風邪引き
風邪だと認識して気が抜けたせいか、朝目が覚めたら熱が更に上がっていた。そう言えば折角貰っていたのに薬を飲み忘れていたな、とクラクラする頭を上げ近くに落としていた鞄を引き寄せる。何か胃に入れた方が良いだろうが……動きたくない。
寝転がったままぼーっと虚空を眺めて暫く。面倒になってこのまま寝てしまおうと瞼を閉じ掛けたところで軽いチャイムの音が鳴った。お客さんなんて珍しい。しかしこんな時に限って来るなんて。
半開きな寝室のドアを眺め眉を顰める。あまりの怠さにいっそ居留守を使ってしまおうかと思っていたら、玄関の開く音と話し声が聞こえてきた。え。は?誰?何?鍵は?どうしたし。
驚きとちょっとした恐怖心に混乱している内に上がってくる気配がして上半身を起こす。ベランダへ逃げるかどこかへ隠れるかと頭を巡らしたが体は思うようにいかず、息を詰めてドアを見詰める。いよいよこちらに踏み込まれる、と緊張に布団を握り締めると、ドアから小さな頭がひょこり飛び出した。
「おじゃましま〜す……」
「……寝てるのか〜?」
「ぁ、おい君、さとし、君?」
「藤澤君もいるぞ」
見えた面々の名を呼び、最後に顔を出した藤澤君を見て、は、と息を吐く。渇いた喉のまま出した声は嗄れ、掠れていた。数度噎せると慌てた様子で葵君が駆け寄ってくる。背を撫でられて落ち着きを取り戻すと安心顔の怜司君から水を渡された。
「あのね、おみまい来たの。勝手にあがってごめんね」
「いえ、ありがとうございます。あの、でも、鍵は……?」
「なんかいいんちょーが持ってた」
「委員長特権だな。……というのは冗談で。寮監に訳を言って借りてきただけだ」
成る程、とペットボトルを頬に当てる。顔が熱い。ぼやっと納得しているとダメっぽいな、という呟きが聞こえて首を傾げた。何がだ?
訊ねようとする前にベッドの上にボスンとビニール袋が乗っけられて意識が逸れた。
「何が要るか分かんなかったから色々買ってきたぞー。頭冷やすやつとー、スポーツドリンクとー、のど飴とー、」
「いっぱいありますねー……」
「お粥も有るぞ。台所借りても良いか?」
「え……、あ、はい」
「レトルトでワルいけど料理はできねーからなーオレら」
怜司君が謝りながら袋から取り出した冷却シートを額に貼ってくる。ヒヤリとした感触に震えると寝るように促された。大人しく横になりまた別の袋から物を出し並べる三人を眺める。
「三人とも……」
「ん?」
「なあに?」
「ありがとう、ございます。後、心配掛けて、ごめんなさい」
「どーいたしまして」
「いーってことよ」
「気にせず先ずは風邪を治す事だ」
思っていた通りの答えが返り笑う。昨日は申し訳無さで若干潰れ掛かっていたけど、皆優しくて本当に有難い。
氷枕を作ってもらい心地好さにウトウトしていると、レトルトのパッケージをジッと睨み付ける藤澤君の姿に気付いた。俺の視線を辿って見た葵君もキョトリと首を傾げる。
「……そういえばいいんちょーって台所使えるの?」
「以前電子レンジを使ったら爆発して、以後何も触るなと怒られたんだが……湯を沸かすくらいなら恐らく使えるだろう」
「……ちょっと待って。オレも付いてく」
部屋を出ていく藤澤君を怜司君が小走りに追う。その背中にお願いしますと必死に声を掛けた。藤澤君は何でもできそうだと思っていたけど、機械音痴なのか料理音痴なのか。どっちにしても怖い。
乾いた背中に冷や汗が垂れる感じを覚えながら脱力する。なんだか眠気が消えてしまった。
「んー、じゃあゆーまは今のうちに着替えちゃう?タオルとか取ってくるよ」
遠慮しようとしたが張り切った様子の葵君に苦笑して着替えの場所を伝える。タオルを取り出し濡らして戻ってきた姿を見ながらふと思い出した事に眉を下げた。
「葵君」
「ん?どーかした?」
「遊び、行けないみたいでごめんなさい」
「そんなの気にしなくていーよ」
本来、明日は遠出しようと約束していた日だ。しかしこの調子では明日外で遊べる程の回復も難しいだろう。
申し訳無さと自分も楽しみにしていた分のがっかり感に項垂れる。そうするとパタパタと手を振った葵君が側にしゃがんだ。
「ゆーまがムリしないでちゃんとおとなしくして風邪治して。そのあとも元気にしてれば、それでいーよ。まんぞく」
「……そうなんですか?」
「そー。だから治ってからお仕事戻っても危ないことにつっこんでったらダメだよ。いーい?」
「……ふふ。はい」
ほっとお礼を言えば照れ笑いをした葵君が二人とも遅いね、と台所を見に行く。その間にもらったタオルで体を拭いて服を替えた。スッキリとした気分になるが、手足が熱くて体が寒い。まだ熱が上がるのかもしれないなぁ、と考えながら布団に潜り込む。
水を飲みながら待っていると藤澤君がお盆を持ってやってきた。何とか無事にお粥を温める事ができたらしい。げっそりして葵君に慰められる怜司君が気になるが、何も聞けずに匙を受け取る。今度、しっかりお礼をしよう。
そうして食べ終え薬を飲んで暫く。また眠気がゆっくりのしかかってきた。それに気付いたらしい藤澤君が帰ろうかと言って立ち上がった時、またチャイムが鳴った。
「大丈夫かーっ、てなんかいっぱいいるな」
「あー、東雲くんだー」
「久しぶり〜」
葵君達に出迎えられた東雲君が何か紙の袋を揺らして入ってくる。差し入れ、と渡されたのはお菓子の山だった。風紀のメンバーが手当たり次第入れたらしい。ぎっしり詰められたそれを苦笑して受け取り脇に置く。その様子を見ていた葵君が何か言いたそうにしていたけれど藤澤君に促されて帰っていった。布団の上で見送り傍らに立つ東雲君を見上げる。眉を顰めた東雲君は一つ溜め息を吐き口を開いた。
「熱は?」
「あー、まだ、ちょっと」
「ちょっと、って言うなら凄く有るんだな」
言い淀むと東雲君は腰に手を当て目尻を吊り上げる。そんな彼から視線を逸らし布団を被って隠れると、枕元に置きっぱなしだった体温計を取られてしまった。履歴を確認した東雲君がまた大きな溜め息を吐くのを怖々と見上げる。眉間にシワが寄る顔を見て、大丈夫ですよ、と声を掛けたら苦い顔をされた。
「…………。やっぱり……」
「?」
「……兎に角。今日明日は部屋から出ず寝てる事。これ、委員長命令だからな」
「うぇっ」
委員長命令って、天蔵先輩命令か。マジか。それは破ったら……恐ろしい。
想像して震える俺の頭に軽く手刀が落とされる。呻く俺の側をポンポンと叩いた東雲君は、早く治せよ、と呟いて歩き出す。慌ててお礼を言うと手を振って出ていった。
ドアが閉まって、静かになった部屋を見回す。色んな物は沢山増えたけど、誰もいなくなってしまったなぁ。等とボケーっと考えて、ボフンと布団に潜った。
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