形で返した。
「そもそも、この中で唯一常識なのが私なんですよ? どうして寝てないと」
「はぁ!?」
「君、本気でいっているのかい!?」
「そもそもお前も非常識の塊だろうが!!」
「はっ!? な、なんでいきなり怒声!? そしてどうして私に向かってそういうことをいうんです!?」
「そりゃぁ、お前の自覚が足りないからだろ……」
「先輩まで! もう、どうしてそういうんですか!! もう、ここに正座してください、正座! 先輩たちのどこが非常識か、私がピックアップして教えますから」
「はぁ? 後輩のくせに生意気ねぇ。いいわ。だったら、こっちだって教えてやろうじゃないの!!」
「今ばかりは同感だね。そもそも、『自覚がない』だなんて言葉、そっくりそのまま君にお返しできるんだけど? その点も自覚しているのかい?」
「それ以前に、お前のいう『常識』は偏りがあるのだ。こう、万遍なく『常識』と指し示すからには、もっと、こう」
「頭でっかち四角四面の方にはいわれたくないですね!」
「なんだと!? 誰が頭でっかちで四角四面であるか!!」
「アンタでしょ」
「君だね」
「満場一致で蟇郡だな。頭の形も四角だしよ」
「お、ま、え、らぁあ!!」
 ボンッと一気に蟇郡の体が大きくなった。
 新幹線が揺れる──。一気に車内の温度が高まり、乗客の体感温度が高まった。その噴火を直に当たった四天王と文月も例外ではない──。
 このようなやり取りや騒動を経て、ようやく新幹線は目的地に着いた。
 次々と乗客たちが降りる中、四天王と文月の面だけは、なぜか疲れたような顔をしていた。
「疲れました、疲れましたよ、本当に……」
「そこ。五七五詠んでんじゃないわよ」
「でも、驚いたね。まさかあんなところでアッパーが来るとは……」
「おい、犬牟田さん。新幹線の中では殴り合いはしなかったはずだぜ?」
「馬鹿か? 君は馬鹿なのか? 喩えだということに気付かないのか、まったく」
「あん?」
「やめんか! せっかくの楽しい大阪観光なのだぞ? 少しは協調性を見せたらどうなのだ」
「お前がいうか?」
「お前がいうな案件だね」
「同じく」
「本当ね」
「貴様らぁ!! あぁいえばこういう! まったく、親の顔が見てみたいものだな!!」
「それ、そっくりそのまま君に返そうか?」
「見なくてもわかります。きっと、頑固親父でしょうから」
「そうね。じゃなきゃ、こんな四角四面に育たないわ、きっと」
「よかったなぁ、蟇郡。いい親御さんの元に生まれてよ……グズッ」
「なっ、なぜ泣くのだ! 猿投山!? まぁ、その、うん、ありがとう……」
「そこで、奇妙な男の友情が生まれた。ここからどういう物語が始まるのかわからない。とりあえず、それを象徴する花を買いに」
「ジョジョの奇妙な冒険ってヤツかい? フィーチャーされたの」
「というか、なにいきなり語ってんのよ。気色悪っ! なんか変なものでも食べたの?」
「変なものなら見ました」
「おい! 俺らのことをいっているのか!?」
「心外だぞ! 猿投山!! じゃなかった、文月!」
「なんで俺と間違えたんだ!? オイ!!」
 オイ! と猿投山は蟇郡の襟首を掴んで揺さぶるが、沈黙を貫かれるだけだ。いったいどういうことなのか? 猿投山の胸に疑惑の雲が覆い被さる。しかし、当の発言をした文月本人は、呑気に駅の観光に勤しんでいた。気になる店があれば、そこに足を運び、犬牟田に首根っこを掴まれて止められる。今や文月の行動を止められるのは、犬牟田と蛇崩しかいない。蛇崩は、落ち込む猿投山と己の騒音さに思い悩む蟇郡に、声をかける。
「ちょっと、猿くんガマくーん。そろそろ行くわよぉ」
「あっ、大阪駅にしかない名物って」
「そんなの後からでも買えるだろ。おい、俺一人に世話をさせる気かい?」
「は!? 犬牟田さんの手を借りるまでもねぇし! おい、行こうぜ!」
「あ、はい。でも、大阪名物のたこ焼き味の煎餅が……」
