忙しい一日
緑が濃くなってきた芝や植木を映し疲れ目を休める。今日は雲が厚く、日差しを隠してくれている為だいぶ涼しいが湿気がちょっと気持ち悪い。雨でも降るだろうか。すうっと生えたばかりの草花の香りを吸い込み、ちょっとだけ、と瞼を下ろした。
昨日は久し振りに快眠でき、今朝の寝起きもスッキリしたもの、だったんだけど。同じ一年の風紀が風邪や体調不良でダウンした穴埋めで朝から仕事三昧。辛うじて一コマだけは授業を受けられたけど、特別棟からの往復と仕事と勉強の切り替えに頭も体もヘトヘトで。嫌だなぁもう、とこめかみを揉み弁当包みを抱え直した所で楽しげな話し声と足音が聞こえてきた。
「ゆーまー!やっほ〜」
「遅くなってごめんなー」
「いいえ、大丈夫ですよ」
どーん、と言いながら抱き付いてきた葵君の頭を撫で怜司君を見上げる。ニコニコと笑い話し掛けてくる二人にほっと落ち着くのを感じながら揃って腰を下ろした。
「あ、これ委員長からな」
「ありがとうございます」
「あれ?一冊たりなくない?」
「えっマジ?……持って来忘れた?えー……」
「あー、まあ、何とかなりますよ」
マジごめん、と悄気た怜司君に苦笑して渡されたノートを横に置く。運が良ければショートホームルームくらい出られるだろうし、その時にでも借りよう。
次いでに、とくれたジュースにストローを刺し食べるのを促す。興味深そうに弁当箱を覗き込む葵君と直ぐに立ち直ってくれた怜司君へおかずを分けたり交換しながら話に花を咲かせた。
「さいきん、会長さまあんまり拝見できなくてさみしいなあ」
「特別棟に殆ど籠りっぱなしのようですからね……」
「仕事三昧か。……オレだったら逃げるわー」
「ただでさえガッカリしてるのに、せんぱい達てんにゅーせーの話でブチブチうるさいし……」
残念な顔から膨れ面に。口を尖らせて転入生に文句を言い連ねる葵君。そんな姿に、ふと転入生の、皆瀬君の事についてちょっとくらいは話した方が良いだろうか、なんて考えが浮かんだ。学園内で何がどうねじ曲がって伝わっているかは分からないけれど、何かしら濡れ衣を掛けられているのは確かなようだと昨日の報告を見た天蔵先輩も言っていたらしいし。だったらちょっとでも誤解を解いて味方を増やした方が良いんじゃないか、と。
思い付いたまま、話が途切れた所で口を開いた。
「その、転入生君の事なんですけど……」
「なあに?あ、ひょっとしてもう風紀の方でなんとかなるとかっ?」
「お?マジで」
「い、いえ……」
瞳を輝かせた葵君に言うのを少し躊躇う。完全に転入生を悪者なんだと信じきっている葵君に、納得してもらえるだろうか。……いや、してもらわないと。
疲れ果て、傷付いた様子の皆瀬君の顔を思い出し気を奮い立たせる。葵君と怜司君なら、きっと分かってくれる筈。それに、あまり葵君が誰かの悪口を言っている所を見たくない、なんてエゴもある。
ちょっと緊張して視線を右往左往させた後、組んでいた指を組み替えて話を切り出した。
「えっと……転入生、はそんなに悪い人じゃないかも……なん、て……」
「……へ?」
「そうなのか?」
怜司君首を傾げたのにたぶん、と曖昧に頷く。どこまで話して良いか分からないので詳しくは言えないけれど噂は可笑しいかもしれない、くらいの違和感を持ってくれたら良いなと言葉を探す。何と無くなんですけど、と言葉を濁しながら話を続けようとすると、静かな声がそれを遮った。
「………なんでそんなことゆーの」
「え?」
