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「貴之さん、もう実家に帰らならんとですか」
(「貴之さん、もう実家に帰らなきゃいけないんですか」)

「あぁ。ちょっと呼び出しを食らってしまった」

「呼び出し?……どぎゃんかしなったとですか?」
(「呼び出し?……どうかされたんですか?」)

「いや。ただ長らく仕事へも家へも顔を出していなかったから挨拶くらいするよう言われただけだよ」


学期終わりの細やかな慰労会的な感じで、気持ち豪勢な夕食を終えてまったりとしていた時間。唐突に鳴った電話の内容をそれとなく察して問えば残念な事に当たりで。別に怒られる訳じゃないから心配しなくて良い、と閉じたケータイを片手に微笑んだ先輩へ一先ずほっとする。
実家へ帰るのは挨拶だけだと言う先輩は本当にそれだけで直ぐに学校へ戻ってくるらしい。夏休みに入っても生徒会は忙しい、としてももうちょっと家に居ては?なんて思うけど先輩は本当に真面目で、仕事中毒だと苦笑が浮かぶ。
少しは休んできてくださいね、と一声掛け。それにしても、と手に持っていたグラスをテーブルに下ろしながら壁に掛けられたカレンダーを恨めしく見上げた。


「帰省、これだと俺達入れ違いになっちゃいますね」

「あぁ……そうだな」


日付の隅の所にチョンチョンと付けられていたマークがずれてしまった。先輩が学校へ帰ってくる日には既に俺が両親の元へ帰っている予定になる。


「……俺今日友達の帰省見送ったばっかとですよ」
(「……俺今日友達の帰省見送ったばっかりなんですよ」)

「……そうだったな」


元々予定では同じくらいに帰省して戻る筈だったのに。これだと俺が学校に戻ってくるまで結構長く会えない。俺も課外とか委員会とかで早めに戻るつもりではいるけどさ。それでも、さぁ。
夏休みなんだから当たり前と分かっていても予定外に纏めて親しい人が居なくなるなんて。等と態とらしく拗ねた顔を作ってみせて口を尖らす。ちょっと大袈裟過ぎる態度で、冗談ですよ。拗ねてませんよ。そんな雰囲気が出るようにと努めてみたけど、失敗した気がする。先輩に眉を下げすまないな、と苦笑されてしまった。先輩を困らせたい訳でも謝ってほしい訳でもない。けど、どうにも感情の行き場が無くてやってしまった八つ当たり。じわりとわく罪悪感に目を泳がせる。気不味い空気に意味無く足を擦り合わせていると、正面からコトンとグラスを置く音がした。


「悠真」

「……はい」

「おいで」


仕方無いな、という笑顔を浮かべた先輩が掌をこちらへ伸ばした。白く、スラリとした指先に吸い寄せられるよう立ち上がりフラフラとテーブルを回って向かいの席へ歩み寄る。そうして、ボスンと隣に座ってちょっと乱雑に肩へ頭をぶつけるよう寄り掛かった。下敷きになった髪を巻き込んでグリグリと固い肩にこめかみを擦り付ける。残念。つまらない。切ない。口にはしない子供っぽい想いを込めて、子供っぽい仕草で先輩を詰る。乱暴なそれは痛いだろうに、先輩は小さく喉で笑っただけで好きにさせてくれた。あまつ、寄り掛かっているのと反対の手で優しく頭を撫でてくれる。温かい。気持ち良い。嬉しい。こんな気持ちも、きっと先輩には伝わっているだろう。そしてたぶん。同じ様に思ってくれている。お互い、惜しいと思っているのならば。


「貴之さん」

「うん?」


今日、泊めてください。


「悠真?」

「……呼んでみただけです」


へら、と笑って誤魔化す。今考えた事は流石に分からなかっただろう。訝しそうに首を傾げる先輩の、今度は胸へ寄り掛かって目を閉じた。そうして頭に浮かぶ、葵君との別れ際に言い募られたあれそれをなぞるような台詞を打ち消す。そんな事を言っても困らせるだけ。迷惑なだけだ。あぁ、でも昼の彼と同じ様にすがって駄々をこねてしまいたい。こんなんでよく葵君を窘められたものだ。
顔を埋めたシャツに自嘲の息を短く吐きつける。モヤモヤとした気分を持て余してうだうだとしていたら、頭を撫でていた手が頬を包み、指先が目元や耳の下を擽ってきた。こそばゆさに小さく吹き出して擦り寄りながら広い背中に片腕を回す。いつの間にか繋いでいたもう片方の手には力を込めて。そっと抱き寄せる掌の大きさや温もり。何も聞かずにただただ甘やかされる安心。ぬるま湯に浸かったような幸福感に微睡み掛け、カランと溶けた氷がグラス内を跳ねた音に目を開く。

毎日のように与えられていたこれらが暫く貰えない事を惜しんで、カレンダー横の時計が指した時間をまた恨めしく睨んだ。









エレベーターに乗り込んでも何と無く直ぐ自室に帰る気にはならなくて。タシ、と一番下のボタンを押す。ちょっとだけ風に当たろう。少しだけ。良いよね。
エレベーターを降り、入り口の寮菅さんにすぐそこに出るだけだと告げて扉を開く。ヒヤッと流れ込んできた風に逆らって外に出れば夜空は雨模様。息を吸えば青草と土の匂いが肺一杯に入ってきた。


