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余計な事を言い出す前に帰さねばと最後の一口を口に入れた所で小声で何か呟いた後輩が頷く。楽し気な声色に何を言い出すのかと先に釘を刺そうとしたのだが、あちらの方が口を開くのが早かった。
「先輩。明日もご飯持ってきますね」
「……何でそうなる」
「また一緒に食事をしましょう」
意思の籠った目で言われ、これ見よがしに深い溜め息を吐いた。
「お前は風紀なんだから俺とこうする事の危険性くらい分かっているだろう?」
「はい。ぶっちゃけ今も結構ハラハラしています」
頭を掻きながら乾いた笑い声を上げた顔をジロリと見れば、後輩はそれを苦笑に変え箸を置いた。それを一瞥だけして自分も箸を置く。そして今度こそ俺が先に声を発した。
「……もう来なくてもちゃんと何か食うから」
「食べるだけじゃ駄目です」
弱ったような素振りをするくせに返す言葉はしっかり主張を突き通す。そんな姿に開き掛けの唇が戦慄くだけで止まった。
「忙しいのは知っていますけど、一日中根を詰めるようじゃいつかぶっ倒れます。せめて夕食くらいはゆっくり取って楽しむ時間作りましょう」
黙っている間に食べ終わった皿を片付け台を拭きながら後輩はまた先輩、と呼号する。視線を向ければ、真剣な顔をした後輩が首を傾げた。
「俺と話すの、楽しくありませんか?」
言葉に詰まれば嬉しそうに微笑まれる。何も返していないのに後輩はそうかと頷きテーブルに手を乗せた。
「食べる事は生きるのに必要な行為です。けど食事はそれに加えて楽しむものなんですよ、っと」
掛け声と共に立ち上がった後輩は纏めた荷物を片手に歩き出す。黙って見送っているとその背中は扉近くまで行ったところで足を止め、こちらに体を向けた。
「では。明日も同じ時間に伺いますので」
「……来なくて良い」
「来ます」
力無い拒否を即答で返される。睨んでも撤回しない様子に本当に頑固だと考えていると、後輩が口を開いた。
「約束ですからね」
真剣な顔でそう言った後、失礼しました、とノブに手を乗せる後輩に説得は諦めて食事の礼と気を付けて帰るよう声を掛ける。快い返事をして出て行く背中を座ったまま見送っていると。
「あ、先輩」
大きな扉からまた頭を覗かせた顔に忘れ物かと視線をやれば後輩は笑って口を緩ませた。
「おやすみなさい」
お辞儀でなく手を振って退出していった姿に一瞬息が詰まる。そうしている間に扉は微かな音を立てて閉まった。
「……はぁ」
長く息を吐き出してソファに凭れる。目を閉じれば静かな中針の音だけが部屋に響いた。
さて、どうするか。
自分の立場と相手を本当に考えるならばやはり突き放すのが正しい。言い聞かせ納得させるか只管避けるか。態度を軟化させてしまった以上取る手段はそんなものだろう。しかし。
目を開き、肘掛けに手を付く。つい今し方自覚した、腹の中でとぐろを巻き肩にのし掛かっていた重苦しい疲労感が抜けた体を起こしてまた溜め息を一つ。
俺がここでどんな立場にいるのか知ってもなお純粋に後輩として慕ってくる表情や言動に気持ちが安らいだのは確かで。何だかんだと難しく考えようとしてももう心中は決まっていた。今まで我を出す事無く仕事に役割に従事してきたのだ。たまには私欲で動いてしまえ。
あのお節介な頑固者は明日だけでなくその後も来ると言い張るだろう。ならば何事も無く行き来し、普通に学園生活を送れるよう手を回せば良い。その場の勢いで出たもので受けた側もただ親衛隊にさえ知られなければとしか思っていなかっただろう助けるという言葉。うっかり転がり出たそれは紛れもない本心だ。
「約束、ねぇ」
去り際の言葉を口で転がし、ケータイへと手を伸ばす。面倒な状況を楽しみ始めている自分を自覚しながらこれからの計画を練った。
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