常に無い淡々とした声色に、葵君の様子が変な事に漸く気付いた。俯き、ギュッと握り締めた手が小刻みに震えている。どうしたのかと名前を呼ぶ前にそのままの状態で葵君が話を続けた。
「てんにゅーせーが、全部わるいんでしょ」
「ですからその……」
「っ、てんにゅーせーのせいで!ゆーま教室あんまいれないし、遊んだりできないし、クラスのみんなとも……っ」
バッと顔を上げ声を荒げた葵君は、切れ切れに叫ぶと言葉尻を震わせながら顔を伏せ黙り込んだ。それでも、一瞬見えた表情は彼の感情を雄弁に伝えてきて。言われた台詞が耳に反響してウワンウワンと嫌な音がする。
「……あ、葵く、」
「――っ、なんでもない!」
「あ!待っ……!」
駆け出した葵君を追い掛けようとしたのだけど、足に力が入らず腰がちょっと浮いただけでまたベンチに座り込む。早く行かなきゃと思うのに動けず茫然としていると、教室棟の方から誰かが葵君の方へと走って行った。あ、委員長。という怜司君の呟きでそれが藤澤君なのだと分かる。手に何か持っているのが見えたから、忘れたノートを持って来てくれたんだろう。
ごちゃごちゃした頭で、兎に角葵君が一人にはならない事に安心する。でも、それだけじゃ駄目だ。謝らなければ。そう思うのにまだすくんだままの足。どうしようどうしよう。
混乱気味の焦りを感じていると、不意にほーっという溜め息が耳に入った。そこでやっと周りの景色が意識に入ってくる。首を動かすと、数歩前で立ち往生していた怜司君がこちらに足を進め隣に座った。
「あー……っと。とりあえず、落ち着こうか」
「……………」
葵君を追い掛けなくていいのか。落ち着くって、どうやって。
纏まらぬ思考を持て余し、怜司君を見上げる。怜司君は目を泳がせるとあー、だとかその、だとか言い淀みながらガシガシと首を掻いた。そうして暫く唸ると、よし、と一声上げて俺と視線を合わせた。
「あー、そうだな……えーっと……。転入生について?悠真は風紀で色々知ってるんだろうし、何より悠真がそう言うんならきっと間違いないんだって、たぶん、葵もわかってるんだけど、な」
「……はい」
「親衛隊の先輩の愚痴だとか、会長やお前のくたびれ感とか、たくさん見てるせいで葵、転入生嫌いそーとー進行しててさあ」
「…………」
「なのにその……悠真に、あー、その気は無いってわかってっけど……否定されたっつーか転入生庇ったっつーか?んで……キレた、みたいな?」
そんな感じだと思う、と怜司君がぼそぼそと付け加える。それを聞きながら、重くなる頭に合わせ徐々に項垂れていくと、怜司君が手をばたつかせて話し出した。
「その!なんだ……。まあ、悠真が好きで、っていうかだからこそキレてるだけで……あー、だから許してやってくれよ?」
「……ごめんなさい」
「や、だから悠真も何も悪くないって」
「…………なさい」
何か言葉が出そうなような、出ないような。グワッとを色んな感情が胸の中で動き回り苦しさに歯を食い縛った。暫くすると俯く頭がやや乱雑に掻き混ぜる手に揺らされる。
向こうとも話しとくから。お互いちょっと落ち着いてから話そうな。大丈夫だって。
そう励ます怜司君の声は聞こえているが、上手く返事すらできない。
皆瀬君の為だとか考えておきながら、俺は馬鹿だ。仕事の事だとか、クラスの事だとか。葵君は、いつも俺の事を沢山考えてくれていたのに。俺は、…………。
嫌われた。
その、たった一つの単語が頭を占める。目の奥が痛く、指で押さえ付け顔を覆う。溜め息を吐いたらそのまま色んな物が溢れそうで、ぐっと息を飲み込んだ。
[ 100/180 ]
[←] [→]
[しおり]