3

ジメリとした風が温く木陰を乱す放課後。傾きながらもまだ眩しい日差しが時折目を眩ます林を散策する中、小枝を踏んだ隣の人物が天を仰いで低く呻いた。


「あ、……っつぅ」

「……さっきから、それしか言ってない」

「そりゃだって、こんな暑けりゃ、それ以外の言葉なんて、でねぇよ……」

「……、あつい……」


お前も言ってんじゃねぇか、と睨み付ける和彦君に生返事。山の上だからそこまで暑くはないだろうと思っていたけどやっぱり夏とは暑いもの。緩めた首元をパタパタと扇ぎながら進める足は重い。とっとと終わらせて帰りたい。けれども本日持ち回りのルートは林を纏めて見回らなければならないので殊更長い。あー、もう嫌だなぁ。


「……流石に、こんな、クソ暑い外で、馬鹿な事やる奴なんて、いねーだろ」

「だよ、ね。……帰りたい」

「いや、帰ろうぜもう」


ソロッと視線を向けた先。和彦君も横目でこちらを見ている。よし、帰ろう。……でもその前にちょっと休憩。
側にあった大きな幹の下に並んで腰掛け下げていたお茶を飲む。あっという間に飲み干して軽くなった入れ物をまた下げ直し。少し楽になってみると流石に見回りサボるのは良くないよな、と理性が戻る。もうちょい休んだら続きに戻ろうかと伸びを一つ。


「……なー」

「んー?」

「何か元気無い?」


驚いてパッと顔を上げると、和彦君は空の容器を手で転がしながら木の枝を見上げていた。怠そうな態度はそのまま。どうなんだ、と落ち着いた声でまた問われて、笑って口を開いた。


「元気、は暑さでだいぶ減ってるけど、まぁまぁ元気だよ」

「んー、でも何かあったろ」


断定の言葉に少し口隠る。途端に横から剣呑な空気を感じて、観念して答えた。


「大した事じゃないよ。ただ、質問責めにあってちょっと疲れてただけ」

「質問責め?」

「うん。んー、最初は和彦君と付き合ってるのか、だったかな」

「あぁ?また?」


うんざりとした声を上げ和彦君が顔を歪めてこちらを見た。


「この前の店員といい、副委員長……はいつもの事としても。いい加減ウザいな」

「あはは……本当になんだろうね」


絹山先輩は……まぁ確かにいつもの事だけど。葵君達にも話した通り普段利用しているスーパーに二人で行った時は大変だった。ちょくちょく話す惣菜のおじさんから遂に連れて来たかとか何故か目を輝かされ、他の店員に大声で誤解を広められそうになって。遂にって何だ。まぁどうにか止めて、籠に入った五人分の食料の量に一応納得してもらえたけれど本当に……大変だった。
その日の苦労を思い出し、染々と疲労の溜め息を吐き出していると同じく溜め息を吐いた和彦君が髪を掻き上げた。


「そんでー。他に何聞かれたんだ」

「聞かれたって言うか。何か彼氏いるだろうって矢鱈と決めつけて言われて。違うって否定してもしつこくて」

「ほーん。それはそれは」

「……何か、いつもの、先輩との事持ち出されて。何なのかなぁ、って」


やる気無さげに姿勢を崩し相槌を打つ和彦君から視線を移し正面の生い茂った林を眺める。ザワリと鳴ったさざめきは風に煽られた林の音か。ぼんやりしながら乱れた前髪を直し、ポツリと呟いた。


「何でそう思われるんだろ」

「そりゃーお前は毎日毎晩二人分飯作ってんだからそう思われても仕方ねーだろーよ」

「えー?」

「えーじゃねーよ。最早嫁かって感じの尽くしっぷりじゃねぇか」

「よっ……て、悪化してる……。はぁ……何で飯作ってただけでそうなるの」

「飯だけじゃねぇよ」


じゃあ何だと聞いてもさぁな、なんてはぐらかされ。心外だと口を尖らせ和彦君を睨む。そんな視線はどこ吹く風と涼しい顔で頬杖をついた和彦君がニヤリと意地の悪い笑みを浮かべた。


「で?それで何でそんなに不機嫌なんだ」

「不機嫌、なのかな」

「だろうが。……先輩と恋人と勘違いされたのが嫌だったから、てんじゃねぇだろ?」

「そ、」


可笑しそうな声へ反射的に返事をしかけたその瞬間。ガサリ、と。物音。


「……そろそろ、帰るか」

「……うん」


そう口では言いつつも目は音のした方向に固定され。耳にも神経が集中して何の音かを探りだす。
ガサガサという草を踏み分ける音は右往左往としながらもこちらへ近付いていて段々人の話し声も聞こえてくる。人数はたぶん、二人。
雰囲気的に危うさは感じないけど、仕事は仕事。はーぁ、とうんざりした息を腹から吐き出し膝を叩いて立ち上がる。そして音のする方へ足を踏み出した。


「おい。ここで何をしてるんだ」

「うぇいあ!?」

「……っ!?」

「あー、こんにちは……って、皆瀬君?」


舗装された道も草葉にまみれた鬱蒼とする林の真ん中で。出会った二人組の一人は、いつもと変わらずぼさっとした髪と分厚い眼鏡で半分顔の隠れた皆瀬君だった。



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