竹久々(現代)



(来なきゃよかった)

吐きたくもないのに溜息ばかりが自然と零れる。「勘右衛門のバイト先にでも冷やかしに行かないか」なんて三郎の誘いに乗らなきゃよかった、と少し離れたところにいる彼を睨みつけた。けど、ゲームに興じているせいか、俺の視線にちっとも気付きやしない。と、っと、俺の目の前で三郎がダーツボードの中心に矢が突き刺さり、歓声があがる。ふん、と鼻を鳴らして眼差しをそっちのテーブルから目を引き剥がし、グラスに齧りつくようにして一気に呷る。水割りにするのが途中で面倒になってきてグラスにアルコールだけをぶち込み続けていたが、見目は水みたいなものだ。ただ、時々、ぐるり、とグラスの中で粘質なものが息まく瞬間だけこれが水じゃなく酒の類いだったこと思い出すが、もはや味すら水のようなものだった。咽喉を灼く感覚でさえ、遠い。

「兵助、大丈夫?」

カウンターのボトルを持ち上げてそのまま注ごうとした所でグラスが急に俺の手元から動いて遠ざかった。まるで糸を付けられたみたいに、するりと。だがもちろん手品でもなんでもなくグラスには長い指が掛っていて。顔を上げれば見慣れぬ出で立ちの勘右衛門が俺を心配そうに見遣っていた。彼の顔色が悪く感じるのは、ボトルと同じ青のLED照明を基調とした店内が薄暗いからだろう。

「大丈夫だって、まだ飲めるし」

新しいバイトを始めた、と勘右衛門から聞いたのは先週のことだった。バー、という響きに、ちょっと俺の興味ももたげて、いつもよりは乗り気で店の扉をくぐった。いきなり訪ねてきた俺たちに勘右衛門はちょっと驚いたようだったけど、それほど嫌な顔をすることもせず「とりあえず四人だからボトルキープの方が安上がりだよ」と勧めてくれた。追い返すまではいかないものの顔を顰めるくらいされるんじゃないかって思っていたから「俺なら絶対にバイト先に来てほしくないけどな」と零せば、勘右衛門は「俺だって嫌だけと、来ちゃたものは仕方ないしね」なんて大人な対応を見せた。「今日は金曜だから人が多くてあんまり構ってられないけど」と言う勘右衛門の言葉通り、あまり広い戸は言えない店内は程良い人入りで、俺たちは一列でカウンターに最初は並んでた、というのに。

(今は、俺しかいないんだよな……)

また、歓声。カウンターに対応する高椅子はくるりと回転するもので、自然と声がした方に体が半開きになる。楽しげな談笑の輪にいるのは三郎と雷蔵、それから見知らぬ男女だ。



***

初めは四人で一緒に麦のボトルを開けナッツやチョコレートを摘んでいたけど、薄闇に沈んでいた店内のあちらこちらに目を走らせていた三郎が「お、ダーツがあるじゃないか」と楽しげに呟いてから状況が一変した。得意なんだ、と笑った三郎は「いいって」と断る雷蔵を「いいからいいから」と、そのダーツのあるブースに連れていってしまった。最初に座った順のせいで、間の椅子が二つ、ぽつん、と開いてしまう。取り残されたのは、俺とハチ。

「ほんと、三郎って分かりやすいよな」

二人の背中にぼそりと呟くハチの声は店に響く音楽に混じってよく聞こえなかった。ほどよいうるささで流れる音楽と談笑だが、ちょっと距離が開くと小声は通らない。「え?」と聞き返せば、グラスを持ったハチが俺の隣に腰を下ろした。

「いや、三郎って分かりやすいよな、って話」
「あー。雷蔵の前でいい格好したいんだろうな」
「まぁ、好きな奴の前でいい格好したい気持ちは分かるけどな」

そう漏らしたハチは、グラスを軽く煽った。大きく動く喉仏に見とれつつ「どうする?」と尋ねると、ハチはちょっと困ったように「俺、ダーツはいまいちなんだよな。ビリヤードは得意だけど」と正直に告げてきた。何となく意外な感じもしたけど「そうなんだ」と相槌を打てば「けど、兵助がやりたいなら俺も一緒に行くけど」とハチは俺の方を向くと、それから、ダーツブースへと視線を投げた。つられて俺もそちらを見れば、すでに他のグループと話を付けたのか三郎が投げようとしているところだった。ハチの表情は、ダーツはしたくない、という彼の本音が透けて見えた。好きな奴の前ではいい格好をしたい、って言葉がそこに重なって、こっそりと心の中で笑いながら答える。

