鉢雷(現代・十万打リク・【大きなぬいぐるみ・珈琲牛乳・Yシャツ】)

※十万打リクエスト:鉢雷で【大きなぬいぐるみ・珈琲牛乳・Yシャツ】可愛い話


ふんわりとした丸い月はパンケーキみたいだ。とろとろのハチミツとバターが溶けて行く、一度、そう思ってしまえば、そんな美味しそうな想像しかできなくて。明日の朝ごはんのメニューはそれだな、と独りごちる。ちょうど明日は休みだ。ゆっくり朝寝坊して、それからのんびり作るのも悪くない、と柔らかな黄色が宿った夜空を見上げる。

(うー、にしても、寒いなぁ)

Yシャツ一枚、という出で立ちの自分の恰好についつい舌打ちがしたくなる。いつの間に夏が終わったのか分からないくらい唐突に涼しくなった昨今、昼間は長袖一枚でも暑いくらいだが、夜になれば上着がもう一枚欲しいくらいだ。どうせ後で暑くなるからいいか、と、珍しく迷いもせずに上着を置いてきたことを僕はちょっとだけ後悔していた。一刻も早く行きたい、と、帰るなり鞄と上着を上がり口に置いてすぐに出てきたのが災いだったようだ。すっかりと冷え切った体は思うように動かない。顔を上げていると首の隙間から暗とした風が入り込んでくるものだから、僕はそのパンケーキみたいな月を見るのをやめ、首をすくめ、地面に意識を集中させた。

(早く温まりたいなぁ〜)

一週間に一度、金曜日に銭湯にいくのが、ここ数カ月の僕の楽しみだった。家のお風呂の湯沸かし機能が壊れたのが7月に入った頃だったろうか。シャワーやシンク周りの給湯機能はちゃんと働いているのに、浴槽に湯を張ろうとするとなぜかエラーマークが出て、ちゃんと溜まらないのだ。まぁ夏だし、と基本的にシャワーを浴びて汗を流していたものの、僕も典型的なこの国の人間らしい。一週間もすれば浴槽に浸かりたくなって。徒歩5分。むかーし、僕が小学生の頃におばあちゃんに連れていってもらった事のある銭湯に時間がある週末だけ通うことにしたのだ。

(でも、そろそろ修理を頼まないとなぁ)

さすがにシャワーだけでは辛い季節になってきた。もちろんお湯を浴びているものの、しっかりと温まらないせいか、出た後に寒気で背中が震える。昨晩なんかタオルで水を切っている間にくしゃみ10連発だった。髪の襟足を撫でる風はすっかりと乾いていて、含む冷たさは次に待ち受けている季節を象徴していた。

(来週辺り、冷え込みが厳しくなるって言ってたしなぁ)

出掛けにいつも見るテレビのお天気おねえさんの笑顔と共にその情報が脳裏をよぎる。本格的な冬を迎える前に修理を頼んでおく必要があるだろう、と頭の中の明日することメモに書きくわえれば、いつしか目の前には、ぽっかりと温かな光が零れるガラス戸があった。靄がかって中がはっきりと見えないのは目隠しのための擦りガラスなこともあるけれど、きっと、中の湯気がぺったりと貼りついているからだろう。そんな水気を吸っているせいかちょっと重たい木戸を開けるにはコツがいる。この数カ月ですっかりマスターした方法(戸を右斜め上に押し上げるようにして横に引くのだ)を使えば、

「いらっしゃい。……あぁ、雷蔵か」

ちょっと上から降ってきた声は、ほわりと蒸気に溶けた。それから続いた「おかえり」という言葉も。本当は「ただいま」と言いたいのだけど、自分の家でもないし、何となく気恥かしくて、僕は予め用意してあった入浴料300円と珈琲牛乳代150円を合わせて、450円を差しだされた彼の掌上に転がした。ちゃり。彼の手の中で小銭がぶつかり合って、微かな音を立てる。---------この数カ月の僕の楽しみだった。この銭湯で三郎に会うことが。

