課題

目の前の威圧感に屈しそうになり息を飲む。震えて崩れそうな足を叱責し、戦く唇を一度噛んで言葉を振り絞った。


「申し訳、ございません」

「…………」


座ったまま腕を組んで斬るような視線を送る人へ頭を下げる。長い沈黙が、息の詰まるほど痛い。椅子がキィッと軋む音にも心臓が跳ねた。


「お前は風紀以前に特待生だろ?学業を疎かにしてどうする」

「ぅ、はい。すみません」

「俺に謝っても意味が無い、というのは分かっているな」

「……はい」


休み時間、数学準備室隣接の資料室。開いた窓から差す日差しも風も暖か味の帯びた色をしているが、俺は掻いた冷や汗で肝を縮めていた。


今日の授業終了までに提出するよう言われていた課題を朝にやるつもりで寝た昨日。普段より早目に目覚ましをセットした筈なのに、思っていたより疲れていたのかいつもよりも遅い時間に目を覚ましてしまった。遅刻ギリギリに課題なんてやれる訳も無く、休み時間にやるにも次の授業の準備や移動で忙しく。結局半分までしか出来ていないそれが今自分の手元でへにゃりと項垂れている。


「今学園がこんな状況で委員会が忙しいのは分かるが特待で来ている以上、あまり甘い事も言っていられないぞ」

「……はい」


先生の厳しい言葉に返す応えは我ながら弱々しく感じた。
風紀や他の委員会の生活が忙しなくなっている状況に勉強面で多少目を瞑る先生も少なくない。勿論問答無用で落とす先生もいるけれど、俺も何度か提出を伸ばすと言ってもらった事がある。少しでも睡眠時間を増やしたい俺らにとってはとても助かる対応だ。
が、一般生徒に対してはそれでよくとも俺は学業特待生。成績が落ちたら最悪学校を去らねばならない存在。優しさに甘えて勉強を蔑ろにしたら偏差値の高いここではあっという間に真っ逆さまだ。温情を丸っと受け取り堕落の道へ行くのかと現実を突き刺してくる言葉にただただ身を縮めた。


「両立出来ないなら風紀は辞めろ」

「っそ、……れは、」


先生が言う言葉は正しい。俺にとってこの学園で重要なのは勉強であって委員会は二の次だ。分かっているし俺自身それを考えた事もある。けど、今俺が抜けたら風紀がどうなるのか。
俺のようなのが一人抜けた所で……何て自虐的な事は言えない。猫の手も借りたい状況なのだ。新しく入れるにも中途半端に選んでしまったら余計な仕事が増えるだけ。吟味するにも騒動に紛れ目欲しいのが見付からない。それで俺が欠けてしまったら……。


想像に口が凍りつく。迷惑を掛ける事、幻滅される事。辞めるか迷う度に頭を過っていたものに胸を締め付けられた。ぐるぐると考える内に気持ち悪くなってくる。青冷めているだろう俺の顔をジッと見た先生は小さく舌打ちを鳴らした。


「……今の所成績は落ちていないがそうなってからでは遅い。両立できないと感じたら顧問と相談するように」

「……は、い」


勉強と委員会の両立。入った当初は慣れさえすれば大丈夫そうだったのに今はそれが危うい。友人や懇意の先生のお陰で授業について行く事は何とかなっているがもし次の考査で成績やばかったら……。


項垂れた頭にポコッと音を立て何か当てられた。驚いて上げた鼻先に丸められた紙の束。叱られて打たれたのかと思いきやそのままそれを押し付けられる。何だと開いてみると、これまでの授業の要点や解説の入ったプリントだった。


「それは出さなくていい。今日のは明日朝一番に出せ」

「……っ、ありがとうございました」


深く腰を折って資料室から退出する。思わぬ優しさに対する感動か緊張から解放された安堵感か。ちょっと目頭が熱くて擦った。そのまま直ぐには動けず立ち尽くしていると教員机で一人お茶を啜っていたお爺ちゃん先生がおっとりとお疲れさん、と声を掛けてくる。それに会釈をしゆるゆると震える息を吐いた。



今話していた先生は一年教科担当の中でも特に厳しく怖いという事で有名な人だった。葵君達にも散々授業や課題提出に気を付けるよう言われていたのに……迂闊だ。いや本当に、寝坊した俺が悪いんだけどさ。
でも、怖いけど間違った事も押し付けるような事も言わず、然り気無くフォローしてくれるという事で人気だったりするそうで。うん、確かにそうだった。けど……あぁ、怖かった。

まだ鳥肌が消えない首を擦り震えを振り払う。最近対応が甘い先生が多くなっているから気を引き締めるという点では良い薬にはなったと思う。威力強過ぎて死にそうだったけど。プラス思考でいこう。うん。


落ち着いてきた所で先生の言葉を思い返す。
風紀を辞める、か。

実は既に里美先生から一度聞かれた事がある。絹山先輩が転入生はアンチ王道だ!と言い出した頃だったか。忙しくなるなら尚の事手伝いたいと軽い気持ちで言い在籍を続け、それから今に至るまでに風紀を辞めたいだなんて……そりゃあ忙しい度にしょっちゅう思っているけれど。いざ辞めろと言われると何でこんなにしがみつきたくなるんだろう。天の邪鬼か。

やり始めたからには最後まで、という意地もあるけど、それ以上に頑張っている人達を置いて自分だけ抜けるというのは後味悪過ぎる。せめて仕事が減るか人員が増えるかでもしない限り、もうちょっとだけ踏ん張らせてもらおう。まだ勉強する余裕はあるし。



二兎追う者は一兎も得ず。選ぶ兎は決まっている。いつかはもう一方を切り捨てきゃいけないだろう。でもそれを捨ててしまうと失う物が多過ぎる。どれも無くしたくない物ばかりだ。だからそうなる前に騒動の方が終わってくれれば良いんだけど、と嘆息しながら外に出る扉へ足を向けた。



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