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委員長命令なら仕方無いと丸一日寝倒した次の日の朝。呆気無い程直ぐ熱は下がり、気怠さは抜けないけれど普通に動き回れる程度にはなっていた。そうなれば寝ているだけというのも暇で。放置していた洗濯物を片付けたり教科書やプリントを読んで纏めたり昨日一昨日できなかった事を一通りやる。それぞれすっかり済ませた後昨日置いていってくれたレトルトのお粥を食べ薬を飲んでまた寝転がり、お昼過ぎを指し示す時計を見上げた。
今日まで安静にするようにと誰からにも言われ、訪問も控えると言われた。久し振りに羽を伸ばしまくりな自分だけの時間を満喫してしまおうとも思った。
でも。
……バレなきゃ、良いよね。
起き上がり、マスクをつけ薄手の上着を羽織った。そしてケータイと学生証をポケットに突っ込み部屋を出る。玄関に立った時にはまだ迷いがあったけれど、思い切ってドアを開けた後は足が勝手に駆け出していた。
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「……お邪魔し、」
「……吉里くんっ!?」
「まっ!?」
ある部屋の玄関へそーっと入り、扉を閉めた途端。丁度リビングから出てきた人物に抱き付かれよろめいた。
「ヤだもうこの子ったらこんなフラフラなのにこんなトコ来ちゃって!」
「いや、あの、」
「ふらついてるのはお前のせいだろ」
肩を掴んで捲し立てる隊長さん。そしてその後ろから眉を寄せて腕を組んだ先輩が出てきた。二人の顔を見てホッとする。二人共怒っているみたいだけど。
「もー。ホントどうしたの?寝てなきゃダメでしょー?」
「熱は下がったんで大丈夫ですよ」
「いやいや、治り掛けが肝心よ?」
呆れに表情を歪めた隊長さんが顔を覗き込んでデコピンしてくる。された所を押さえて眉を下げると、深々と溜め息を吐かれた。
確かに、早くきっちり治すにはもっと寝ていた方が良いだろう。後……天蔵先輩も恐いし。でも、それでも来てしまったのは。
「……先輩ちゃんとご飯食べてるかな……と」
「タカなんてほっときゃいーのにもー。……あー、もうホラホラ。座って座って!」
来ちゃったからにはしょーがない、とブツブツ言う隊長さんに引っ張られソファに座らされる。そうして膝掛けを数枚モコモコと乗せられた。ぶっちゃけ暑いのだが気迫に負け大人しく受け取る。幾つか体調について質問された事に答えると諦めた顔でわしわしと頭を撫で回された。
その間。喋りまくりな隊長さんに対し、先輩はただただ静かだった。それが、恐かった。
「じゃあ僕、もう帰らなきゃなんだけど……病人襲ったり弱味につけこんだりしないでよ」
「誰がそんな事するか」
「…………」
どちらかというと俺の方が弱っているのを良い事に優しい先輩につけこんでいるんだけど。この状態でしおらしくしていれば無下に追い返される事は無いだろう、なんて思って来たし。
そんな思いは口にせず。手を振る隊長さんにお辞儀を返し去る背を見送った。そうすると先輩と二人きりになる。望んで来た状況だけど、緊張に唾を飲み込んだ。
「……風紀委員長に外出禁止を言い渡されたんじゃなかったのか?」
「そう、なんですけど……」
急な、でも尤もな言葉に抱えた膝掛けを弄りつつ口籠る。確かに昨日そうメールを送って今日まで来られないと伝えていた。先輩からもそうするようにと念を押される返事も貰っていた。……やっぱり、怒られるよなぁ。
視線を床に落として怒られる覚悟を今一度決め直していると、短い溜め息が聞こえた。
「……食欲は有るのか」
「え?」
「食べていくだろ」
テーブルの下からデリバリーのメニューを出した先輩が手招く。怒らない、のか?
