鉢雷(現代)

※11月十色の無配に加筆修正


真夜中、というほどでもないけれど夜遅くに、いきなり僕の部屋に顔を出したかと思ったら、「台所借りるな」と抱え込んでいた大量の食材を、どさ、っと床に降ろした。今日はバイトで来れない、と言っていたのに、急にどうしたのだろう、と疑問だけが頭を過ぎる。紙袋からちらりと覗いた野菜は、トマトとかなすとか、この時期にはなかなか見かけないような鮮度を保っていた。バイト先からちょろまかしてきたんだろうか、と不安になったが、紙袋に印刷された文字を見て、すぐにそうじゃない、と打ち消す。二駅先の、夜遅くまでやっている高級スーパーだ。それだけでも、なんだか、今からパーティーでも開かれそうな勢いで。

(あれ? 何かの記念日だったっけ)

思わずカレンダーを確かめた。残りが2枚と薄さが淋しいそれは、別に丸が付いているわけじゃない。(恥ずかしいことに、付き合った記念とかは三郎がいちいち丸を、しかも花丸を付けるのだ)だから、特別、何かの日ってことはないんだろう。

(けど、それにしたって、すごい材料だ……)

さすがに時間が時間だし、明日提出しなければならないレポートのことも気になっていて、と断ろうと思ったけれど、それより先にずっと食べずにレポートと格闘していた僕のお腹が返事をしてしまって。彼は「まぁ、雷蔵は勉強でもしていいから」と、さっさと台所に行ってしまった。

(まぁ、いいや。後で、様子を覗きに行こう)

一度、こうと決めたら動かないというか、変なところで頑固な三郎だ。(まぁ、三郎曰く、僕も相当の頑固者らしいけど)どれだけ言ったって、彼の中に『帰る』という選択肢はないだろう。言い争って喧嘩にはしたくないし、三郎の気持ち自体は嬉しいものだ。三郎を追い返すのを諦めた僕は、とりあえずレポートを仕上げることに専念することにした。


***


「何、飲みながら作ってるんだよ、危ない」

ようやくレポートも形になって、よし、と台所を見に行き、僕は目を疑った。器用にも片足立ちをして右の足指を使って左のふくらはぎ辺りをぽりぽりと掻いている三郎の右手にはお玉が。もう片方の手には赤ワインが握られていた。煮込んでいる鍋に入れるのかと思いきや、それは、豪快な勢いで三郎へと吸い込まれていった。

(ちょ、火を使いながら料理しているのにっ!)

危なげない手つきだったが、問題はそこじゃない。慌てて三郎の手からぶん取る。たぷん、と甘ったるい芳醇な香りが揺れた。調理の火を前にしているせいか、それとも、呑んでいるせいか。掠るように触れた三郎の手は熱い。僅かに赤くなった目尻で三郎が不思議そうに僕を見遣った。

「僕が続きを作るよ」

視線を自分の手にあるワインボトルに置いて言外に『お前は呑んでるだろ』と匂わせる。けれど、彼は「いいって。そんなに飲んでないから、な。大丈夫。雷蔵はやることやってろよ」と、僕の肩をぐいぐいと押しやった。手にワイン瓶を持っていたために、落として割ってしまうんじゃないか、と思うと、抵抗があまりできなくて。ワイン瓶ごと追い返されてしまった。元々、料理に妙にこだわりのある三郎は、なかなか、僕に台所に立たせてくれない。こうなったら、どう言ったって代わってくれることはなくて。仕方なく、さっきまでレポートをしていた部屋に戻る。布団の被せようかどうしようか迷っているこたつ机の上にあった数冊の本を床にどけ、僕はそこに持たされたボトルを置いた。

(とはいえ、もう、やることは全部やってしまったしなー)

期限が迫っているレポートは、これだけで、他に急ぎの課題があるわけでもない。ずっと集中するためにテレビも消していて、心地よい穏やかな静けさに、今さら、付ける気になれなかった。せっかく三郎がいるのに暇だなと、と思いつつ、テーブルに置いてあったワインのラベルを見遣って--------「えぇっ!?」と声を大にしてびっくりしてしまった。

(これ、今年のボジョレーだ)

解禁日である昨日もレポート提出があって、その日の内には呑めなくて。明日、レポートを出したら、そのご褒美に呑もうと、買って大切にとっておいたものだ。しかも、それなりの値段のやつを。我慢した分、おいしいだろう、そう信じて。

「それを、三郎のやつ……」

もともと一人で呑む気はさらさらなかったけど、いくら何でもこれは哀しすぎる。料理用のワインなんて洒落たもの、僕の家にないってことくらい、想像が付きそうなものなのに。半分くらいになったそれは、とろりとした柔らかい馨りで、僕を眩ました。

(けど、もう開栓されてしまったのだから仕方ないよなぁ)

部屋が隔てられていて三郎に聞こえないのは分かっていたけれど、僕は溜息を盛大についた。それから一気にボトルを呷る。ざっ、と喉を疾走した熱は、しばらくして心地よい浮遊感へと変わっていた。すきっ腹にアルコールを一気に入れたからだろう。ぐるり、ぐるり。世界が回ってる。何だか、だんだんと楽しい気持ちになって、自然と笑いが零れる。

(まぁ、中々の贅沢だよね。ボジョレーを料理酒に使うだなんて)

聞いたことがあるようなないような、そんなハミングが台所から聞こえてくる。さっきから三郎が繰り返し繰り返し歌っているのだけれど、何ていう曲かは覚えていない。もしかしたら、三郎が適当に作ったメロディなのかも、と思いながら、くつくつと煮込まれていく匂いを胸に吸い込んで、大きな声で名前を呼ぶ。

「さぶろー、さぶろぅ」

台所から「何だー?」と不思議そうな声が届いて。「なんでもなーい」と答える。それから、もう一度、「さぶろう」って呼んでみる。すると、三郎が扉を開けて、ひょいと顔を出した。ほっこりとした温かな匂いが、染み込んでくる。

「雷蔵、怒ってるのか?」
「ううん。全然」
「じゃぁ」

何なんだ、と言いたげな三郎に、ふふ、と笑いを零す。

「さぶろぅ」

(大好きな君の名前を呼んでみただけ)





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