状況報告

うつらうつらと舟を漕ぐ頭を支えていた肘の側で甲高い機械音が鳴り響き飛び上がる。半分夢の世界へ足を突っ込んでいたのを強引に引き戻されグラグラする頭で慌てて音源のケータイを引っ掴んだ。


「っはいこんにちは。こちら風紀愚痴聞き窓ぐっ……」

『へっ?あ……すみません、間違えま……』

「いやごめん、違っとらん。おうとるよ」
(「いやごめん、違ってない。合ってるよ」)

『あれ?兄ちゃん……でよかったいね?』
(『あれ?兄ちゃん……でいいんだよね?』)

「うん」


受話器越しに戸惑った妹の声を聞きながら状況を把握する。見馴れた部屋の内装に手元に広がった勉強道具。どうやら自室で勉強中に居眠りをしてしまったらしい。寝起きの顔を擦り、体を伸ばすとバキバキと背中が鳴った。


「あー。ごめん、寝惚けとった」
(「あー。ごめん、寝惚けてた」)

『ううん、よかよ。でもなんだったと?さっきんと』
(『ううん、いいよ。でもなんだったの?さっきの』)

「……職業病?」


言いつつ目の前に広げっぱなしのノートを確認。借り物のそれにヨレや涎は付いていなかった。自分の教科書はマーカーの線で大変な事になっているけれど。あーあ、と口だけ動かして嘆息し、益々疑問の声を漏らす妹の追求を流して電話の用件を訊ねた。


『んー、お母さんから兄ちゃん連休に一回も帰れんって聞いたけんほんとか確かめよーて思てから』
(『んー、お母さんから兄ちゃん連休に一回も帰れないって聞いたからほんとか確かめようと思ってさ』)

「あー、うん」

『あらー』


残念、と呟く声に苦笑を返しながら道具を退けてテーブルに腕を伸ばして寝そべる。時計を見上げると勉強を始めてからそんなに経っていなかった。直ぐ寝てしまっていたのかとちょっと自分に呆れる。


「ちょっと委員会の忙しくてたい」
(「ちょっと委員会が忙しくてさ」)

『高校ってそぎゃん忙しかと?』
(『高校ってそんなに忙しいの?』)

「んー、そぎゃんごたっね」
(「んー、そうみたいだね」)

『おつかれ?』

「……んー。疲れたー」


たぶん普通の学校、というか例年通りならこの学校だって連休に休めない程忙しいなんて事は無いと思う。今のこれはかなり特殊な状況だ。しかしそれをよそにペロッと説明していいのか分からないし、何よりまだちょっと眠い為長話はしんどい。通話口をずらして欠伸を逃がすとむー、と低い声が聞こえてきた。


『なんのためこっち連れてきたかわからんじゃなかね!……ってお母さん言いよったよ』
(『なんのためにこっちに連れてきたかわからないじゃないのよ!……ってお母さん言ってたよ』)

「あー、ははは。てか似とるね声真似」
(「あー、ははは。てか似てるね声真似」)

『まじで?……うへへ』


報告の電話を入れた時に散々繰り返して言われた台詞を一言一句違えず言い切った妹の声に思わず笑った。入学式以来久し振りの電話がそれだったというのもあって怒りがしつこかったなぁと思い返す。俺がいない分べったりくっ付かれてしまうだろう妹に謝罪と取り敢えずうへへは止めるように言うと、今度はふふっと笑う声が届いた。


『よかった』

「なんが?」
(「何が?」)

『お母さんが言いよらしたよかは機嫌よかごたっけん』
(『お母さんが言ってたよりは機嫌いいみたいだから』)


「うん?」

『なんかきっちゃしとらすごたったて心配しとらしたけんもっとくたびれた声しとるかて思いよったもん』
(『なんかきつそうにしてたって心配してたからもっと疲れた声してるかと思ってたもん』)


疲れてはいるみたいだけど、と言うのを聞きながらパチパチと瞬く。確かに母に電話したのは疲れがピークの頃だったけど、やたら喋ってばかりだったから気付いていないと思っていた。なんだか申し訳ない。
仕事でキツかったのももちろんあるけれど、後半は母さんの相手をするのに疲れたんだよね、というのは黙っておこう。


『ね。なんかよかこつあったりしたと?』
(『ね。なんかいい事あったりしたの?』)

「……うん、まあ、ね」

『よかったねぇ』


もう話すのも無理かもしれないと思っていた相手と食事を共に出来た事を思い出して自然口が緩む。それが見えた訳ではないのにおっとりしていながら感情の機微に聡いこの妹は嬉しそうによかったよかった、と繰り返した。声色からニコニコと笑う顔が予想できてちょっと気恥ずかしい。


「あー……っと。そっちはなんも変わりなか?」
(「あー……っと。そっちは何も変わりない?」)

『特にはー。あ、こん前歓迎会のあってかっそれで友達の増えた!』
(『特にはー。あ、この前歓迎会があってそれで友達が増えた!』)

「へー、よかったねぇ」


歓迎会かー。そんなのもあったねと年間行事の表を思い出す。4月中に計画ではあったのだけれど今の荒れている状態じゃ無理だと延期中だ。たぶんそのまま中止になるだろう。もう5月になるし。
相槌を打ちながら卓上カレンダーをペラペラ捲る。日付の下にある予定の殆どは委員会関連だ。……これで良いのか青春。高校生なのに仕事漬けとか。
ちょっと遠い目をしていると不意に、あっ、と妹の慌てる声が聞こえてきた。


『そろそろ戻らにゃん時間だ』
(『そろそろ戻らなきゃいけない時間だ』)

「そ、なら夜更かしせんで早よ寝らにゃんよ」
(「そ、じゃあ夜更かししないで早く寝ろよ」)

『はーい。兄ちゃんはあんま無理せんごつね』
(『はーい。兄ちゃんはあまり無理しないようにね』)

「おー、ありがと。優奈もな」

『はーい。おやすみ〜』


ぷつっと切れた電話を下ろし溜め息を吐いた。妹の平和そうな様子にほっとする。前回の電話は最初泣きそうだったものだからまた何かあったのかと心配したし。まぁそんな懸念なぞどこ吹く風に楽しい学園生活を送れて何よりだ。

しかし、同時に羨ましさを感じてしまっている。

良い事は確かにあった。友達も委員会も先輩も素敵な人ばかりで恵まれている。でも。


「……ちょーっと、くたびれたねー」


ぽつりと呟いた声は静かな部屋の空気にすっと消える。それに虚しさを感じてぶんぶんと頭を振った。深く息を吸い込んでペンを取り気持ちを切り替える。脇に寄せていた教科書とノートを並べ直し付箋を引っ張り開いた。


今は、頑張れるだけ頑張ろう。


くるっとペンを回し、細かく並ぶ文字の羅列へ意識を集中していった。



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