「いや、いいよ。別にそこまでしたいわけじゃないし」
「なら、こっちで二人で飲むか」

二人。何気ない言葉だけど、その言葉だけで頬が緩む。返事の代わりに俺は空いたハチのグラスを引き寄せ、そこにボトルからアルコールを注いだ。適当に水も足し、マドラーでかき混ぜる。ぐるり、と分離したそれが一つになっていくのが、何となく楽しい。照明の青が淡く溶けたグラスを彼の方に戻せば「ん」とハチは軽くグラスを掲げた。そこに自分のグラスを合わす。かちん。透いたアルコールの影が重なった。



***

「あれ、もしかしてはっちゃん?」

しばらく大学の授業の話だとか、最近聞いた音楽の話だとか、今度映画を見に行く約束だとか、他愛のない、けれども倖せな時間を過ごしていた俺たちの間を、どれだけ頑張ったって俺がぜってぇ出せない甲高い声が割り込んだ。花を口の中に押し込まれてしまったかのような匂いに、一瞬、噎せかける。誰だろう、と俺が振り向こうとするよりも早く、驚きでしかなかった声音に「やっぱり、ハチだ」と甘ったるいものが含まれたのが分かって。何か胸の辺りがつかえたまま、俺はようやくその声の主を見ることができた。

(誰だろう……)

薄暗い中でもはっきりと艶めいているのが分かる髪は、胸辺りで大きくカールしていて。その毛先にはセックスアピールをせんとばかりに大きく胸元が開いた服。もちろん谷間が見える。何気なく視線を下ろしていけば、当然のようにミニスカート。際どい位置で裾が揺れるのは計算されているのだろうか。あまり好きじゃない恰好だ、と感想を持つ俺の傍らで、ハチが目を見開いて彼女を見ているのが分かって、咽喉を半分だけ塞がれたような、もやもやとした気持ち悪さが広がる。

「え、……もしかして、ミカ?」
「そうだよー。何、その間。もう忘れちゃったの?」

ようやく口を開いたハチの腕を南国の花みたいな色合いのネイルをした指で絡め取りながら、その「ミカ」と呼ばれた少女はキラキラと濡れた唇で爆弾を落とした。

「まー元カノなんてそんなものか」



***

グラスを取り返した俺に心配そうな眼差しを向けてきた勘右衛門に「そんな酔ってないって」と、再度、問題がないことを告げる。と、その目の色が曇った。たぽたぽたぽ。勢別に酔っているわけじゃないけれど、いよく注がれたせいか、水面を跳ねたアルコールがグラスの周りに飛び散った。

「それもあるけど、そうじゃなくて……」
「そうじゃなくてって?」

勘右衛門の言いたいことなんて分かってた。痛いほど分かっていた。ダーツをしている三郎と雷蔵ばかり見ようとする自分がいるから。反対側のテーブル席に行ってしまったハチと元カノを見たくないっていう自分が。けど、いや、だからすっとぼけなければ、やってられなかった。サンプリングされた音楽、ひしめく人々の楽しげな歓談の声。その合間を縫って、ハチと元カノの声が聞こえてくるような気がして、耳を塞ぎたくなる。見たくない、聞きたくない。なのに、ハチの方を見てしまう。耳をそばだててしまう。

(なんだよ、あんな鼻の下、のばしやがって)

「そんなに気になるなら、最初から送り出さなきゃよかったのに」

呆れた口調で勘右衛門が呟いた。その場は「あ、ごめんなさい。お友達と飲んでたんだよね? 私も待ち合わせてるんだった。じゃぁね」と、言いたいことだけ言って、こっちが返事をする間もなく元カノは去って行ったけど、しばらくして「あっちでミッチー先輩とかハセケンとかと飲んでるんだけど」と、またひょっこり現れて。彼女に「はっちゃんがいるって言ったら、連れてこいって言われちゃった」なんて誘われたハチが困ったように俺を見てきて。俺は「行ってこいよ」としか言えなかった。

(……だって、好きな奴の前なら恰好付けたいのは俺だって同じだし)

ぐらり、と揺れる青。「ハチの馬鹿」という呟きまで呑みこむために、グラスの中のアルコールを一気に片付けた。



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ツイッターでハレコさんとの嫉妬竹久々の話をしてて滾った結果(笑)




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