■ 召ませ、憂鬱なお召し替え
朝、幸せだと感じる時。眠りから覚めた主人の妖しく光る黄金を目に写す時。
朝、幸せだと感じない時。主人の美しい脚に恍惚と口づけをしている、ヴァニラ・アイスを目撃した時。
「おはようございますDIO様。これは一体……。」
「おはよう、テレンス。足元のこれはアイスで、その周りにいるのは街の娘たちよ」
「そのようで……」
ああ、忌々しい。黄昏時のように薄暗く、気品のある広い部屋で二人の従僕が同時にそう思った。次に思う言葉は、さっさと失せろ。
「血をお飲みになられたのですね…。ここ数日まともにお食事をなさっていらっしゃらなかったので、安心いたしました。しかし、ヴァニラ・アイス。主人の食事の用意は執事である私の仕事。勝手な真似は控えていただきたい」
「はっ。DIO様のお口に合う食事もまともに用意することが出来ず、お辛い思いをさせるのが貴様の仕事か」
ガンつけOK、殺気OK、スタンドOK。MB5、マジでバトル5秒前。やばいと感じ取ったのは、ゴングを待たずして一触即発な空気に板挟みにされていた主人だった。
「アイス、食事を御苦労。テレンス、今日はアイスが気を利かせてくれたの。悪いわね、ありがとう」
「い、いえ!DIO様。恐縮でございます……!」
もはやさっきまで殺気立てていた、ヴァニラには目もくれず。歓喜を胸に、テレンスは主人の前に跪き、寝台に添えていた華奢な花のような手に唇を落とす。落とした瞬間ヴァニラの顔面凶悪度が増した。
「貴様っ……!」
「ささ、DIO様。お召し替えを。僭越ながら新しいドレスを誂えました。夕闇のバーガンディーはDIO様の真珠の肌と眩い金糸によく馴染むでしょう」
颯爽と上品な細工が施された、メイドインテレンスのドレスを取り出した。もう片手には象牙に銀の花をあしらったヘアブラシ。天鵞絨の小箱にはドレスに合わせてチョイスした、黄金を飾る髪飾りが収められているのであろう。お召し替えフルスタンバイOK。テレンスの戦闘態勢二式である。
「……好きにしなさい」
「ああ、喜んで、DIO様……。アイス、DIO様のお召し替えの邪魔だ。さっさと立ち去りなさい」
歓喜に歪んだ顔から一変。邪悪さとドヤ顔をミックスした表情でヴァニラを一瞥する。
「DIO様!こんな、このような男に………!!」
「アイス、テレンスは私の執事よ…。着替えるから、席を外して」
「……っ!畏まり、ました……」
食いしばった口元から若干血を流しながら、ヴァニラはスタンドとともに空間から姿を消した。くつくつと笑みを浮かべ、ドレスを広げるテレンス。独特の縦線メイクが弧を描いている。
「さぁ、DIO様。お召し替えのお時間です」
うっとり。狂人の、お顔。
深い夜色をした肌触りの良いシルクのネグリジェのボタンが、大きな男の手によって丁寧に取り外される。
普段触り慣れている、コントローラーについている同じくらいの大きさのそれを一つ、また一つ。
「ああ、本当にDIO様の真珠の肌は、いつ見ても美しいの一言しか出てきませんね……」
抑えたこち元から、無意識の言葉とため息がこぼれる。
この白を作ることが出来れば本物に近くだろうか……。今作っている「試作品」はどうにも透明感が欠ける。やはり塗料の調合から見直さなければ。
するすると、なぞるように肩からやわらかな生地が取り払われ、目の前の鏡には、深いバーガンディーのシックでエレガントなドレスをまとい、憂いを帯びた吸血鬼が映る。
(素晴らしい……。この世のどんな生き物より、人形より。DIO様、貴女様が一等美しい……!)
