積み重なる悩み

「あれ?お仕事ですか?」

「いや、ただの趣味だよ」

「へぇ……。どんなのですか?」

「言語について、かな」


夕食後、皿を洗い終えて戻ると先輩が本を読んでいて思わず問い掛けた。ただの読書なら安心だと一息吐く。たまに書類を持ち帰っていたりするから心配なのだ。忙しいのは分かっているけどあまり根を詰めないでほしい。
しかしいつも仕事の事ばかりで趣味の事をなんてやっている姿を見るのは初めてな気がする。ほっとするけど……言語って。またなんか難しい外国語とかか。英語でもういっぱいいっぱいな俺には余計頭が痛くなりそうな本だなと渋い気分になる。

難しい顔をした俺に笑った先輩は本を閉じ仕舞うとソファに座り直した。体をずらしてスペースを空けた先輩を不思議に思いつつ、手招く仕草につられて近付けば座れと横を指される。何だろうと疑問はそのまま大人しく座れば慎重な手付きで首に触れられた。


「まだ痛むか?」

「……少し」

「……悪いな」

「いえいえ」


申し訳無さそうに訊ねる先輩に苦笑して返す。寝違えた痛みはなかなかしつこくまだ少しだけ動かすと痛い。けれどだいぶマシになったし、そのままの体勢で寝た俺も悪いし。先輩がそんなに気にする事じゃないんだけどな。
そう伝えても困ったように眉を寄せた先輩はそっと首を撫でてきた。擽ったいのだけど、優しい手付きが気持ち良くて目を細める。あ、やべ。眠くなってきた。
ゆったりとした空気に触発されうとうとと緩慢に瞬きを繰り返していると先輩の手が離れていく。ちょっと残念に思いながら欠伸をした。ところで、予期せぬ感触が首を襲った。


「ヒ、ひゃっ」


ヒヤリとした感触に思わず飛び上がり悲鳴を上げる。冷たい物が貼り付く首を押さえて仰け反れば、先輩が吹き出して肩を震わせだした。


「ちょ、なっ何、何ですかっ?」

「湿布だよ。一応、用意しといたんだ。今更かもしれんが」


口元を押さえたままピラリと見せられたセロハンの一片に脱力する。有難いけど貼る前に言ってくれ。
一気に眠気が吹き飛んだ頭で文句を呟き肘掛けにしがみつく。恨みがましく半眼で睨むと、クスリと笑った先輩が口を開いた。


「友達との事は大丈夫だったのか?」

「え?あ、はい。……仲直り、できました」

「そうか。良かったな」

「はい……」


微笑み、ポンと頭に手を置かれ力が抜ける。
昨日から今日に掛けてずっと気掛かりだった問題。今日一日くらい丸っとそれだけで頭がいっぱいなままだろうと思っていた事。解決したのは良かったんだけど。別な問題が浮上しているんだよな、と浮かんだ考えを振り払う。


ただの推測でしかなくても先輩の親衛隊が疑われているという事。帰ってきた先輩の顔を見てから、ずっとちらつく山本君達の話を必死に頭から追い出す。先輩や隊長さんの事だから隊の事はよく見ている筈。いっその事どうなのか聞いてみたら早いのだけど、それを気にしていると知られたらきっと困らせてしまう。二人ともただでさえ仕事で忙しいのに騒動の原因扱いなんて心労、重ねさせたくはない。

証拠も無い当てずっぽうな推理。分からない事だらけなのだから先ずはちゃんと情報を集めて。何でもないと分かるか、解決させてスッキリさせる。そうして笑い話にできるまでは先輩には何も言わずにこっそり調べよう。……あ、なんかこう、隠密っぽくて格好良いかもなこれ。
そう、真剣に考えなければならないのを茶化したのが悪かったのか。


「それで。今度は何を悩んでるんだ」

「え」

「いや、そうだな……。俺に何が聞きたい?」


あれ?何かバレている?
固まった俺にニッコリと笑った先輩は肘掛けに手を付きこちらへ体を傾ける。そのちょっとした動作で俺はソファの背凭れと腕の間に閉じ込められてしまった。


「え、あの、……え?」

「吉里?」

「えっ、と……」


隠しても無駄だ。薄く細めた目がそう告げていた。笑って誤魔化すのは効かず、物理的な退路も絶たれ。軽くのし掛かられた状態の俺は、決意も虚しく山本君達の話を洗いざらい吐かされた。




「つまり。転入生の騒ぎは俺の親衛隊、若しくは俺が煽動していると思われている訳か」

「そ、そこまでは言われてませんけど……なんか、発想の転換みたいな、思い付きとかって……」

「兎に角怪しまれているんだな」

「あー……はい」


観念して頷けば先輩は思案げに視線を外すと顎に手をやり、ふうん、と呟く。あぁ……。自分の誤魔化しの下手さと意志の弱さが憎い。
暈す事すら許されず、キッチリ全部聞き取られてしまった後はただ反応を待つばかりだ。山本君達の考え、として話したけれど俺も先輩達を疑っていると思われただろうか。それは、ちょっと嫌だな。立場的に少しは考えてみたけれど疑いたくない気持ちが強い。公平さに欠けた思考じゃいけないと分かっていても、疑う事でもし先輩に厭われたら……落ち込む。
いや、こうなったらもう保身は置いて兎に角先輩の話を聞かなければ。知っていても知らなくても何かしらの情報を。そしてもし親衛隊の方で何か不審な点があるなら先輩自身の安全も気を付けてもらわなきゃだし。……あぁ、でも訊いて余計嫌がられたら……いやいや、それでも……、けど……。
心中の葛藤は治まらず、居心地の悪いまま縮こまる。そうして待つ事数秒。こちらに顔を戻した先輩が話し出した。


「確かに、俺の親衛隊の中で妙な動きをしている奴はいる」

「え」

「詳しくは調査中だがな」


サラリと言われた台詞に口をポカンと開いて先輩を見上げた。急に与えられた情報を上手く咀嚼できずに頭の中で反復する。そして漸く理解して、先輩の腕を掴んで口を動かした。


「は、の、それ、は、」

「その内風紀にも協力は請う事になるだろうが……まぁ、未だ先の話だな」

「親衛隊って、先輩は、」

「あぁ。ちゃんと警戒してるし、今のところ危ない事は無いよ」

「あの、俺は……!」

「何もしなくて良い。普段通りの事だけやってなさい」


何か手助けできる事は。そう訊ねようとした言葉を遮られた。落ち着かせるよう肩に手を乗せられたが何もしないでいられるものか。掴んだ手に力を込めて訴えを舌に乗せた。


「でも、俺にも何か、できる事は……」

「今は万里や他の人間に動いてもらっている。……お前にも何かあったらその時に頼むから」

「ですが……」

「人一人ができる事は限られている。何でもしようとしなくて良いから、あまりそう考え込むな」

「……はい」


頭を撫でた指が少し伸びた髪を耳に掛ける。優しい言葉と仕草だけど、今のは頭を殴られたような衝撃があった。

俺、できる事だけやろうなんて考えていたけど。何でもかんでも手を出そうとしていた、のか。先輩を手伝いたいとか。皆瀬君達助けたいとか。そんな頭も力も無いくせに。それで闇雲に首を突っ込むのはただ邪魔になるだけなのに。それだけはしないようにと考えていたのに。



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