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暖かいものに包まれていた。どちらかというと自分の体の方が熱い気がするけど、とても落ち着く温かさ。それが急に離れて、凄く寒くなり目が覚めた。真っ暗な部屋。ふかふかな布団。自分の部屋じゃない場所。でも嗅ぎ慣れた匂い。知っている所。視線を巡らせて確信し、またか、と反省。俺は何度先輩の布団を占拠すれば気が済むのか。
上体を起こし経緯を思い出そうとするが頭が痛く、そして妙に重くてぼうっとする。更にはクラクラとする視界に意識が定まらず思考も纏まらない。風邪が悪化したんだろうなぁ、と他人事のように咳を一つ。途端今日あった事が洪水の様に脳裏に蘇り身を竦める。寒い。恐い。嫌だ。考えたくない。
こないだの引き始めのなんか全然楽だったな。風邪ってキツイねチクショウ。なんて、無理矢理明るく違う事を考える。けれどそんなものは無駄だとばかりに背後から忍び寄る嫌な思考の気配に鳥肌が立つ。体を丸め気持ち悪さを暫く耐えた後、カピカピにヒリつく目元を擦って床に足をついた。
帰らなきゃ。また夜になっているっぽいし。風邪、先輩に移すし。
何とか立ち上がって出口に向かいながら先輩の部屋に来てからの事を思い起こす。飯、ちゃんと作ったっけ。あぁ作った作った。冷蔵庫に仕舞って、そして先輩が帰ってきて出迎えて、それから……どうしたっけ。何か、曖昧だ。とてもほっとした記憶はあるんだけど。
ぼーっと考えながらノブを回し、顔を出そうとしたところで人の声が聞こえて。体が跳ねて思考がピタリと止まった。
「何だこれは」
「熱冷まし。めっちゃ熱あるんでしょ?やってあげてよ」
「何故、座薬なんだ」
「意識無い子が経口摂取できるわけ無いだろ?それとも何かい?口移しなんて少女漫画的な事でもやる気かい?ダメだよ〜そんな寝込み襲うような事。嚥下ミスったら肺炎になっちゃうよ」
「……誰がするか。起きてから飲ませる」
「ん?何で今間があったの?する気だったの?……いや、その顔は違うね。何か疚しいことがあった感じだね。なになに?バンくんには言わないからおにーさんに聞かせてごらんよ」
先輩と、……誰だ?誰かいる。声が違うから隊長さんではない。じゃあ、俺見付かったらヤバイな。
ボンヤリした頭でもそれくらいは分かる。音を立てないよう後退りして、とノブから手を離した瞬間。パッと誰かがこちらを向いた。
「っぁ……、」
「あ。危な、」
慌てて後ろに逃げようとして、グラリと体が傾ぐ。体勢を戻そうとしたけれど手も足も思うように動かず。衝撃に備えギュッと目を閉じたら、強い力で腕を引かれ抱き止められた。
「わー、大丈夫?あららフラフラしちゃって」
「……ふじ、?」
「うん。お邪魔してるよ〜。しかし……起きちゃったか」
「残念そうに言うな」
先輩に支えられながら恐る恐る瞼を開くと、目の前には藤澤先輩が。何故?何で?あれ?先輩普通にしてるけど、見られて良いの?え?とパニクる頭を他所に疲れきった体は揺らぎ唐突に咳き込みだす。慌てた先輩に促され、ソファに座れば背を屈めた藤澤先輩が額に手を伸ばしてきた。
「はーい。ちょっと診せてね〜」
「は……っ、」
「返事は頷いたり首振ったりでいいよ〜。あ、先ずは水分水分〜」
先輩から渡されたスポーツドリンクを飲みほっと息を吐く。思っていた以上に喉が渇いていたようで殆ど飲んでしまうと藤澤先輩から良い子、と頭を撫でられた。火照りがちょっと下がった事で頭の回転もやや回復する。そこで意を決して藤澤先輩に質問をぶつけた。
「ぁ、の。藤澤先輩は、どうして……その、こちら、に?」
「手軽に近くの保健委員だからってことでタッくんに呼ばれたからだよー。道具とかもあらかた部屋に持ってるしね」
……タッくん、て。
藤澤先輩の後ろを見上げて首を傾げれば、苦く眉を寄せた先輩が溜め息を吐いて呟いた。
「……従兄弟だ」
「……………………え」
「あ。そっちか。うんうんそう。だからキミ達のこと他の人にしゃべったりとか、そーゆーのしないから安心してね〜」
いと、こ?従兄弟……ってマジで?
驚きに瞬きを繰り返す俺を見て藤澤先輩が笑う。ビックリした?という問いに頷くとだよね〜、とニッコリ。だよね、って。軽いな。
固まりっぱなしの俺の手からペットボトルを取ると、藤澤先輩はいくつか問診してくる。未だ衝撃が尾を引いている状態でしどろもどろに答えれば藤澤先輩は顎に手をやり首を傾げた。
「うぅ〜ん。時期柄インフルはそうないと思うけど……タイミング悪いことに今日先生泊まり掛けの出張中なんだよねぇ」
「は、あ……」
「もう一人いるにはいるけどあっち口軽いし……。まあ受け答えできるならまだ大丈夫かな。明日になってから検査してもらおーね」
脈を測る体勢のまま繋いだ手を上下に振られ小さく頷いた。すると笑った藤澤先輩が立ち上がって荷物を取りに行く。小さな鞄から何か大きな物を取り出したり仕舞ったりするのをぼんやり見ていたら、視界の端で先輩が口を開いた。
「解熱剤は?」
「どんな病気か分かんないままやってヤバかったら困るからやんないよ。素人判断こわいでしょ」
「……じゃあさっきのやり取りは何だったんだ」
「気晴らし?」
小首を傾げた藤澤先輩を見て先輩は頭を押さえて溜め息を吐く。何か、隊長さんと話している時以上に先輩圧されまくっているような……。
強かに逞しい親戚というのはなかなかに手強いもんなぁ、と自分の従妹を思い出しながら先輩にちょっと同情した。
カラカラと笑った藤澤先輩は鞄から何か取り出し先輩に指示しだす。その間に額と脇の下に冷却シートを貼られたり。食欲は無いと言ったので水分だけ取らされたり。そんなこんなで一息吐く。そして一度ベッドに、と言われて慌てて首を横に振った。流石にもう帰らなければ迷惑すぎる。そう言い掛けた俺を制した先輩は、近寄り腕を伸ばしてきた。
「せ、んぱい。俺、歩け、ます」
「良いから」
ヒョイと抱え上げられ寝室へと連れて行かれる。寝落ちした時とかにやってもらっているとは分かっているけど。起きている時に、しかも人前で、横抱きって。流石に恥ずかしい。と言うか帰りたいのだけれど。
と、抗議したくても今はろくに抵抗できる気がしない。諦めて首に手を回すと、後ろから感嘆の声が聞こえた。
「う〜ん。百聞は一見に如かずというか聞きしに勝るというかー」
「……何だ」
「話には聞いていたけど実際見るとスゴいねって話ー」
先輩と二人でキョトンと藤澤先輩を見る。藤澤先輩はニコニコとするだけで何の話でどう凄いのかは話してくれなかった。
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