突然の訪問

新入生歓迎会が終了した後、本当は風紀で打ち上げみたいな事をしようという話があった。溜まりに溜まったストレス発散という事で。しかし最終的に誰も彼も疲労困憊で兎に角何より寝たい、という切なる願いが一致して無しとなったのだ。更に一年は会に参加出来なかったお詫びという事で報告以外の仕事はお休みに。そんな訳で久し振りに早く帰られて万々歳、だったんだけど。


いつもより明るい廊下でガラスに写る自分を最後にもう一回、と見詰める。薄い像によくよく目を凝らして確認し、前髪を整え何度も深呼吸。そして意を決して鳴らしたノックの後、恐る恐ると訪れた生徒会室。挨拶に顔を上げた先輩の視線から隠れるよう後ろを向いて普段より丁寧に扉を閉めた。
やや俯きがちに中へ進んで荷物や紙の束を置きいつものテーブルを片付ける。他愛無い会話を普通に交わせている事にほっとして強張っていた肩を下ろす。このまま誤魔化せそうだ、と。……しかし。台拭きを取りに給湯室へ行こうとした俺に、静かな声が掛けられた。


「……吉里」

「っ、はい」

「何かあったか?」

「へ?いいえ?」


ひらひらと手を振ってなんでもないとそのまま足を動かす。緊張で喉が乾きちゃんと話せているか怪しい。けど声が詰まったりとか裏返ったりとかはしていないと思う。なのに後ろで立ち上がる音がしてうっかりびくついた。しまった、と思う間に近くに寄られてしまい焦ってノブを掴む。


「ちょっとこっち見ろ」

「わ、」


しかしそれを捻る前に手首を掴まれて、思わず顔を上げてしまった。


「…………」

「…………」

「この手と額は?」

「……仕事中、転んで擦りました」


気不味さに目を泳がせていると顔に手が伸びてきた。体を引こうとしたけれど叶わず指先でそっと髪を払われて額を凝視される。ジトッと細められた目に口が引き攣った。


「どうして」

「……走ろうとした時、葉っぱで滑ってしまって」

「それだけか?」

「それだけです」


はぁ、と深い溜め息が絨毯に吸い込まれるように落とされる。ガーゼを外した額に髪が落ちてきてピリッと痛痒い。目を眇めたまま見下ろされ、居たたまれず目を逸らすと小さく何か呟かれた。何だ?と聞き返す前に矢継ぎ早に質問が繰り出される。


「痛みは?」

「えっと、ちょっとヒリヒリするくらいです」

「額と掌以外に怪我は?」

「ありません」

「……なら良い」


次から気を付けろよ、とまた深く息を吐く先輩に違和感。一言一言言葉が短いし普段より声に覇気が無いような……。


「先輩」

「何だ」

「……疲れてます?」

「……あー」


視線を外した先輩の目元を観察する。分かりにくいけれど心無しか落ち窪んでいる気がした。


「流石に……疲れたな」

「そうでしょうとも……」


疲れていないとか言われたら逆に困る。そう言うと先輩は苦笑して髪を掻き上げた。下ろす腕と同時に深く息を吐くと益々疲労の様子が滲み出る。昨日会った時はここまではなかったよなぁ。


「お疲れ様です」


手を伸ばして少し乱れた髪を軽く撫で付ける。行事が終わって気が抜けた時が一番体しんどいか。て言うかほんと、手伝う人いるって言ってもほぼ一人で仕事こなしているんだもんなぁ。凄いよ。としみじみ手を動かしていると、微かに驚いたような表情の先輩と目が合った。


「あ。すみません」


直ぐ様パッと手を離して謝る。先輩に対して何やらかしてんだ俺。後輩が頭撫でるとかどんだけなめた態度だよ。たぶん先輩なら怒りはしないだろうけど嫌な思いさせたよな。
うわぁ、と慌てる頭にポン、と軽く大きな手が乗せられた。


「いや、少し疲れが取れた気がする。……ありがとう」

「え。……いえ」


嫌じゃなかったのかとほっと息を吐く。それを見て笑う先輩の顔はそれでも疲れの色が濃く、心底参っているようだった。
気休めになるなら、ともう一度手を伸ばしてみる。サラサラと落ちる髪の間に指を通してゆっくりと梳けば始めは驚いていた先輩も穏やかに目を細めた。髪の感触やその表情を見るのが結構楽しい。先輩が時折頭撫でてくる理由が何となく分かった気がする。

そうして髪を撫でながら、やや頭を下げて目を閉じた先輩を改めて見詰める。一時のやつれて見えた時よりは元気と思うが、結構しんどそうだな。
ちょっと考えた後、撫でる手をそのまま滑らせうっすら窪んでしまった目元に乗せた。


「……吉里?」

「まだ飯食べるには早いんで暫くお休みしてください」

「うん?」

「確かそちらが仮眠室でしたよね」


先輩の腕を引き部屋の奥にある扉を開く。いいと言う先輩の背に手をやって少し強引にそこへ押し込んだ。振り向いた顔にもう一度伸ばした手を乗せる。目元を撫でて隈を指摘したら諦めたように口を噤んだ先輩にちょっと笑った。


「おやすみなさい」

「……おやすみ」


一度俺の髪をクシャッと撫でて奥に行く先輩を見送りそうっと扉を閉める。そして並び立つ机へ近寄った。行事というのは終わった後も忙しい。積まれた書類をザッと見る限り、俺が見たらヤバい物はないようだ。ちょっとだけ、と書類に手を付ける。内容はどうする事も出来ないが重要度や日付毎に別けるのは親衛隊さん達もやっていたから俺がやっても構わないだろうと分類を始めた。


暫く無心で手を動かしていると二山綺麗に並べ終える。三つ目の山もこれで終わりだと角を揃えようとしたその時、突然バンッと出入り口の扉が開け放たれた。


「ちょっとタ……!ってあれ?」


心臓、止まるかと思った。いやマジで。



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