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「……大丈夫か?」

「大丈夫です」

「…………」


隣から掛けられた声に視線を一瞬だけ向けて答える。手元の書類は、ここに来てからあまり減っていない。この行を読み返すのはこれで何度目だろう。読み進めては途中で思考が散漫になり文の意味が分からなくなっていく。ああ、もう嫌だ。


「何があったんだ?」

「……いえ、何も」


パサッ、と紙の落ちる音がしたかと思うと背凭れを掴まれ向きを変えられた。眉間にシワを寄せ、怒ったような表情の東雲君が腕を組んで聞いてくる。その問いにさっきの光景を思い出し、軽く唇を噛んで緩く首を振り答えた。
何もって、と問い連ねる東雲君には悪いけど、今は気持ちを押し込めるだけで精一杯で取り繕えもしない。椅子を戻してまた作業に戻る。

また最初から目を通す事になったがどうにか読み終わり、チェックを付け籠に放りやった。慣れた筈の作業も嫌々やるとここまで効率が落ちるのか。積み上がる紙面を取り上げ次の仕事に取り掛かった。


あの後、予鈴が鳴った事でハッとし怜司君を教室棟へ帰してからその足で風紀室まで戻ってきた。何度も振り返る怜司君を安心させる為、大丈夫だと繰り返したけれど今の東雲君と同じ様な反応をされたなとまた思考が逸れる。他に詰めている人達からもチラチラ見られているし、そこまで酷い顔をしているんだろうか。まだ、横から視線を感じるがそちらを見ないよう文面に集中する。




気遣わせているんだとは、頭では分かっている。怜司君も東雲君も、相談事は苦手だと言いながらも励ましたり話を聞こうとしてくれているんだと。でも今はそれが辛く、そして……煩わしい。そんな風に思ってしまう自分が、嫌だ。
自業自得の事だから心配される価値なんか無い。あぁ、どうしよう。謝りたい。でも怖い。会いたい、会いたくない。


じわじわと意識が書類を滑りまた意味の無い思考に嵌まり掛けていると、荒いノックから間を開けずバンッと扉が開かれた。
肩で息をしながら入ってきた風紀の先輩に、他の先輩が何事かと問う。どうでも良いかと作業に戻ろうとしたのだが、返された言葉に思わず顔を上げてしまった。


「生徒会室に、副会長がいた」

「え」


パチン、と。一瞬頭を覆っていた靄が弾けたように切れた。ポカンとしている間に風紀室に残っていた人がその先輩に矢継ぎ早に質問を投げ掛ける。


「今更戻ってきたってか?」

「いやそれが結構前から仕事はちょっとはやってた……らしいぞ?」

「は?嘘吐け」

「んー。まあそんな話せた訳じゃねえからわかんねーけどさあ」


同じ様に、今更、と思わず喧嘩腰に投げ付けた幾つかの言葉に副会長はポツポツと少しだけ答えてくれたらしい。


「申し訳無い、っていう気持ちで生徒会室行きにくかったらしいんけど、これじゃ駄目だっつってちょっとずつ戻ってきてたとかなんとか?学園や生徒に迷惑掛けといて自分がずっと尻込みばっかしてるわけにはいかないからとかってさ」

「ふーん。意外に熱血ー」

「…………」


他の役員も仕事はしているようで、最低限体裁だけ整えたらキチンと全生徒の前で謝罪するつもりだ、と。副会長の言った言葉を伝え終えた先輩が腕を組む。


「まあまだ準備できてないからこれは秘密に……って、あ」

「……あーあー」

「あー……。まあ、今いる奴等なら大丈夫だろ、うん」


見回りやら資料集め、書類提出等で室内にいるのはほんの数人。先輩は内緒な、と茶化されながら周りに言った。


「じゃあリコールはほぼ無い感じ?」

「マジかー。よかったわー……」

「あ?あんた生徒会のメンツ嫌いじゃなかったか」

「嫌い嫌い。でも一応反省してんなら良いかなっつーか。何より……リコールってなると手続きだとか新しい役員決めたりとかただでさえ忙しいのに更に仕事増えるじゃん」

「だよなー」


皆意見に同意すると笑い出す。
そうだな。もしかしたらリコールもあるかもなんて噂されていたけれどまた新しい生徒会を作るより、戻ってくれる方がずっと良い。後悔して、反省して、行動しているのなら。そうして生徒会が正常に起動すれば学園もきっと元に戻るだろうし、風紀の仕事もグッと減る。
……って事は会長である先輩の負担も減るのか。