夏休みに入って。色々計画を立てて。ワクワクしていた筈。楽しみだった筈、なんだ。なのに何でだろう。今は凄くモヤモヤして、焦っている。
夏休み。何かの区切りとしては丁度良い時期。長期の休暇は人の気分や繋がりなんかも随分変えてしまう。分かっている。……不安なんだ。
先輩の帰省について、葵君との別れとはまた違う感覚に陥っているのは。葵君とは違ってそれが終わった後にまた会えるかの確信が持てないから。ちょっと離れている内に何か起きて、もう会えなくなったら。覚悟していた筈の事が環境が変わるというだけで気に掛かる。

湿気を纏った風がヌルリと首を撫でる。肌寒さに肩を竦めて、ゴツリと背後の壁に頭をぶつけた。
帰省から帰ったら。その間あった事。家族の話。新しい発見。課題の難しいとこ。また色々話せるよね。今は、不安は仕舞っておかなければ。大丈夫大丈夫。
感傷的な気分を払おうと頭を振って息を吐き出す。キリキリと痛む胸を押さえて暫し。無理矢理気持ちを切り替え顔を上げたところで、風に乗って人の話し声が聞こえた。

こんな時間に誰だろうか。同じ特別棟寮の人?こんな雨の日に外に出るなんて……って人の事言えないか。
自分を振り返りつつ放っておくかと頬を掻く。内容までは聞こえないけどこのままだと盗み聞きになってしまうなと壁から背を離し屋内に戻ろうとした時。急に上がった大きめな声が、何と無く聞いた事がある気がした。

どうしようかと迷う。別に何か危険が迫って、という声ではない。でももう夜も更けたこの時間、こんな天気の中外にいるなんて、気になって仕方無い。迷って悩んで。知り合いならちょっと注意がてらお話。知らない人なら様子だけ見て帰る。何にせよせめてどんな人物かだけ見ておくかとパーカーを目深に被った。傘を取りに行くのは面倒だし、直ぐお風呂入れば大丈夫だから。脳内で、渋面でお説教をする先輩を説得して銀の雫の下へ駆け出した。




「…………、……、……て」

「……、だからって……、」

「……あ、やっぱり」


建物を回り込んで林の近く。等間隔で立つ外灯の元、傘を片手に腰に手を当て立つ人と、俺みたいにパーカーを深く被って地面にしゃがんでいる人が見えた。
近付くにつれ聞こえる声は案の定。ハキハキとした声で雨の中ムッスリと顔を顰めて立っているのは山本君だ。それじゃあもう一人は皆瀬君だな。パーカーと影で顔が見えないけど背格好的にそうだ。どうしたんだろう。


「ね、……、……から、」

「はぁ……」


何を話しているのだろう。微かに聞こえる声は雨音に阻まれよく聞こえない。喧嘩ではなさそうだけど……でも何と無く、皆瀬君の声がいつもより低い気がした。そんな二人の声に混じって小さく猫の鳴き声が聞こえる。ひょっとしなくてもそれが原因なのかもしれない。皆瀬君が猫を拾って、山本君が怒っている。そんな感じかな。
微笑ましさに笑いを耐えながら水溜まりを避けつつ近付いていく。二人は話に夢中なのか俺の方に気付く様子はない。わっ、って言ったら驚くかな。
悪戯を思い付いてスウッと息を吸ったその時。腕を組み直した山本君が俺より早く息を吐き出した。


「兎に角いい加減に、」

「良いじゃないか。そんな出会いもドラマティックだ。それこそまるで、」


怒った声色の山本君を遮って朗とした声が響いた。その時初めてあれ?と思った。


「運命みたいだろう?」


足が縺れて変な場所を踏んでしまった。パシャリと水溜まりが跳ねた音に驚いたのか、短く鳴いた子猫がピョンとパーカーの人物の手から飛び出し雨の中を駆け出す。あ!と声を上げた山本君が慌てた様子でその小さな体を追い掛けた。
暗闇の方へ駆けていった背中は追い掛けなければいけないのに、気付いた違和感に視線が捕らわれる。
……あ、れ?皆瀬君じゃ、ない?

明らかに違う声に口調。そして纏う雰囲気。あれ?と同じ言葉を脳内で繰り返していると、パーカーの開かれた部分がこちらをクリッと向いた。ビクッと肩を揺らして半歩足を引く。誰だ。この人は、何だ。
俄かに緊張しだした俺へ向け、おや、と首を傾げた人物の唯一見える唇がゆるりと弧を描いた。


「キミも、『寂しい』子?」


『寂しい』

先輩の部屋に居た時から、いや、きっと随分前から押さえ込んでいた箱の中身が蹴飛ばされ目の前にすっ飛んできた。

サァサァと雨が降る。細かな雫のカーテンは周りの音を遮断してまるで時が止まっているみたい。そんな世界で差し伸ばされた掌が白々と目に映る。息を止めて見詰める暗闇の中その白だけが、嫌に生々しく見えた。



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