おっかなびっくり伸び上がり表を眺める。粥を作らせるか、とメニューに無い物を呟かれ突っ込みを入れようとしたが、続いて自分の料理を選ぶ先輩に目を見開いた。
「……先輩が自分からちゃんと飯選んでる」
「……そんなに驚くか」
だって。基本的に食べなくても良いと思っているって言っていたし。遅くなるから出来合いになるって日はまた栄養ゼリーでも良いとか言われた事もあるし。マジでこっちが何か言わないとろくな物食べないって思ってたんだからそれは驚くさ。
パチパチ瞬いていると、先輩は不機嫌そうにそっぽを向いた。
「病人に心配掛けさせる程、不摂生でいられないだろ」
「あー、ははは……」
さっき俺が言った来た言い訳は存外先輩を傷付けていたらしい。謝るとジト目を返される。失敗したなぁと困っていると、また溜め息を吐いた先輩が手を伸ばしてきて、思わず目を瞑った。
「未だ少し熱いか?」
「……先輩の手が、冷たいんだと思いますよ」
「そうか?」
額に当てられた掌の温度にほっと息を吐く。冷たくはないがいつもよりぬるく感じるのは、気のせいにしておこう。
額の熱を測った掌は頬を撫で、耳の後ろを通り、首へ滑り落ちる。順に体温を確かめる様子は真剣だけれど、触れられるのはどうも擽ったい。
笑いたいけど先輩があまりに真面目な顔でやるものだから必死に耐える。一通り測った後離れる温度に、肌だけでなく胸も寒く感じるな、とぼんやり思った。
「どうした」
「え?あ。えーっと……」
問われ、何事かと視線をさ迷わせれば、いつの間にか離れようとする先輩の手を掴んでいた事に気付く。言い訳を考えつつ、その手を離せないでいた。
名残惜しい、寂しい、もっと、触ってほしい。
一人でいる時に持った欲求が一気に沸いてくる。言ったら迷惑だろうか。
止めとこう、という冷静な考えが欲を塞き止めるが、握る手の力は余計に入る。
おろおろとしながら先輩を見上げると、穏やかな眼差しがジッと見下ろしてきた。
……良いや。今までもスキンシップは沢山してきているし。先輩だったらそこまで嫌がられたりしない筈。こうなったら思いっきり優しさにつけこんでしまおう。
開き直って望みを口にしようとして、首を傾げる。何と言おう。抱き締めてください?……いや、待て。何だそれ。変だ。色々可笑しい。
言葉にする事で改めて変な願いだと気付き慌てた。前も同じ事頼んだけれど、そもそもこれは女々し過ぎじゃないか。キモいよな。やっぱり止めよう。
手を無理矢理離すと、一瞬ポカンとした先輩が笑って頭を撫でてきた。これで良い、十分だと目を細める。そうして感触に落ち着いていると、急にギュッと暖かいものに包まれた。
「これで良いか?」
「……え?」
目を開ければ先輩に抱き締められていて。あれ?俺口に出していたのか?と混乱していれば何と無くそんな気がした、と背を撫でられた。柔らかく包んでくる両腕に吐く息が震える。こちらの気を汲んでくれた先輩に感動と、それなのに自分は傷付けたんだという申し訳無さに潰されそうになり、訂正しなければと口を開いた。
「先輩、すみません。さっきの嘘なんです」
「ん?」
「先輩が心配だから、じゃなくて。俺がただ先輩に会いたかったから来ました」
二日間、先輩に会えなかった。過ぎてしまえばあっという間の時間。だけど無性に恋しくて。
「怒られるかなー、って思ってたんですけど。こうしてもらえて、凄く、嬉しいです」
首元に顔を埋め目を閉じる。文字や電話越しでない言葉も声も。触れる指や匂いも。全て傍にある。それがとてつもなく嬉しい。
喜ぶ気持ちを込めて背中に手を回すと抱き締める力が強くなった。
「……俺も、会いたかったよ」
耳許で囁かれた言葉に口が緩んだ。トントンとリズムを付け背中を叩く音に笑って凭れ掛かる。頬を擦り寄せ力を抜いていると、段々と瞼が重くなってきた。
「……やっぱりそうとう無理して来ただろう」
「そんな事、ないですよ」
あ、疑われている。
脱力する俺の体を抱え直し、少し離れた先輩が俺の頬を撫でた。また体温を測るような動きにうっすら瞼を開く。
殆んど開かない目で見えた先輩の額にシワが寄った。何だろう。辛そうな、何か決めかねているような、そんな表情。
「あまり辛いようなら……」
「……先輩?」
「……いや、何でも無い」
苦い笑みを浮かべ先輩が首を振る。ざわざわと耳の奥で嫌な音がする。なんか、嫌だな。また熱でも上がるのだろうか。
沈んでいく意識の中、不安になって背中に回した手に力を込める。宥めるよう撫でる掌の暖かさを感じながらゆっくり瞼を閉ざした。
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