34-2

「…どういうことですか、本物かって」
「…お前、怪しいぞ。本当に議員の秘書なのか?」

突然の若山さんの言葉に思わず眉をひそめてしまった。…どこか不自然なところでもあったって言うの…?

「本物に決まってます。取引は成立しているのにくだらない疑りに付き合っているのは無駄なので、失礼します」

掴まれた腕を振り払って、踵を返してバーのドアに向かっても、そのドアの前には屈強な男が、2人。
隠せない苛立ちを露わにするように足を踏み鳴らして若山さんのほうに逆戻りした私は、「…あなたの部下をどうにかしてください」と腕組みをして彼に詰め寄った。

思い切り彼を睨みつける私を面白そうに見遣る若山さんは、私の首元に手をやって、そっと顎を掴んで自分のほうを向かせると、「面白いことを教えてやろうか」とニヤリと口角を歪ませた。

「…俺たちはこの写真のほかにも、もう一つ掴んでいることがあるんだよ」

そう言って、私の喉をすうっとゆっくり撫でていく。
まるで、思わずゴクリと生唾を飲み込んでしまった私の喉の動きを確かめるように。

「…それはな、議員には他にも愛人がいて、それは他ならぬ自分の秘書だってことだ」
「……」
「議員には今は秘書が一人しかいない。お前がその秘書だとしたら、お前が議員のもう一人の愛人なのか?…だとしたら、わざわざ自分の愛人に他の愛人との写真を取りに行かせるとは思えないんだが?…それも、こんなところに、こんな相手に」

ニッコリと笑顔になった若山さんは、もう、楽になっていいからな、みたいな雰囲気で私の肩にポンと手を置いて口を開く。

「…お前は誰だ?」
「…私は、本物の秘書です」
「誰に頼まれたんだ?」


ふうーっと細く息を吐きだして、こっそり呼吸を整えた私は、肩に置かれた手を取って、若山さんの胸に押し付けて返して、ふっと冷笑が漏れ出るのを抑えもせずに若山さんを見返した。

「…分かりました。その情報は、半分本当です。でも半分は間違っています」
「…どういうことだ」
「私は正真正銘の、彼の秘書です。でも、愛人なんかじゃありません」
「…だったら『半分本当』っていうのは何なんだよ」

未だに怪訝な顔をした若山さんは、このやりとりに心底疲れたような顔をして、煙草にゆっくり火を付け始める。そのまま彼がチラリと横を見やると、すかさずやってきた部下がスッと椅子を引いて差し出して、そこにドッカリ腰を下ろした若山さんは、私にも座るように目線で促した。

一刻も早くここから立ち去りたいのが本音だけれど、とてもそんなことができないこの雰囲気に、私もため息をついて横の椅子に腰かければ、すっかり来た時と同じ状況だ。

すっかり開き直った私はバーのマスターに空のグラスを差し出して、目線でお代わりを要求すると、マスターは笑顔でそれを受け取って、再びそれを半透明のシードルで満たしてくれる。

「たいした女だ…」と小さく笑う若山さんが同じくグラスに残ったカルバドスを一口ぐいっとあおるのを見届けてから、私は若山さんをまっすぐ見て口を開いた。

「……半分本当だというのは、私があの人のことを好きだったことです。半分嘘なのは、あの人にとっては私はただの秘書で、恋愛の対象ではなかったってところです。まあ、私が彼を好きだったのも、ずいぶん昔のことですけど」

肩をすくめて、ほら、分かったでしょ?という風に悪戯っぽく若山さんに目線を遣ると、彼はそんな私をジッとしばらく見つめてから、思案顔で真顔でグラスをテーブルに置く。

「議員に好意を伝えたことはあるのか?」
「…あります。その時にハッキリ断られましたから」
「…なら、議員はお前の自分への好意を知りながら、ここに、こうして、別の女との痴態の写真を取りに来させたというわけか」
「それは…」

……違います……って、言えたら、どんなに気持ちが楽になっただろうか。

でも、現実は若山さんの言う通りなのだ。
私の気持ちが風化していないことなんて、議員はずっと気づいていたはずだ。
簡単には彼への気持ちを消せない私の諦めの悪さも、そんな自分の感情に蓋をして、冷静な笑顔で日常をやり過ごすそのスキルも、私たちの政治活動にとって大きな武器だったのだから。

私をここに派遣したのは、そんな彼への想いを断ち切らせるためなのか、それとも、その気持ちを利用してうまく捨て駒にするつもりだったのか、そんなことは今となっては分からない。
ただ、今ここに思い出すのは、(君にしかお願いできないんだ)という彼のいつになく弱弱しい声のリフレインと、私以外の女との生々しい密会写真だ。

だけどそんなことはどうだっていい。
彼への想いの貫き方は、何通りだってあるのだから。

「…馬鹿な女だ。他の女のために利用されるなんて」
「…私は利用されません。利用するんです」
「…どういうことだ」

その時、ガタンと音を立てて開いたバーの扉から、黒服の男がすうっと入ってきて、若山さんに近づいて耳打ちをするのが見えて、ギクリと胸が強張った。

「………」
「…なるほど」

少しだけ、頬が熱い。
きっと2杯目のアップルシードルが今になって効いてきている証拠だ。甘くて、酸っぱくて、少しだけ苦いそれは、今の私なのだろうか。

しばらく部下と何やら話していた若山さんは、やっぱりいたく面白そうだ。

「ここから少し離れたところに、車が停まっていたそうだ。そこに乗っていたのは誰か分かるか?」
「…さあ」
「議員の妻の秘書だよ。そういえば、あそこは夫婦で国会議員だったな」
「…そうですか」

いたって冷静な私に若山さんは不思議そうに頬杖をつく。

「…その落ち着きは疑問だな。お前は誰にもバレないように不倫写真を回収して処分するのが任務なんじゃないのか?一番バレちゃいけない相手だろう、特に議員の妻には」
「…別に夫婦だからって浮気を許せない人たちばかりじゃないんですよ」

やけになったようにグラスを傾けてぐいっと残りのシードルを飲み干す私に、目を丸くした若山さんは、「…お前、旦那だけじゃなくて女房のほうにも雇われているな」と呟き、やっと真相にたどり着いたようだ。

「…とんだコウモリ野郎だ」
「恐縮です」

…そう。この写真の存在も、それをネタにヤクザにゆすられていることも、奥様に隠していられるわけなんてなかったのだ。いくら、彼のために私がうまく立ち回ったとしても。
政治家としての力量は、もしかしたら彼より奥様のほうが数倍上なのかもしれないのだから。

選挙前のこの時期に、こんな夫の痴態を知った奥様が、必死に写真を手に入れようとするのは当然だろう。
ただし、それは決してそれをもみ消すためではない、というのが政治家夫婦のやっかいなところなのだけど……。

つづく


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