「ムッ!? たこ焼き味の、煎餅とな……!?」
「ちょっと、ガマくーん。アンタも食いつかないでよ。ったく。こうも個性派が揃ってちゃ、手綱を引く身として疲れるわぁ」
「は?」
「えっ、ちょっといってる意味わかんないです……」
「蛇崩。変なものでも食べたか?」
「おっ。タコ入りコンニャクか……。現地の人間にはウケているのか? ムムッ。これはキョーゴーチョーサとやらの必要性が出てくるな……。よし! 早速食べようじゃねぇの!」
「はぁ? アンタ、バッカじゃないの!? っつか、どうやって食べるつもりよ。ほら、千芳も! すっごく意味わからなさそうな顔をしているじゃないの!!」
「あの、先輩。そもそも、食べるにしても鍋がないし、それならそれを出す店に行けばいいのでは? いや、調べるのが面倒くさいけど」
「って、食べる前提で話してるんかい!」
「やれやれ、蛇崩の毒舌が入ったツッコミも相変わらずだねぇ。まぁ、少し腕が鈍ったように思えるけど?」
「あらぁ? 犬くんのように相変わらず人の揚げ足ばかりを取って不愉快にさせる喋り方よりは、大分マシだと思うけどぉ?」
「は? なんだって?」
「喧嘩はやめんか! まったく。やはり、最終的に俺がしっかりとしていないといけないようだな」
「そうですね、さすが年長者。ま、マコちゃんがいたらそれに崩されると思うけど」
「あー、わかる。蟇郡のヤツ、満艦飾のペースに流されやすいもんな」
「は? 猿投山、わかってないのか?」
「この中で一番わかってないの、猿くんとガマくんでしょ。やっぱり、アホばっかりの男が揃ってるわね」
「そこぉ! コショコショ話してもしっかりと聞こえてるぞ!?」
「わっ、やっぱり地獄耳!」
「地獄耳ねぇ」
「細かい男は嫌われるぞ、蟇郡」
「俺を見習うんだな、蟇郡!」
「なにをだ、なにを。主語をいえ!!」
「多分、先輩の『細かい男は』を受けて『俺のようなどっしりとした男に』といってるんでしょうね、先輩は。多分ですけど」
「そういう千芳も、通訳として打って出る割には『先輩』『先輩』呼びをしているから、どっちかわからないのよねぇ」
「文脈で。大体、いった人の声で判別してくだされば」
「一々覚えてないわよ、そんなの」
「ほら見ろ、蟇郡! 惚れた女はこのようにして覚えてくれるんだぞ!?」
「なにをいってるんだ、君は。一旦脳味噌を取り出して洗ってきてもらった方がいいんじゃないのか?」
「そ、そういう色恋沙汰など知らん! むしろ不得意だ!! そ、それに、そういうのが全女性に当てはまるとは限らんだろ!! そ、その女性の持つ、そ、その……っとにかく! 文月のケースは文月だろ!!」
「逃げたな」
「逃げたわね」
「まぁ、その人らしさを尊重するということは、非常に尊敬しますが」
「それでも俺の千芳が可愛らしいことに変わりはねぇだろうが。ウッ!?」
 突然の裏拳と肘鉄が猿投山の腹に入る。犬牟田と文月だ。突然両側面の脇腹に鈍痛を入れられた猿投山は、腹を押さえて蹲った。犬牟田の顔に青筋が立っている。
「突然の惚気はやめてくれないか?」
「恥ずかしいのでやめてくださいませんか? 恥ずかしいです」
 犬牟田に続いて文月も諫言をいうが、発言の原因はお互い違った。犬牟田は恨み、文月は恥からである。犬牟田の頭の中には「リア充爆発しろ」の七文字があった。
 鋭い舌打ちをする犬牟田の横で、文月はしゃがむ。腹を押さえて蹲る猿投山に視線を合わせて、背中を擦った。
「ほら、早く起き上がらないと、置いていってしまいますよ?」
「ウグッ……。よく、殴った本人の口から出るな……」
「そうでしょうか。いった本人が悪いと思いますよ。いくら口から出たとはいえ」
「いっちまうもんじゃねぇのか?」
 差し出した文月の手を取って、猿投山は立ち上がる。黙る文月を見下ろせば、旋毛が見えた。少し体を屈める。すると、顔を真っ赤にしてジッと足元を見る文月の顔が見えた。猿投山も釣られて顔を赤らめる。
