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「……お仕事、てんにゅーせーたちと、だったの」
「……その、」
「なんでだまってたの」
「それ、は……。……あの、」
淡々と翳される詰問に答えられない。見られた。見られたのだ。皆瀬君達と会って、話していたのを。彼等を忌避している葵君に。どうしよう、どうしよう。どう見ても怒っている葵君に何と説明しようか考えるが頭が上手く回らない。
は、と短く息を吐いて動揺を治めようとしていると、葵君はどこか遠くを見て小さく俯いた。
「……ゆーまは、ぼくが心配してるの、どーでもいーんだね」
「そんな事っ、」
「っ、そうなんでしょ！」
ここにいて初めて葵君と目が合う。その瞳には涙が浮かび、怒りと悲しみが揺らいでいた。
「お仕事、お仕事って、休んでってゆっても行っちゃうし！」
「それはっ、人がいないから……」
「てんにゅーせ、危ないって教えた、のに、会ってる、しっ、」
「だっ……て、」
「ぼくがいっしょーけんめい……、っゆーまのこと考えても、ぜんぶムシ、するじゃん」
つっかえながら、言い訳は許さないとばかりにぶつけられる恨み言。涙こそ零れていないが鼻音混じりの言葉は今までの不満を伝え、ジリジリと胸を削る。
気遣いを無視してきたという自覚はある。でも、それは仕方無い事で。だって、やらなければ何も解決しなくて。そう言い返したところで葵君を蔑ろにして傷付けてしまった事を是とする答えにはならない。
口を何度開閉しても適切な言葉が出てこず沈黙が流れる。暫くそうしていると、鼻を啜る音を立てた葵君がポツリと呟いた。
「……ゆーまは、ほんとにぼくのこと、……友達って思ってくれてるの？」
「思ってるに決まって……！」
「うそつき!!」
鋭い反論に息を止める。嘘なんかじゃない。嘘なんかじゃ……。
勢いに気圧され、とうとう頬を流れ出した涙をただ見詰める。葵君はしゃくり上げながら話し出した。
「ぼくの、はなし、ちゃんと聞いてくんないし。お仕事ばっかで体こわし、て、っ。遊べないのはっいいけど、約束、なかったことなるの、さみし、……っ。なの、にっこんな、ナイショでてんにゅーせ、あってっ。ほかにもなんかヒミツあるんじゃって、頭ぐちゃぐちゃだし……っ」
「っ」
「あとっ！いつかは、って言ったのに！いつまでもケーゴのまんまだ、しっ。ぼくは、ゆーまと、友達だって、思ってるのに、ずっと、キョリ遠い気がしてっ。それで、……なのにっ、てんにゅーせーたちと、ニコニコしゃべっ、てたりぃ。なんかもう、ぼくなんか、どーでもいいんだって、っ」
「っそんな事ある訳っ、」
「あるんでしょ!?」
無い、と言う呟きは口から出たのか飲み込んだのか。泣き叫ぶような言葉が刺さり言葉を無くす。バラバラと傘を叩く雨の音と両手の中顔を伏せた葵君の抑えた嗚咽が鼓膜を引っ掻いた。肌を伝う雨の冷たさにも反応できずに立ち竦んでいると、葵君は顔を手の甲で拭いて傘を持ち直した。
「……もういい」
「え」
「もう、いいよ。しらない。ゆーまなんて、もう。しらない」
「ま、って。葵く、」
「しらないっ！」
掴んでいた腕を振り払って葵君が駆け出す。追い掛けなきゃ、謝らなきゃ、と思うのに。前回と同じ、いや、それ以上に体が凍り付いたように動かなかった。頭は血の気が引いたまま冷えているのに心臓がバクバクと五月蝿くて何も考えられない。
去っていった傘の色が教室棟へ消えていくのを茫然と見送った後フラフラと歩く。汚れた上履きを脱ぎさっき出たベランダの上がり口に足を掛けたところでバタバタとした足音が教室に入ってきた。
「あ！いた……って病み上がりが何濡れてんだよ！」
「あ……」
「何があったんだ？」
「……いえ、何も」
「何もって、」
「何でも、無いですよ」
目を細め、口角を上げ首を振る。笑えているかは分からないけれど、話したくない。キツい口調で問い詰めてくる東雲君にひたすら首を振って返す。途中大きなクシャミをしてしまい、諦めたような溜め息を吐いた東雲君は兎に角タオルを、と言って廊下へ出た。それに続いて俺も教室を後にする。頭が、ガンガンする。
