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ズズッと汁を啜りどうにか気を取り直す。先輩も箸を取り食べる姿を見ていると今日は何かあったかと訊ねられた。
「えっと……あ。皆瀬君とまた会いました」
「……それで?」
小皿を置いた先輩がひたりと視線を俺に向ける。つられて居住まいを正した俺は真剣な空気に緊張しながら頭の中で話を纏めた。
「うーん……何と言うか……。ちょっとお話出来ただけなんですけど……」
「うん」
「元々は、俺みたいな他の外部生徒と同じ様に溶け込んでいくつもりだったのに、騒ぎになってて困惑してる。とか、出来ればどうにかしたい。とか、そんな事を話してくれました」
「……そうか」
皆瀬君の様子や彼の周辺について知れた情報を思い出せるだけ伝える。それを静かに聞いた先輩は顎に手をやり何事か考え出した。暫くは大人しく見守っていたが、険しい雰囲気に段々と不安になってくる。
「何とか……してあげられます、よね」
「ん……あぁ。時間は少し掛かるかもしれないが悪いようにはならないさ。大丈夫」
「……はい」
穏やかな微笑みと断言に一先ず不安は落ち着いた。学園の混乱の原因は確かに皆瀬君なんだけれどそれは決して彼の本意では無い。なのに下手したら悪者として処分されるんじゃないかと心配していたが、この様子なら大丈夫そうだ。
グラスを手に取り口を付ける。だいぶ渇いていたようで一気に飲み干すと何緊張してるんだ、と気の抜けた突っ込みを入れられいつものように話は他愛無い物になっていった。
「しかし、抱き上げても起きないのはどうかと思ったぞ」
「あー……今日はちょっと、一日ずっと眠かったんで」
「昨日あれから眠れなかったのか?」
「……いえ、別に」
質問に答えを濁して返す。眠れなかったなんて言ったらその原因を自分のせいだなんて思われるかもしれない。風紀と課題の忙しさに疲れていたみたいだと半分は本当の事を言って返し背凭れに寄り掛かる。腹も膨れ片付けも終わって、また眠くなってきた。課題は終わっているけどまだ予習が……。
重くなってきた瞼を擦りながら眠気と戦っているとふむ、と何か考えていた先輩がニッと笑った。
「じゃあ、充電でもしていくか?」
「……えっ」
「ほら」
手を広げて言われ驚きで跳ね起きた俺を先輩はクスクスと笑って見る。もしや不眠とその原因がバレたのかと思ったが、これは単にからかわれているだけのようだ。
からかわれて、ちょっとムカつくのはムカつくんだけれども。それよりも何か違和感が。
何だろうと笑う先輩をジッと見て、首を傾げて何と無く思った事を口にした。
「先輩、実は滅茶苦茶疲れてます?」
「……それなりに、な」
「それなりじゃなくてかなり、ですよね」
俺の言葉に一瞬キョトンとした先輩は、暫く見詰めあった後困ったように苦笑した。
「万里にも気付かれなかったんだがな」
「だって先輩なんかテンション変ですもん」
普段も俺をからかってくるけどここまでずっと笑いまくったりしない。疲れ過ぎて感覚が可笑しな方にシフトしているんじゃないかと思ったら、やっぱりそうだったか。
「……あー。お前の顔を見たら気が緩んだんだ」
「俺のせいですか」
視線を他所に向け言う先輩に口を尖らせる。……ふと東雲君の台詞まで思い出してしまい余計に腹が立ってきた。
「どーせ俺は気の抜けた顔してますよーだ」
「いたいいたい」
ジワッと沸いた苛立ちに両手を伸ばし摘まんだ先輩の頬を横へ引っ張る。あまり肉がないからかそんなに伸びず変顔にはならない。残念だ。俺はほえほえだのホケッとした顔だのと言われているのにイケメンというのは狡い。世の中理不尽だ。……思考がズレ始めた俺も結構可笑しくなっているのかもしれない。
疲労や寝不足はいけないものだと再確認し、痛いと言いながらも笑う先輩に脱力して手を離した。
「……じゃあもう今日は風呂入って直ぐ寝てくださいね」
「はいはい。お前も今日は早く寝ろよ」
「はーい」
まだテンションが可笑しいのか笑う先輩に呆れながら立ち上がる。パッと食べてパッと帰るつもりだったのに結局長居してしまった。先輩が早く休めるようにもさっさと帰ろう。
……でもあれだな。もうちょっとこう、からかいに仕返しをしたい。頬つねりは全然効いていなかったし。
靴を履いた爪先で床をトントンと叩きツラツラと思考を巡らせる。そうだな。からかい返すのは無理な気がするからせめてビックリさせられればそれで良いんだけど。
どうしてやろうかと考えて、ふとただのスキンシップだ、と軽く言われた言葉を思い出した。そして思い付いたままクルリと体を反転させる。どうした、と不思議そうに聞いてきた先輩に勢いを付けて突っ込み、背へ腕を回してギュッと抱き付いた。
「…………」
「…………」
「……ふっ。おやすみなさい、先輩」
「……おやすみ」
虚を突かれた、といった様子の先輩にニッと笑う。不意打ちはちゃんと成功したようだ。参った、といった感じに笑った先輩から同じ様に抱き返された後体を離し、お騒がせしました、とだけ告げて扉から滑り出た。
よく迷惑掛けているし別に嫌でもないから多少の意地悪は気にしていなかったけれど、たまにはこれくらいの意趣返ししても良いよな。
妙に高揚した気分のままエレベーターに乗り込む。そして自分の階を押しながらそれに、と抱き付いた時の感覚を思い出した。
一緒に食べるのが楽しいと言われた時みたいに、ただ俺の願望や自惚れじゃなく少しでも良いから本当に癒しを感じてくれていたら、良いな。
チン、と止まったエレベーターの音にくあっと欠伸をして降りる。今日こそはよく眠れそうだと何と無く思いながら歩き出した。
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