「あ、あー……」
「あの二人、置いていきましょうか」
「賛成だね」
「いや、ちょっと待て。すると宿代はどうするのだ!?」
「広々とした部屋を楽しむわ」
 そういって、蛇崩はその場を後にしようとする。惚気に付き合ってられない犬牟田もまた、その場を離れた。蟇郡は今回組んだ予算のバランスが崩れることを気にしながら、二人の後に続いた。照れる空間で先に気付いたのは、猿投山である。
「あっ、おい! 置いていくな!!」
「は!? えっ!?」
 腕を引っ張る猿投山に釣られて、文月も走る。大股で走る猿投山に合わせて走ることは辛い。ところどころ躓きそうになりながらも追い付くと、ようやく手を離される。猿投山は先に行った蟇郡と犬牟田に喧嘩を売る。その横を文月は通り過ぎ、先頭を歩く蛇崩に並んだ。一息吐く。息を整える文月を見て、蛇崩はいった。
「ねぇ、千芳」
「は、はい?」
「いい諺を教えましょうか」
「は、はぁ?」
 突然ジト目で教授を始めた蛇崩に、文月の理解は追い付かない。それでも、蛇崩は説明を始めた。
「『夫婦喧嘩は犬も食わぬ』『痴話喧嘩は犬も食わぬ』よ。覚えてらっしゃい」
「は、はぁ?」
 文月は意味がわからなかった。けど、蛇崩はそれ以上の説明をしない。それならば、と、取るに足らないことであろう、と文月は理解した。
 駅を出る。大阪の街並みを歩きながら、犬牟田は調べた。
「あぁ、日本円よりも大阪で流通している銭が、まだ猛威を奮ってるね」
「え」
「サービスやポイントが、銭を使った方が高い」
「うわぁ……」
「じゃぁ、両替しなきゃいけないってことですか?」
「いや、その必要はないだろう。生命戦維との戦いが終わった今、宝多財閥も日本円を受け入れつつあるってニュースでやっていたからな……」
「は? そりゃ体面的には、だろ。この情報からすっと、まだ大阪内部の方は浸透していないらしいぜ?」
「でも、使えるらしいけどね」
「但し、サービスやポイントは銭の方が高い」
「まっ、ここでポイントを貯めるだけの話に限るでしょ? 普通に観光する分じゃ、問題ないはずでしょ」
「それはそうだが」
 チラッと犬牟田は周りを見る。釣られて、猿投山も周りを見た。出店の商品を買った外国人観光客は、宝多財閥の発行している紙幣を使っていた。犬牟田は黙る。猿投山も黙る。そして気を取り直した。
「うん。まぁ、使える分に問題がなければ、いいんじゃないかな」
「だな。両替に行くのも面倒くさいし。そもそも国内だしな、ここ」
「治外法権の話をしてます? いや、それより」
「なによ! そのまどろっこしい言い方!! いいたいことがあったらハッキリといいなさいよ!」
「いたっ! 俺の脛を蹴るな、蛇崩!! もしi‐Padが落ちてしまったらどう責任を取るつもりなんだ!?」
「はぁ? 知らないわよ、そんなの! せいぜい自分の不幸でも嘆き悲しんだらぁ?」
「なんだって?」
「はー、また喧嘩ですか。小競り合いの喧嘩はやめましょうよ。領土争いをするんじゃあるまいし」
「そうだぞ。おっ、千芳。ここのたこ焼きは美味そうだぞ」
「マジすか。食べたいです」
「ん? 美味いのか? なら俺も頂こうか」
「あら、梅味もあるじゃないの。ちょっと気になるわね」
「俺は青のりの方を貰おうか。なになに、値段は……っと」
 五百円か、と。犬牟田が呟いたと同時に全員が財布を取り出した。
 たこ焼きを入手する。それぞれ好きなものを頼んでたこ焼きを食べてから、先に決めた観光地へと向かった。
 なお、蟇郡が提案した場所は、デートスポットで有名なところである。それに察した面々は、さり気なく蟇郡へとお節介に似たアドバイスを送る。そうして己が独自に決めたところを、いつもの顔ぶれで無事、楽しんだのであった──。


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