▽夜の呟き





もう春とはいえ肌寒い空気を裂き男は一人足早に歩く。窓の外で闇に沈む庭と同じ色をした髪を蛍光灯の光が白々しく照らしてくる廊下に、男以外の影は無い。ふと男が意識を前へ集中させると正面からパタパタと控え目ながら慌てた様子の音が近付いて来ているのに気付き、その長い足を止めた。


「あ!いた!」

「……あぁ、お前か」

「お前か、じゃない!」


男の姿を認めた瞬間大きな声を上げてしまった事を恥じ気不味げな表情をして近付いてきた小さな頭を男は見下ろす。


「どこ行ってたんだよ!」

「ちょっと、な」


曖昧に暈した回答に怒りに染まった目が更にきつく吊り上がった。夜と言う時間帯を気にして声を落としながらも責める口調は強い。


「ケータイも出ないし!」

「あー、部屋に忘れた」

「はぁ!?」

「すまん」

「っは〜……。まー無事見つかったからいいけどー」


目の前で大きな溜め息を吐いた彼はカチカチとケータイを弄っている。他に男を探していたメンバーに連絡をしているようだ。それを黙って見ている男を、パチンとケータイを閉じてまた溜め息を吐いた彼は一度鋭く睨み上げて大きく息を吸った。


「せぇっかくお仕事終わって疲れているであろう貴方方が心穏やか〜にお休みできるよーに大量の差し入れ捌いたりだのこの棟の周りから人払いしたりだのなんだの苦心してたってーのにさー?とーのご本人たちはかんけーなくいつもどーり街に勝手に下りようとしたり遊びにいったり面倒事起こそうとしたりー?さらにいつもは大人しくしてる人まで書き置き一つで行方くらましちゃってるしぃー?最近は僕の言うこと聞こうとしない馬鹿なのもいて抑えんのにすんごく苦労してるってゆーのにねぇ〜。どっから聞き付けたのかアンタが遅くなっても帰ってないって知ったヤツらが暴走しかけてさ〜あ?もうちょっとで風紀の手も借りるとこだったんですよ〜。もう、僕の胃がどうなってもいいってことなんですかねぇー」

「……分かった、悪かった」


間延びした口調で刺々しい言葉を一気に吐き切った彼はそれでスッキリしたのか、いーけど、と言ってクルリ踵を返した。


「今度お茶会開くから。そん時顔出してよ」

「分かった」


文句を言いながらも詳しく追及してこない彼に、男はありがとうとまた小さく礼の言葉を呟く。チラリと男を見上げた彼はフン、と鼻を鳴らして歩き出した。




「……ん〜?」

「何だ」


部屋までのそう遠くない道程を歩く途中、横で唸りながらじいっと見てくる少年に男は声を掛ける。少年は頭を数度捻り、訝し気な目を向けた後言葉を探すように視線をさ迷わせてからうぅむと口を開いた。


「ん〜……なんか妙に機嫌よくない?」

「そうか?」

「うん。ま、いーに越したこと無いからそれでいいや。そんなことより」


何となく口にしただけだったのかあっさり話を変え、捜索中ずっと気になっていた事を口にする。


「メシは?」

「食った」

「何を?」

「……親子丼」

「……うっそ、まじで?ちゃんとホントにメシじゃん」


疑わし気だった少年の目が驚愕で見開かれるのを男は無言で見返した。そんな視線を他所に少年は腕を組みブツブツ考え込み出す。


「まさか食堂行った?いや、連絡は無かったからコンビニ?には無いよな」

「あ〜……。食わせてもらった」

「え、ちょ、それってまさか作ってもらったってこと?」


目を見開いた少年は男の腕をガッと掴み揺さぶる。逃げ損ねた男は少年の肩に手を付き離そうとするが、興奮した少年は全く意に介した様子なく尚も右に左に腕を振り回す。


「……おい、万里(ばんり)」

「え、まじまじ?だれ?どんな子?」

「おい、」

「いつ会ったの?今までその子のトコいたの?ねえねえねえ!」

「……万里」

「……え〜」


喜色満面にしつこく食い下がろうとしていた少年はかなり不満気な表情で腕を離した。気になって仕方無いという顔だが、この様子の男は何をしても話さないだろうという事は知っている。


「悪いな」

「ん〜。あんたが秘密にすることなんかいつものことだしなー。……別に言い振らしたりしないんだけどー」


つまらん、と口を尖らせる低い位置にある頭を男は軽く叩く。それにも不満を募らせた少年はゲシリと足を蹴った。

男の部屋の前に着き次週の予定を確認した後二人は別れる。男は手を振る少年に手を小さく上げてから静かに扉を閉め細く息を吐いた。



――――――



閉まった扉の前で小柄な少年は静かに腕を組む。暗い夜の静寂とは対象的にその目は好奇でキラキラと輝いていた。


「……あの野郎にちゃんとメシを食わすとか、マジでだれだ?ん〜、どうにか見つけ出せんもんかねぇ……」


扉を鋭く睨み付けながらも口元は面白くて仕方が無いと吊り上がっている。


「とりあえず、マサ達にも報告してやーろおっと」


ケータイを触りながら上機嫌の小さな背中は軽やかな足取りでその場を後にした。



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