***

どうしても我慢がならなくて、昼間だというのに風呂に入りたくなって。そういえば、と思い出したのが、銭湯だった。久しぶりに(本当に十年以上ぶりに)この銭湯に来て、どうにかこうにか無理やり扉を開けた時、ちょこん、と番台に座っていたのは、僕の記憶の中にあるおばあちゃんじゃなく、大きな大きなクマのぬいぐるみだ。(もちろんリアルな熊じゃなく、いわゆるティディベアってやつだ) 両手で抱えてやっとぐらいの大きさのあるクマのぬいぐるみが銭湯にあるだなんて誰が考えるだろうか。何が何だか分からなくて、その光景を凝視して固まっていると、「今掃除中なんだけど……って、あれ? 雷蔵?」と僕の名前を呼ばれ、一瞬、クマに名前を言われたのかと思ってびっくりしてしまった。そんな僕を再び「雷蔵だろ?」と呼ぶ声に、ようやくそれが、目の前のぬいぐるみじゃなく、別の所から聞こえてきたことに気が付いた。声のした方を振り向けば、穏やかな笑みを浮かべた人物がいて。

「あぁ、やっぱり雷蔵だ」
「もしかして、三郎?」
「あぁ」

この銭湯を切り盛りしていたおばあちゃんの孫である三郎とはいわゆる幼馴染という仲だった。ただ、中学までは一緒だったが、高校で離れてしまい、それ以来になっていた。けれど、その面影は何一つ変わってなくてすぐに小さい頃のように会話が水みたいにすんなりと流れてく。

「久しぶりだね。卒業以来? 成人式でも会わなかったし」
「あー、同窓会にも出てないからな」
「そうなんだ。何か、風のうわさで海外に行ったとかなんとかって聞いたけど」
「この春に戻って来たからな」

三郎はそう話しながら「よっこらしょ」と番台に座っていた大きなぬいぐるみを横に避けた。一番の高座から下ろされたぬいぐるみには、よくよく見れば、その首にやたらと角ばった文字の「掃除中」という札が掛けられている。何をするのだろう、と見ていると、三郎はそのまま番台に上がって僕の方に手を差しだした。「入浴料300円、珈琲牛乳150円になります」と。

「え、三郎が店番してるの?」
「ピンチヒッターだけどな」

どういう意味だろう、と首を傾げて目だけで尋ねれば、三郎は少しだけ唇を下げながら困ったように微笑み、それから「ばあちゃんが倒れたからな、一番、暇を持て余している私にお鉢が回ってきたわけさ」と続けた。驚きと、それから尋ねてしまったことに後悔していると、そんな僕の気持ちをくみ取ったのか、彼は急いで「あ、けど、今はぴんぴんしてるから、大丈夫だ」と付け足した。

「まぁ、当面、私はここにいるから、会いに来てくれよ」

***

気持ちよく汗を流し、お風呂に浸かって手足をゆっくりと伸ばしてしっかり温まれば、一日の、ううん、一週間の疲れが自然と溶けていく。もともと来た時間も遅かったのだろうけど、のんびりとしていたせいか脱衣所に戻った頃には、もう誰もいなかった。無人の空間で、扇風機が生温かい空気をかき混ぜているのを見て、さすがに焦って手早く服を着て。よれよれのYシャツを袋に突っ込めば片付けも終わり。ドライアーで乾かすのが面倒で、その近くに座って髪をタオルで拭き、適当なところでそのまま切り上げる。扉を開ければ、それまで聞いていたイアホンを外して三郎が僕の方を見遣った。

「ごめん、遅くなっちゃった。僕で最後だよね」
「別に構わないさ。まだ閉める時間じゃないし。今日は客が少なかったからな」

とん、と台に置かれた珈琲牛乳を「ありがとう」と受け取る。適度に冷やされた瓶は、三郎と共に過ごした小学校の頃を思い出した。いつもは真っ白な牛乳で、けれど、月に一回あるかないかの特別メニュー。珈琲牛乳。もう随分と前のことで、ほとんど覚えていないけれど、少なくともこんな感情は持っていなかったはずだ。---------三郎が好きだ、だなんて。ライクの意味じゃなく、三郎が好きだ、だなんて。

「あ、雷蔵。また髪の毛、乾かしてない」
「だって面倒なんだもの」
「面倒ったって、ちゃんと乾かさないと風邪引くだろ」

あの頃、珈琲牛乳が特別メニューだった頃、僕と同じ高さから聞こえてきた声は、週一回の定番となった今は、番台の高さの分だけ上から降ってくる。変わったのは、それだけじゃない。僕たちの関係もだ。

「タオル、貸して」

(やっぱり、お風呂が直っても銭湯通いはやめないだろうなぁ)

僕を包み込む、ほわり、と溶ける三郎の温かさが心地よくて、僕は、そっと目を閉じた。


***

鉢雷で【大きなぬいぐるみ・珈琲牛乳・Yシャツ】可愛い話でした。
リクエストありがとうございます^▽^ これからもよろしくお願いいたします!!




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