「おう?何だ吉里。お前もそんなに嬉しいか?」

「……え」


急に話を振られ驚き固まる。そして言われた言葉を認識してから口に手をやると、口角が上がっていた。その感触にパチパチと瞬く。……笑っている。


「あ、は、はい。お仕事、減りますよね」

「なんだよー。仕事が憂鬱だっただけかー」

「すごく思い詰めた顔してたからどうしたのかと思ったよ」

「吉里元気無いと東雲まで元気無くなるからな。まあ元気だせ」

「う……、は、い。すみません」


そこまで仕事減るのが嬉しかったという訳ではないけど、自分でも何で笑っていたかよく分からないので取り敢えずこの場はそういう事にしておこう。
それより、東雲君以外の委員達からも思った以上に心配されていたのだと気付かされ居たたまれない。うんうん、と頷いて投げられる視線をかぶりを振って気にしないようにし、一息吐いてから横を見た。


「大丈夫……だよ、な?」

「……はい。すみません。大丈夫です」


心配そうな東雲君の顔を、初めて正面から見て答える。ジッとこちらを見詰め返してきた東雲君はそっか、と一言溢すと力が抜けたように背凭れに体重を掛けた。


現金だけど、良い知らせにちょっとだけ気が晴れた。まだ本調子ではないけど、大丈夫。笑えている。


頭がやっと働き出した感覚がして、そして副会長の台詞を思い返す。
嫌われたんだとショックで落ち込んでいたけど、鬱々と考えているだけじゃ、葵君に謝れもしない。尻込みしていては駄目だ。しっかりしなければ。

ずっと葵君の事で悩んでいたつもりだったけど。自己嫌悪って結局また自分の事だけしか考えていないじゃないか。傷付けたのは俺なのに被害者ばりに塞ぎ込んでいたんじゃ本当にただの馬鹿にしかならない。
先ずはメールを送って、話をしよう。もし、返ってこなかったら怜司君か藤澤君に送って葵君の様子を聞いて。……兎に角、何とか、しなければ。


停滞していた思考がキチンと動き出す。そうすれば、まだ胸は痛いけれど体もちゃんと動かせる気がしてきた。一先ずはこの目の前の仕事を片付けてしまおう。軽く頬を数度叩き、ペンを掴む。


「手伝う」

「あ、う、ありがとうございます」

「良いって事だ」


東雲君は書類を分けると嬉しそうに笑って背中を叩いてきた。それに俺も笑って返す。不安は全然消えていないけれど、きっと大丈夫だと自分に言い聞かせ書類に目を落とした。











何があったのかは知らないけれど、たぶん、役員が帰ってきたという事で何と無くお祝いをしようといつもよりしっかりとした晩飯を用意する。まあ大した事は無いんだけど。あぁでもあの情報は秘密らしいから知っているとバレない為には丁度良いか。

落ち着かず、無駄な動作が増えながらも終えた調理と課題。やる事が無くなってボスリと腰を下ろした。時間を掛け、どうにか書けたメールを送ってからだいぶ経つ。未だ葵君からの返事が来ないケータイを握り直しテーブルへ突っ伏した。

時計の音が耳に障り針をちょっと睨む。その位置を確認し、いつもより遅いなと気付いた所でガチャリと玄関から音が聞こえた。


「おかえりなさい」

「……ただいま」

「ご飯出来てます、けど……先にお風呂入りますか?凄く疲れてるみたいですし」


聞こえた声に安堵し、その顔を見上げればなんだかぐったりした様子。閉じた扉に背を付け深く息を吐く先輩に苦笑してそう訊ねるが返事が無い。これはなんかもう食べずに寝た方が良いかもな。
普段よりも憔悴した勢いで疲れ果てた姿にどうします?と聞きながら小走りで近寄る。風呂の沸かし方は俺のとこと一緒だよな。いや寧ろもう寝室に押し込んじゃった方が良いか。等と考えているとボンヤリしていた先輩が緩く顔を上げひたりと俺に目を合わせた。


「お前」

「は?」


意味が分からず聞き返そうとした俺の口は、先輩に塞がれ何も言葉を発せなかった。



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