風紀室に入って直ぐ東雲君は奥の棚を漁ると備品のタオルや制服を押し付けてきた。書類を纏めていた人が驚いて質問してくるのをかわしながら大人しく着替えて報告書を書き絹山先輩の机へ置く。それをしてしまえば今日の仕事は終わりだと言われていた。次の授業には出ておいで、と。それを思い出しながらも、他の人に仕事を手伝うと言って机に座り続けた。
先伸ばしにしてはいけない、なんて分かりきっている。でも怖かった。
クラクラする頭を押さえ、無心で書類に向かっていたが鳴ったチャイムに引き戻される。ホームルームに出る為立ち上がる面々につられ俺も机に手をつく。……このままにしたら駄目だって、前もそう思ったじゃないか。
地面に張り付く足を引き摺り教室へ向かう。入った瞬間怜司君が気付いて手を上げた。ピタリと動きを止めた小さな背中にグッと唾を飲み込んで、二人に近寄る。
「あ、葵、君、あの……っ」
「…………」
「葵？」
気持ちを振り絞って名前を呼ぶ。けれど、葵君は俺を一瞥しただけで何も言わず、少し離れた所にいる友達の方へ駆けていってしまった。怜司君が葵君の名前を呼びながら追い掛ける。一瞬だけ向けられた視線に、俺はまた動けなくなっていた。
「……何。以前と同じ様に意固地になっているだけだろう。大丈夫さ」
「はい……」
放課後、異変を察知した藤澤君へ端的に事情を話したらそう返されノロノロと頷く。前回と同じ、ではない。もっと重大で、もっと決定的で。
また話をしてみる、と言ってくれた藤澤君にお礼を言って席を立つ。ちゃんと前回みたいに仲直りできるだろうか。……できなかったら、どうしよう。
ぐるぐるとネガティブに回る頭の中と同じく視界が回って足が縺れそうに頼り無い。雨のせいか人の多い渡り廊下を一人で進むのは、何だかとても心細い気持ちになった。
逃げたい、何も考えたくない。さっきみたいに、仕事に打ち込んでしまおう。今だけ、ちょっとだけこの事から目を逸らさせてほしい。
なのに、今日は厄日なのだろうか。
「風紀の在籍についての話なんだが……」
ビクリと体が震えそうになるのを咄嗟に抑える。昨日呼び出された通り、里美先生の元へ行ったらそう切り出された。在籍の話？これは、辞めろって話？どうして。何で。何か、ミスをしただろうか。
戦慄く口でそう問えば、苦笑して違うと返される。
「お前の体がついていかんだろうと思ってな。ずっと無理をさせてきただろう？他のメンバーからもあまりに過酷だと相談されるし」
「そんな、事は、無いです」
「そう言って無茶を隠す、ともな。それにこの前試験中倒れたじゃないか。それで他の先生方からも意見が出てな。吉里は特待だし。成績を落とす訳にはいかないだろう」
それを言われたら何も返せない。口を薄く開いたまま俯く。頭がぐらぐらと気持ち悪い。
「だから、な？これ以上負担を掛ける訳にはいかないから、」
「待ってください」
「だが……」
「もう、少しだけで良いですから、待って、ください」
何だか悲痛な声が聞こえる。あぁ、俺の声か。体と意識が切り離されたかのようにふわふわと現実味が無い。
「……分かった。返事はまた後日聞かせてくれ」
「……はい」
「……良いか？吉里。お前に不備があるから言っている訳じゃない。寧ろこちらが悪いから言っているんだからな」
「はい……」
先生の話が遠い。
どうしたら、良かったんだろう。辞めるなら、もっと早く辞めていたら葵君に嫌われなかった？もっと要領良く動いて何でもこなせていたら辞めろって言われなかった？あれもこれもって欲張って、全部手放さないのが悪かった？
ボーッとしたまま風紀室に戻ると東雲君と目が合った。のに、直ぐ逸らされる。何でだろう。……もう、考えたくないな。
何かしらしようと思っていたけれど置いていた荷物を抱えて帰宅する。廊下の窓を打つ雨の音が嫌に五月蝿い。
薄暗い空を見上げたら、何だか急に一人ぼっちになってしまった気がして。酷く寒気を感じた。
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