一針一針。すべて手縫いで誂えた甲斐がある。私の手で裁断した生地が、針を通した糸が、編んだレースが、愛しき主人の肢体を包んでいる。ぞくり、体に甘い痺れが走る。ああ、だめだテレンス。まだ、まだだ、我慢しろ。これからが辛いというのに。
「ではDIO様、失礼いたします」
高速で汗を拭き取った手のひらに主人の長く、豊かな髪をひとすくい。華のような芳しい香りが鼻腔をくすぐり、脳髄を刺激する。柔らかく、滑らかで、どんな高級な毛皮も足元に及ぶことのできない、支配されるかのような感触。皮膚いっぱいに、彼女の黄金が広がる。
ああ、なんて、気持ちの良い。一瞬でも気を抜けば、絶頂を引き起こしそうなほどに。
「……テレンス?」
ハッと、鈴の鳴る声で天国へと達しそうになっていた意識を呼び戻す。目の前の鏡台に映る、憂いを帯びた二つの瞳に貫かれる。
「も、申し訳ありません。ブラシを通させていただきます」
熱がこもった手のひらに象牙の冷たい柄が納められる。美しい曲線を描く後頭部から、艶やかに伸びた毛先まで、なんの障害もなく、ブラシは黄金を滑り落ちる。この分では今日の「収穫」もあまり期待できないだろう。
ああ、それにしても、この皮膚を犯す感触と鼻腔をくすぐる香りは猛毒のそれだ、しかも中毒性の。この幸福に侵されてしまえば、もうこの仕事はこの世の誰にも譲ることはできない。譲るものか、誰にも、絶対に。この甘い毒を知っているのは、私だけだ。ふと鏡に目をやると、てもとても、幸せな表情を浮かべた狂人の顔が写っていた。
(やっと終わった……)
1時間も狂ったように笑みを浮かべる男に髪を解かれまくるという苦行から解放されたDIOは鏡台に突っ伏し、大理石の冷たい感触を味わっていた。
(もう明日から自分でするって、言おうか……)
しかし、以前同じセリフを伝えた時、世界が終わるかのような半狂乱になり、帽子か髪か判断が付きにくかった独特の後頭部を激しくかきむしり、嗚咽を吐きながら足元に縋り赦しを乞うた執事が脳裏によぎる。あの事件でテレンスの異常なまでの私へのヘアメイクの執念と、彼の後頭部が自前の髪で結構ロングなのを知った。割と知りたくなかった。
とりあえずあの地獄絵図は二度と見たくないので、明日からも続くであろう苦行に耐える覚悟を半ば無理やり自分に課す。
まだ、今日は始まったばかりだ。絶望したくなる、今日も1日生きなくちゃ。
「がんばろう……」放った言葉はあまりにも、死んでいる。
「図に乗るな、DIO様は寛大なお方なのだ」
敵意と殺意の出血サービス。穴だらけの廊下に血走った目の逞しい大男、ヴァニラ・アイスが立っていた。
握りしめた拳から滴る血は、八つ当たりの矛先は、自分のものか、それとも主人の朝食の余りものか。
「……貴方が何と言おうが、嫉妬にしか聞こえませんね」
血走った瞳は、自分の手元に集中している。今日の貴重な「収穫」に。とても、とても羨ましげに。
「貴方は確かにDIO様の右腕だ。が、しかし。あの黄金を掬うことの出来るのは私の手だ。クク、なぁヴァニラ・アイス…」
__羨ましいだろう?
ガオン。新しい、大きな穴が、足元に、また一つ。
「っ……、DIO様に、ほんの、僅かでも、不埒な真似をしてみろ……!貴様をっ、殺してやる……!!」
《YES,YES,YES ,YES_》
手の中のものを抱え直し、穴をまたいで、肩を上下させ、怒りに震えるヴァニラ・アイスの横を過ぎる。
ああ、分かりやすい。なんて言葉と思考が直結した男だろう。
「わかっていますよ。DIO様にそんな真似をするほど、馬鹿じゃあない……。おっと、もうこんな時間だ」
急がなくては。貴重な「手入れ」と「遊戯」の時間がなくなってしまう。早々に以前に比べ広々とした開放感の佇まいとなった廊下を過ぎ去り、自室の前へとたどり着く。
「はっ。私がDIO様「本人」に不埒な振る舞いなど…。全く、馬鹿馬鹿しい」
暗い室内に、夕闇のバーガンディーをまとった、白い肢体。二つの輝く黄金が外の光を僅かに受け、輝く。
「今日もやはり、これだけしか手に入れられなかったか……」
大事に抱えた手の中には、美しく、僅かにその香りを残す、4本の髪の毛。片手で後ろの扉と鍵を強く締め、細く、柔らかなそれを愛おしそうに頬に擦り付け、口づけする。暗闇の中で男の吐息が生々しく、響く。
「っぁ、…はっ、はぁ、ディ、オ様…!はぁ、っ」
我慢、できない。テレンスは鍵のついた重厚な箱から、一房ほどの、長さのある、手元と同じ金に輝く髪の束を取り出した。丁寧に手にある4本の髪を束に馴染ませ、絹のリボンで括る。そっと、それを黄金の髪だけが欠けた主人の「人型」に添える。ああ、まだ、まだまだ、量が足りない。あと何ど朝を迎えれば、彼女と同じ豊かさになるのか。
ああ、早く、早く、早く、早く!さっさと沈んで登れ、太陽め!
その言葉は、乱暴に口付けた赤く、硬い唇の中に。ドレスに包まれた、細い腰を引き寄せ、強く、激しく、いやらしく。
今日は、まだ、始まったばかりだ。
着せて、脱がして、抱きしめて。
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