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愛は憶病  




 彼が私を愛してくれているのはおそらく本当なのだろうけれど、その愛情が果たして全て受け入れていいものなのかは私にはいまだによくわからない。そして、そのわからないことが漠然とした不安になって、彼をどこまで信じていいのか迷っている自分がいる。
 仕事が終わってから部屋に戻って、夕食を食べてから一人でゆっくりと過ごしていると、いつものように静かに鍵が開く。合鍵を渡したのは私の意思からだったので、それ自体に違和感は何もない。ああ、来たんだ。それだけ。でも、「お疲れ様」と声をかけても彼が何も答えなかったとき、初めて微かなずれを感じた。私が何かを話しかけて、彼が無視することはほとんどない。あるとすれば、原因は一つだけだ。

「……今日も?」
「ああ」

 言葉少なに私の隣に座った彼の表情はいつもとさほど変わらない。当然だろう、彼にとっては日常のちょっとしたハプニングに過ぎないのだから――「殺し」は。



 初めて会ったときは、愛想のいい普通の男だと思っていた。私のどんな話にもにこやかに返してくれる様子に変わったところはなかったし、さりげなくホテルに誘う言い方も、「女慣れしてるんだろうな」と思ったくらいで、彼が私と住む世界が全く違う人間だとは思いもしなかった。
 裏社会というものがこの世に存在することはなんとなく知っている。
 しかしそれは私にとってニュースなどで批判的に取り上げられる概念みたいなものであって、実際に私の生活に関係することではなかった。抗争が起こって街中での銃撃戦で負傷者が出た――とか、規律を守らない新興マフィアに対してどう向き合うべきか――とか、ほんのり気配を感じることはあっても、私の隣で悠々とワインを飲んでいる彼がその原因に関係しているなどと考えもしない。これが平和ボケってやつなのかも、と彼の正体を知った時に思ったものだ。

『俺が一種のヤクザみたいなもんだって言ったら、どうする?』

 ホテルの一室で二人きりになり、お互いそういう気分になって素っ裸になった時、彼は笑ってそう聞いた。冗談なら意味不明で、本当なら笑えない。数秒迷ってから、「明日になってから考える」と答えたら、「そりゃあ良かった」と言われた。難しいことは明日でいい。そういう、ただの現実逃避に、その晩は二人で浸ることにした。
 困ったのは次の朝で、「昨日のこと、覚えてる?」 と彼に聞かれ、「うん」と頷きつつも、正直なところ、彼がヤクザであろうが何であろうが、私にさほど関係ないだろうと思っていたから、「それで、どうする?」と重ねて聞いてくる彼の意図がさっぱりわからなかった。

「え? どうするって?」
「だから、俺がそういう…なんて言うか、ヤバい出自の人間だとしても付き合ってくれるか、ってこと」
「え……」

 付き合う、とさらりと言われた言葉に一瞬思考が止まった。そんなストレートなことを言われるのは学生の時以来だ。嫌な気持ちはしなかったものの、すぐに返事をすることはできない。
 私の様子から察したのか、彼は「あー、そっか」と気まずそうに視線をそらした。

「もしかして、別にそういうつもりなかった?」
「ない、というか…遊び相手なのかと思ってたから」

 「俺、そんな遊び人に見えんのか…」と少しショックを受けていた彼には悪いが、一人で飲んでいる女に声をかける時点で、遊び人と思われても仕方ないだろう。それでもいい、と思っていた私の甘さも咎められるべきではあるけれど。

「じゃあさ、もう会ってくれない?」
「別に、いいけど」
「つーか聞くの忘れてたけど、彼氏いる?」
「いない」
「よし」

 私の答えを聞いて嬉しそうに笑う彼は、やっぱり普通の男にしか見えなかった。



 シャワーを浴びてからリビングへ戻ってきた彼は、私のすぐ横に座った。くつろげるという名目で売り出されていたこの二人掛けのソファーは、二人で座ってもどこか余裕がある。でも、あえて距離感を無視した座り方をした彼は、明らかに私を求めていた。言葉にはせず、でもはっきりと。
 「嫌ならそう言って」、と彼はよく言う。無理強いはしたくないから、私の気持ちが一番大事だから。もっともらしい言い方だけど、実のところ、彼は私が拒むことが怖いんだろう。仕事ではきっと他人の感情なんて気にしない癖に、私の前では何も持たないただの男になる。そんな彼が私は好きだ。
 さすがにソファーの上で裸になるのは気が乗らなかったので、軽いキスを交わした後に視線でベッドへと誘った。後はいつもの通り、一通りのことを済ませるだけ。
 いつもならしばらく余韻に浸るところを、珍しく「大した話じゃないんだけど」と彼が口を開いて沈黙を破った。

「人が死ぬとさ、特別ってかんじするじゃん。普通は」
「…うん」
「でも、俺にとっては毎日のことだから、いちいちそこに意味とか感じてたらやってられない。だから、ギリギリのとこで俺はちゃんと踏みとどまってる、って自分に言い聞かせんの」
「暗示、ってこと?」
「そんな高尚なもんでもないけどな。『あー、早く帰って、名前と寝たい』とかそういう普通の男みたいなこと考えて、自分がやったことを上書きしようとしてるだけで」

 なんてことのない話をしながらも、彼の視線は私にまっすぐ向けられている。今日の仕事は相当辛かったんだな、と直感で悟る。誰かの死を見て、平気でいられる人間なんてそういない。それが自分の奪った命ならなおさら。
 かと言って、彼を慰める言葉を私は持っていなかった。できることと言えば、こうして彼とただ身体を重ねるか、彼の愚痴とも言えない話に付き合うくらい。
 恋人と言うには少し、いや、かなり物足りないであろうこの関係性は、おそらく変わらない。私は彼の領域に関わるつもりは今のところなく、彼もきっと私を関わらせたいとは思っていない。 

「それ、私は喜べばいいの?」
「ははっ。いやもちろん、好きだよ。ちゃんと」
「……そうならいいけど」
「名前がいてくれたら、俺、わりと何でも耐えられる気がする」

 そう言って微笑んだ彼が私を本当に愛してくれているのは、素直に嬉しかった。しかし同時に、怖くもある。彼がある日突然私の部屋に来なくなったら、もう「そういうこと」なんだと、思うしかないこの儚い関係が。
 私も同じ気持ちだと、あっけらかんと言えてしまえば。明日も来るだろうかなんてどこか不安に思わずに済めば。それなら、何のためらいもないのに。
 でもそんなことを口にすることなどできないとわかっている物わかりのいい私は、今日も彼の望み通り、手のかからない恋人もどきを演じてみせる。滑稽なほど、上手く。


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