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ぼんやりした先輩の顔が近付いてくる。相変わらず真っ黒な瞳だな、なんてボケた事を考えたのは一瞬で。驚く暇も無く口を塞がれる形で覆い被さられた。


「うっ、ん?」


口は先輩の肩に。背と頭は先輩の長い腕に。押し当てられたり強めに巻き付かれたり。軽く体重を掛けられ、上げた疑問は、んん?と意味の無い言葉になった。あれ?抱き付かれている?


「んーんー?」

「…………」


口を塞がれたまま鼻呼吸で声を掛けてみるが返事は無い。よろけそうな足を踏ん張りズッシリとした体重を支えようと先輩の背に腕を回す。あーこれは相当参っているな。
溜め息が耳に当たって擽ったいしぐったりと寄り掛かられて結構重い。なんとか顔を上げて窺い見れば昨日より疲労の色が濃くなっていた。


「……んー、う、んっ……ぶは。ゲホッ」

「…………」

「はーっ。あー……大丈夫ですか?」

「…………あぁ」

「大丈夫じゃないですね。歩けます?」

「…………」


首を振り、背伸びをし、ちょっとの隙間からどうにか頭を離す事に成功して暫し噎せる。それでやっと先輩に話し掛ける事が出来た。けど、会話はできていないような……。仕方無い。こうなったらどうにかして先輩を寝室に連れて行こう。


前してもらったみたいに抱えて……は悲しい事に無理だから肩を貸し、半ば引き摺る感じで部屋に上げる。一応歩いてはいるけれど、力無くついてくる先輩に眉が寄った。そんなに大量、若しくは凄く疲れる仕事でもあったのだろうか。

モヤモヤしつつ辿り着いたドアの前で鍵を出してもらい、先輩を支えながら寝室に入る。電気、は手を離すのが怖いので暗い中前回の記憶を頼りに前へ進む。膝に柔らかい物が当たった事にほっとすると、力が抜けてうっかり一緒に倒れこんだ。一瞬ヒヤリと粟立った背中がバフリとスプリングの効いたマットレスに沈む。


「あっ……ぶな」


バクバクと鳴る心臓を宥めハッと先輩の様子を見ると、俺の頭と腰を庇うように腕を回してくれていた。こんな状態なのにどんだけ紳士なの。相手の俺男なんだけど。
有難いような呆れるような悔しいような。複雑だけれど取り敢えず抱き抱えられた体勢から抜け出しベッドに先輩を引き摺り上げ見下ろす。制服、シワになるよな。


「先輩、服脱げます?」

「…………」

「うーん……。ネクタイとベルトだけ外しますよ?」


微かな呻きを了承と勝手に判断し首元へ手を伸ばす。あ、何だこれ。父さんに習ったのと結び方違う。
頭を捻りながらネクタイを解きベルトを引き抜く。ついでにボタンも一つ二つ外してやれば呼吸が楽になったようでほっと息を吐く姿に俺も力を抜いた。これで大丈夫かな。
布団を掛けてやり、じゃあ帰ろうか、とベッドから降りようとして、手首に引っ掛かり。


「先輩?」

「……帰るのか?」

「……えー、と」


掠れた低い声に頭を傾げ口ごもる。なんだろう。人寂しいとか?
視線をさ迷わせもう一度布団に座り込む。この様子じゃ直ぐ寝るだろうし、それまで見てから帰っても良いだろうか。でも、しっかり握られた手首を離すのは躊躇われるような……。
少し考えてから先輩の隣に体を横たえた。


「先輩」

「……ん?」

「今日は泊めてください」


ボーッと見てくる先輩を置いて下から引っ張り出した掛け布団を被る。ちょっと腹減っているし汗も気になるけど、飯や風呂は明日の朝でも良い。料理は冷蔵庫に入れているし、課題も終わっている。
寝易い体勢を探し寝返りを打ってから、先輩に視線を合わせる。


「俺も、一緒に寝ますから」

「……吉里?」

「飯や風呂じゃなくて、俺が良いんでしょう?」


泊まるにしても向こうのソファとかに行けば良いんだろうけれど、何と無く離れ難い。幸いベッドは広く、俺と先輩が寝転がっても十分なスペースがある。だから良いだろう、と笑いながらポンポンと肩を叩けば薄暗い中先輩の真っ黒な目が俺を見た。凪いだ瞳へ俺の顔が映る様子に、ちょっとドキリとする。


「……ありがとう」

「は、……い?」


言葉と共に首の下と腰に腕が回り少し強く抱き込まれた。ちょっと待て。これはちょっと、いや、かなり恥ずかしい。
でも一緒に寝ると言った手前抜け出し難く。……これ、寝返り全然打てないから明日絶対筋肉痛だわ。その時は先輩に文句言ってやろう。
あ、向こうの電気どうしよう、とか。俺なんか抱き枕にしても寝心地悪いんじゃないか、とか。色々考えたけど、目に映った穏やかな寝顔に別に良いか、と俺も目を閉じた。






寝よう、と思って目を閉じた。けど。頭が妙に冴えて寝付けない。早く寝なければと思うのに。

ゴソッと衣擦れの音をさせてポケットを探る。暗闇に光る液晶には、着信もメールも新着の報せは無い。そんな画面を見ながら、ジワジワと胸の奥から湧いてくる暗い感情に唇を噛んだ。



――大丈夫。
明日には、返事来るって。
――――大丈夫。
仲直り、出来るって。



本当に?



頭の中が、グルグル、する。
車酔いでもしたように自分の体の位置が分からなくなる。気持ち悪い。
大丈夫だと、いくら言い聞かせた所で結局は虚勢で。空元気なんてそうそう続かない。暗い中で落ち着くと、不安が余計に噴き出してくる。
嫌だ。怖い。キツい。辛い。

起きていると考えに嵌まりそうで、どうにか寝たい。でも目を閉じると葵君の傷付いた顔が浮かんでまた目を開く。グルグルと、吐きそうになる。


身を縮めて首を動かし中空を見やる。今日は眠れないかもしれないとぼうっとしていると、俺を抱え込んでいた体がモゾリと動いた。


「……先輩?」

「…………」

「えっと……すみません、起こしました?」


うっすら目を開いた先輩が無言のまま見詰めてくる。落ち着き無く身動いでいたから気になったんだろう。見えないだろうけどぎこちなく笑みを作り寝るよう促すと、腰に回されていた手が動いた。そしてそっと頬に置かれた手の親指が目尻を擦る。


「うあ、あの。何でもな、」

「…………」

「え?なん……むぐ、」


泣きそうになっていたなんて知られたくなくて、少し距離を取る。するとポソポソと先輩が何か呟いたのだがよく聞こえず、訊ね返すと、抱き締める腕に力が入れられた。

片手は頭を、もう片方は背中をゆったりと撫でてくる。落ち着かせるように、慰めるように。
寝惚けての行動かもしれないけど、その優しい温度に鼻の奥がツンと痛くなり先輩の胸へ押し付けた。目の奥と瞼が熱く痛い。目をギュッと瞑り鼻を啜って先輩にしがみつく。


「…………ふ、……っ」


滲んできたものが少しだけ目尻を濡らす。鼻が詰まって息がし辛い。でも暫くすると暖かい温度と匂いが徐々に思考を奪い、気が付けば夢の世界へ旅立っていた。



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