夏休み到来

しっとりと濡れた風がほんのり冷ややかに肌を撫でる朝。暗い空からとつりとつりと降る雨が疎らに高い窓を叩く。それとは反対側の窓では真白い雲の隙間から青空と日の光が指している。広い講堂を挟んで東西の空模様は真っ二つ。それをポケッと見上げ聞き流すお話は、弁者には申し訳無いけど子守唄。漏れそうな欠伸を噛み殺し眠気をそらす方法をあれこれ必死に考える。重い瞼を開き渇く瞳を巡らすと、整列した色も長さもとりどりな頭の幾つかが振り子みたいに揺れるのを見付けて、吹き出しそうになった口をどうにか引き締めた。ついでにグッと眉間に力を入れて歯を食い縛って。そう気合いを入れても睡魔という強敵には叶わず。開いている筈の目に何も映らなくなった瞬間。不意に耳へ届いた、低く穏やかな声にドキリと胸が跳ねた。
ハッと落ちていた顔を上げると目に映る彼の、壇上に立つ真っ直ぐ伸びた背筋が凛々しく綺麗で。そこかしから感嘆の吐息が漏れるのを聞きつつ自分もそっと息を吐く。マイク越しの声に落ち着きつながら気が引き締まる思いに姿勢を正すと閉会の号令。礼を解けばあっという間に緊張もほどけて俄にざわめきだした講堂をまた大きく見渡して、一先ずの区切りにほっと肩を落としこっそり視線を壇上に戻す。舞台袖で副会長と何かしらやり取りをする黒い頭を目の端に映しながら、自分の残りの役回りの為軋むパイプ椅子を片付けた。








「ゆーまぁ。ゆーまーぁ……」

「うん。いってらっしゃい。えっと、気を付けてね」

「うー……。お電話しようね、絶対ね」

「うん。俺からも掛けるから。大丈夫な時間教えてね?」


涙目で胸にすがり付いて言い募る葵君を抱き締め返し小さな頭を撫でて宥めすかす。終業式もホームルームも終わり。里帰りをする人や見送りでごった返した駐車場に来てからいったいどれくらい経っただろう。名残惜しいのは自分も同じ。旅行以外に実家にも居なければならないから夏休みいっぱい帰ってこない、となると一月ちょっと葵君と会えなくなる。そう考えるととても離れがたい。……でも、流石にちょっと長いかなぁ。混むからと早めに来た筈なのに今ではもう殆ど人が掃けている状態だ。逆に良いのかも、と離れない背中を撫でていると、横に立っている怜司君が呆れた顔で小突いた。


「あーもー、こんじょーの別れじゃねんだからそろそろ行ってこいよー」

「怜司のばかー」

「えー?」


ベソをかきながら掴んでいた怜司君の袖を振り回した葵君は一度耐えるようギュッと口を引き締めて。でもまたクシャリと眉を顰めて胸にすがってきた。


「うー……。おとまり会、もう一回くらいすればよかったぁ」

「なんで」

「おはなしし足りない」

「帰ってきてからすりゃイーじゃん。ほれほれ。瀬高さん待ってっから」

「うー、ゆーまぁ」


涙混じりの呼び声に眉を下げつつ、チラッと視線を葵君の後ろに向ける。車の脇で畏まって待つ白髪の運転手さんはおっとりとした様子で大丈夫ですよ、とばかりに手をひらめかせた。それにぎこちなく苦笑と会釈を返し抱き付き直した背中を擦る。や、大丈夫じゃないですよね。かなり待たせてますもん。……うーん。長期間会えないからここまで駄々が酷くなっているのは分かる。俺だってもう少し話したい。でも、流石に他の人に迷惑をかけたら駄目だし。同じやり取り何回もやるのもしんどいし。……暑いし。
うぅん、と眉を寄せて暫し。小さな背中をギュウッと力を込めて抱き締めてグイッと顔を覗きこんだ。


