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これが最後だと突き放す声と態度。怖いけれどここで引いたら二度と彼には会えない。また怯みそうになる心身を押さえ付け、そしてその背に反抗するよう荒げた声をぶつける。
……つもりだったが。
「俺はそんな事に屈するほど弱っちくはな…いとは言い切れませんけど……!」
「……啖呵を切りたいならそこは言い切ろうか」
背を向けている先輩がやや脱力したのを見て俺も肩を落とす。格好つかなくて申し訳無い。しかし情けないが事実は事実。見栄を張って、きっと先輩の事だから無いとは思うけどマジで親衛隊呼ばれたら恐いんだからいくらハイになっていても迂闊に強気に出られるものか。
「……だって俺風紀でかなり弱いんですよ…。分かります?自分よりも実践経験豊富とはいえ体格的には勝っている相手に投げ飛ばされた時の無力感」
風紀勧誘の時散々弱い弱いと言っていたのは謙遜ではない。剣道をちゃんとやっていたのは小学校までで中学の時は殆どしていなかった。祖父の知人が道場をやっていたからたまに稽古を付けてもらってはいたが本当にたまにの事で自分は根っからの文化系体質。なので武器有りで丸腰の一般人一人相手ならなんとかなる、かも。という程度の力しか無い。
「力業的なことは相方さんがやってくれているんで良いんですが小柄な人相手でも軽く気迫負けしていますし……」
「だったら、」
「どうせ俺は力も精神も弱いですー。直ぐ負けますー」
「……おい?」
緊迫感が消えれば緊張の糸もブッツリ切れた。次第に最近の活動を思い出して言葉に熱が入る。ふつふつと胸に沸く悲壮感に勝手にぶつぶつと口が動いた。
風紀には元々非戦闘要員として入っていたのだから誰かに嫌みを言われたとかは無い。からかわれはしたが。他人に文句は言われなくてもしかし自分自身が情けないと思う事に歯止めは効かず。何か先輩の発言を遮ってしまった気がするが一度堰を切ったものはそうそう止まらない。
「最近誰でんピリピリしとるし、ちっとでん何かすっとしゃがな直ぐキレらすったいね……」
(「最近誰でもピリピリしているし、ちょっとでも何かすると直ぐキレられるんだよね……」)
「おい……」
「こぎゃん状態で誰かと対峙せにゃんごつなったら相手がどぎゃんでんなんでんぜっちゃあ即行やらるっばい。……なんかもう悔しかやら情けなかやらマジ俺……」
(「こんな状態で誰かと対峙しなきゃなんなくなったら相手がどんな人でも絶対即行やられるわ。……何かもう悔しいやら情けないやらマジ俺……」)
「……あぁもう!そうならないよう助けてやるからいい加減落ち込む……」
「本当ですか?」
聞こえた声に意識が戻り、パッと頭を上げればギョッと目を見開く先輩。対して俺はニコニコと笑いながら手を叩いた。
「じゃあ一緒にいても大丈夫ですね」
何を言い出すんだ、と言いた気にまた眉根が寄る相手にニッと笑って見せる。
「何か起きないようしてくださるんでしょう?じゃあ、親衛隊に引き渡したりなんて、されないですよね?」
何か言われる前にそう畳み掛けるよう続ければ虚を突かれたように眉間の皺が消えた。そして苦々し気に口が歪む。
「……嵌めたのか?」
「そういうつもりではなかったんですけどそうなりましたね」
つい最近燻っていたものがうっかり噴出してしまっただけで、あぁいう事を言ってもらえるとは全く思いもしなかったし。変なとこ見られたが怪我の功名って事にしよう。言質……というよりこじつけだが知った事か。まあ兎に角。
「心配が無くなったという事で。貴方がキチンとした食事と睡眠を取られるまで、見張らせていただきます」
腰に手を当て踏ん反り返って宣言する。
「嫌がられようが嫌われようが。もし人にバレて嫌がらせされようが殴られようが。どこかで貴方がぶっ倒れたとか聞くより何倍もマシです」
最後まで言い切って満足の溜め息一つ。それで一気に冷静になって、後悔の渦に叩き落ちた。相手の都合やら気遣いやらを無視したなんとも自分勝手な言い分、だなあ。撤回する気は無いけど。せめて友達や風紀には迷惑が掛からないようにしなきゃ。……いや、寧ろその友達に嫌がらせをさせてしまう事になる?葵君親衛隊なんだし。うっわ、それ俺最低だなおい。
自己嫌悪に唸りそうになるのを耐えていると先輩がポツリと呟いた。
「……お前は本当、妙な所で頑固だな」
あ、なんか想像以上に迷惑掛けている?てか本気で嫌がられてる?
慣れない強気な態度の反動か、マイナス思考が加速して焦り出す。勢いで言ったが嫌われるのはやっぱり嫌だ。でも先輩の事は心配だし。けど制裁も困らせるのも嫌だし。
何か解決案は、と今更考え無しの行動を悔いているといつの間にか先輩が目の前に立っていた。
「お前は何でそこまで俺を構おうとする」
「はい?」
「俺が倒れたら仕事が滞るからか?」
「へ?あぁ……、まぁそれは困りますね」
今思い付いたという反応をすれば他にあるのかと尋ねられる。他にって聞かれてもなあ。
「少しの時間でも仲良くなった人に何かあったら、嫌じゃないですか」
それ以上、大した理由などないのだが。
「他に何か思惑とか無いのか?」
「思惑?……ありますね」
机に寄りかかって聞いてきた先輩に腕を組んで返す。瞬間細まった目を見詰めながら言葉を続ける。
「出来たらまた貴方とお話ししたりご飯食べたり遊んだりしたいです」
誰かに構いたがる理由なんてそんなもんだ。思惑なんて大層なもんじゃないと思うが相手が先輩だ。取り入りたいとか所謂邪な考えとかで近付きたい人はいっぱいいる。そういうのと一緒だと思われたくはないが違うと言った所で信じてもらえるかどうか。
苦笑しながら見ていると溜め息を吐いた先輩がガシガシと頭を掻いた。あんまりすると禿げるんじゃ……とか要らぬ心配をした所で顔が上げられる。それで見えたのは諦めたような、でもこの前のように柔らかな表情で。
「……そうか」
小さく聞こえた穏やかな声は幻聴かと思ったがどうやら現実らしい。嬉しさと安心のまま力が抜け、表情筋も緩まれば笑うなと怒られた。
先輩の雰囲気からトゲが消え、以前のように普通に会話をする。しかし内容は「帰れ」と「嫌です」という押し問答。
「だから、ご飯食べるくらいならいいじゃないですか。前も食べましたし」
「あの日は確実に人に見られないと分かっていたからだ。……もう遅いから帰って休め」
「こんな夜更けのこの棟に他に人が残っているとでも?ちょっと弁当の作り置き持ってくるだけですから」
暫く睨み合いと問答が続く。いつまでも続きそうでいて、そろそろ挫けそうになりながら応酬の末、ここまできたからにはテコでも意見を変えないと言い張った俺にとうとう先輩が折れた。やったとガッツポーズを決めた俺は、呆れた眼差しを送る先輩に逃げないでくださいねと念押ししてダッシュで寮に戻る。重いと感じていた筈の荷物も体も気にならず、軽々足が動くまま気付けばあっという間にまた生徒会室の扉前に立っていた。
重苦しい扉を前に、小さく深呼吸をする。
もう帰っているかもしれない。また追い返されるかもしれない。
でも、と祈るような気持ちでノッカーへ手をかける。
いなかったら。本気で追い返されたら。……今度こそ本当に全部忘れてしまおう。
でももし、大丈夫だったら……。
響く木の音の後、返事を聞く事なくそうっと扉を押し開けた。
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