竹くく(現代)

ぼや、とした視界の隅で肌色が動き回っていた。ハチの足だ。何でか知らないけど、ハチは家の中だと裸足でいることが多い。畳ならまだ理解できる。夏の暑い時期も。だが、このアパートは全てにおいてフローリングだし、季節も随分と秋めいてきて朝夕は半袖では辛いくらいだ。見慣れている光景だからこそ、一度気になると、つい、その足だけを目で追ってしまう。仰向けの体を横に立てながらハチの足を見つめる。

(冷たくないのだろうか)

そんな疑問を抱えたのも一瞬だけで、すぐに、脳幹を揺らすような眠気との闘いが開始される。とにかく、目を瞑ったら負けだ、と、必死に瞼をこじ開けさせるけれど、焦点がなかなか結ばれない。何か目標、と思えば、やっぱり目に付いたのは、ハチの裸足だった。

「兵助、目、開けたまま、寝るなよ」

いつの間にか、その足が俺の近くまでやって来ていた。ちょっと怖かったぞ、と冗談交じり言ってくるハチの声もまだ、靄掛かっていて「……起きてる」と反応したときには、もうハチは、部屋に置いてある唯一のテーブルに散らばったレポート資料を片付けているところだった。ご飯を食べるのも、レポートをするのも、朝方まで使ってそのままにしてあったのをハチは「こっち、まとめて置いておくぞ」と床に降ろした。

「飯、食うだろ?」

正直、寝起きの体は全くといっていいほど機能が停止したままで、空腹感を感じているのかすら分からなかった。別に食べなくてもこのままベッドに潜り込んだら、そのまま朝を迎えることができるような気がする。

(どうせ豆腐ないしな……)

一応家事は分担制、と一緒に棲むことになった時にそう取り決めたのだが、それぞれの得意な部分を活かそうという話になって。結局、基本的に俺が掃除や洗濯担当で料理はハチがするということになった。
ただ、食料品なんかの買い出しに関しては、バイトや授業の関係でスーパーの特売時間に寄れる方が行くことになって。今日はハチの方だったのだが、頼むのを忘れていたのだ。冷蔵庫にストックしてある豆腐が切れていたにも関わらず。

(まぁ、仕方ないけど)

俺が豆腐を買い込むからだろう、今まで、ハチの買い出しの時に豆腐が入っていたことはない。そこから考えれば、今日は豆腐はないだろう、と自然と結論が出る。途端、圧し掛かってくる気だるさが増してきて。俺は「んー」と適当に相槌を打ちつつ、動き回るハチの足を見ていたのだが、

「豆腐もあるけど」
「食う」
「即答かよ」

さっきまであんなに興味なさそうだったのにな、と笑う竹谷が目に入って、ようやく自分が起き上がっていることに気が付いた。今から作るから簡単なものになっちまうけど、と少しだけ眉を下げたハチに「けど、豆腐、切れてただろ?」と疑問を呈せば「おぅ。だから買ってきた」と彼は再び笑った。

「珍しいな」
「何が?」
「ハチが豆腐買ってくるの」
「あぁー、買い出しに行く前に冷蔵庫の中はチェックしてったからな」

それにしたって買ってくるなんて、と思わず俺が零したのは本当に珍しかったからだ。今までにも冷蔵庫から豆腐を切らしてしまった事が何度かあるが、野菜よりも豆腐よりも肉ってタイプのハチは、俺が頼まない限り買ってくることはなかった。いったいどんな心境の変化がハチにあったというのだろうか。

「たまたまスーパーに寄ったら10月2日は豆腐記念日ってあったからな」
「なるほど、それで」
「おぅ。せっかくの記念日なのに豆腐ねぇと淋しいかと思って」

企業なんかがアピールのために語呂合わせで記念日を制定する、なんてよくある話だが、それはそれとして、こうやってハチが気に掛けてくれたのはやっぱり嬉しい。

「ありがとうな」

俺が礼を告げるとハチは軽く首を横に振ると唇を緩めて「あー、そういや中学だったか高校だったかの教科書に載ってたな」と呟いた。何が、と目だけで問いかければ、ちょっと得意げな笑みを浮かべた。

「君が好きだと言ったから10月2日は豆腐記念日ってな……まぁ、俺は兵助さえいてくれたら、毎日が記念日だけどな」

まっすぐな言葉が、くすぐったい。返答のしようがなくて黙っていると「何、惚れた?」とからかい混じりの声音が届いた。気恥ずかしさに「……惚れたじゃないだろ」とつい口が悪くなってしまったが、ハチはそのことも分かっているようで。にやにやと「あ、惚れ直したか」と調子に乗ったことを言い出したものだから、きっぱりと告げる。

「呆れてた。よく、んな恥ずかしいこと言えるなって」

だが、ハチはまっすぐに笑った。

「そりゃ、言えるさ。本当のことなんだから」




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