「ね、葵君。お姉さん達と会うの、楽しみにしてたよね?」

「……うん」

「皆に俺達の話をして、俺達にお姉さん達の話をするっていうの、俺も楽しみにしてるから」


帰ってきたらまた皆で集まろうね。
そう言って頭を撫でればジッと押し黙った葵君が漸く小さく頷いた。


「おでんわ、いつでも何でもいいから。何でもお話ししてね。」

「葵君もね」

「うん。ぜったいだよ。約束だよ」


ぐったりした怜司君も巻き込み指切りと差し出された小指に指を絡めて二、三度上下に振り解けば漸く拘束からも解放された。車に乗り込むのに付き添い直前まで繋いでいた手を離すとドアが閉まる。とうとう行ってしまうのか、と行くのを促しておきながら急に複雑な想いにかられ、変な顔になっているのを自覚しつつ窓から乗り出そうとする葵君に注意しながら手を振り見送った。


「やっと行ったなー」

「うん……」

「休みってあっという間だからな。すぐ帰ってくるって」

「……ん」


ポン、と背中を叩かれ頷く。車が過ぎ去った後に吹く風は清々しい夏の匂いを運んできて、物悲しい。最近ずっと葵君がひっつき虫になっていたからこれから暫くこの涼しさが続くのかと思うと何か変だなと思った。
励まされてもどうにもついシュンと肩を落としてしまう。そんな俺の隣で辛気臭さをを吹き飛ばすように大きく背を仰け反らせ伸び上がった怜司君は、吸った息を吐き出す勢いで声を発した。


「さー夏休みだー!部活部活ー」

「……あははっ、本当に部活好きだねぇ」

「おう!みんな帰省で一人になろーがひたすられんしゅーしてやるぜ」

「あぁ、怜司君はずっと寮にいるんだっけ」

「おう!いつでも遊びに来いよ。悠真はいつ帰るんだっけ」

「来週くらいのつもり。課外授業もあるしね」

「あー……たるいなぁ」


上げていたテンションを一気に下げ怜司君は消沈した様子で腰を曲げた。長期休暇中の課外授業は基本的に自由参加で、部活や家庭の事情等を優先して良い事になっている。けれど、成績が悪かったり先生が必要と判断した生徒なんかは強制参加だ。後は俺みたいな学業特待生とかね。怜司君は……。


「悠真。問題当てられたら教えて」

「たぶん教室違うと思う」

「……うぁぁあ」


とうとう膝を抱えてしゃがんだ怜司君の背中をポンポンと叩く。期末は頑張ったんだけどね。それまでとか、その他のとこでとか。ね。取り戻せるよう、頑張って。


「ま。いっか。どーにかなんだろ」

「そうそう」


今の嘆きは何、というくらいあっけらかんと切り替えの早い怜司君に笑って膝の砂を払って二人また歩き出した。
疎らに降っていた雨が止んだ空は高く澄んで、木々がキラキラと光輝いている。でも吹く風はまだ湿り気を含んでいるからまた夕立があるかもしれない。暑いねと手団扇で首元を扇ぎ隣を見上げれば額の汗を拭った怜司君がニコニコしながら口を開いた。


「な。別に一人でもれんしゅーできんだけどさ、やっぱつまんないからたまに付き合ってな。代わりにオレも何かあったら手伝うし。まぁ、何もなくても遊ぼうぜ」

「うん。いっぱい遊ぼうね」

「葵がすねるかもな」

「かもね」


緩く握った拳同士をぶつけて笑う。そうして着いた部活棟入り口前で片手のスポーツバックをブンブンと振り回す怜司君に苦笑しながらまたねと言い合い一人帰路へ足を向けた。


サッパリと刈られた芝の匂いは青く、綺麗に掃かれた石畳は熱を帯びている。そこかしこから聞こえる蝉の声はワシャワシャと五月蝿い。分厚い雲の隙間からチラッと覗いた太陽はジリジリ背中を焼いてくる。淡く咲いていた花は散って濃い緑の萌える真夏の昼間。深い色の青い空を見上げながら建物の陰に入れば明暗差に目眩がする。眩んだ視線を地に落とすと白いコンクリートに真っ黒い影が長くはっきり線を引いて伸びていた。パタ、と顎から汗が落ちる。

夏。夏だ。

噎せ返る熱気にぼう、と茹でられた頭を振って、ガラスのドアを押し開け涼しい建物へと逃げ込んだ。



[ 179/180 ]

[] []
[しおり]




あんたがたどこさ
一章 二章 三章 番外 番外2
top




×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -