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理不尽に、本望  




 人は必ずいつか死ぬ。それは太古の昔から変わらないことであり、私一人が何をどうしたってどうにもならない厳然たる事実だ。
 しかし、だからこそ「どう死ぬか」は大事だとされている。老衰で穏やかに死ぬ、病に侵されて苦しみながら死ぬ、あるいは自ら望んで死を選ぶ――あらゆる死に方がある中で、誰もが一番恐れている死に方、それが「焔人化」。
 何の兆しもなく、人体が発火し、本人の制御を超えて暴れ続ける。そして、「特殊消防隊」なる組織によって速やかに「鎮魂」される。確かに悲惨極まりない死に方ではある。
 死んだ後、骨さえ残らない。あるのはただ、破壊の跡だけ。これにどう折り合いをつければいいのか、なんてことは誰も知らない。今日遊んだばかりの友達が焔人化したり、いつも挨拶をしてくれる近所のおじいちゃんが燃えてしまったり、そんな日常に慣れろと言われたところで不可能だ。
 そしてありがたいことに、なのか、私が住むこの浅草では、死にゆく人の魂を鎮めようとはしない。



「よぉ」
「…どうも。新門さんが私のお店来るの、久しぶりですね」
「そうか?」

 お酒の準備もそれほど進んでいない開店直後にふらりと入ってきた新門さんは、当たり前のように私の目の前の席に座った。混んでいるわけでもないのにそこに座らなくても、と思いながらも、毎度一人で来るわりには多く注文してくれる客に文句を言うわけにもいかない。
  
「忙しいんじゃないんですか、最近」
「まあ、そうだな」

 さらりと流す新門さんがどれほど働いているかは、浅草にいる人なら誰でも知っている。
 焔人化が起これば昼夜関係なく現場に向かい、全てを終えてからは家が壊れた人たちの対応をするため休む間もない。単に多忙というだけでなく、彼のような能力を持っていない私には想像のつかない苦労があるんだろうな、とは思う。
 浅草の火消しからいきなり特殊消防隊の大隊長なんていう仰々しい肩書きを持ってしまった新門さんが、外の人たちからどんな目で見られているか。想像は難くない。
 いつもの要領でつまみと熱燗を出すと、新門さんは「ありがとよ」と言いながら早速飲み始めた。
 酒を口にするなりすぐに彼の表情がやわらかくなっていくのは、毎度のことながら見ていて飽きない。

「お酒もいいですけど、ほどほどにしないと身体壊しますよ」
「飲み屋やってるお前が言うかよ」
「それはそれ、これはこれです」

 穏やかに微笑みつつ(どうやら自然とそうなるらしい)、新門さんは少しふてくされたように「融通がきかねえな」とぼやいた。

「紺炉さんにあんまり甘やかさないでくれって言われてますから」
「ったく」

 そう言いながらも素直に飲むペースを落とすあたり、素直な人だと思う。
 私含め浅草の人間にとって、この新門紅丸という人は特別な意味を持つ。他に換えの利かない、唯一無二の人。

「新門さんには長生きしてほしいですからね」
「俺だけ長生きしても意味ねえよ」
「大事な人には、自分より少しでも長く生きてほしいって思うものじゃないですか?」

 私は一般論として口にしたつもりが新門さんにはそう聞こえなかったらしく、 「なんかそれ、愛の告白みてえだな」と言われてしまった。新門さんが絡み酒になるのはそう珍しいことでもないけれど、こうした方面で絡まれるのはいつまでたっても慣れない。普段はそういう冗談を言うような人ではないから。

「違いますよ。ただの一般論です」
「つまんねえな」

 素っ気なく返すと、それ以上は突っ込まれなかった。お酒を飲んでいる人の言葉は、話半分に聞くのがちょうどいい。本気にすれば痛い目に遭う。
 ここで「そうですよ」と返したら、呑気に飲み続けている新門さんは驚くだろうかと少し意地悪なことを考えたりもする。しかしこの人が心底驚いている様を私は見たことがない。女性からもそれなりにモテるだろうし、私一人がそこに加わったところでどうということもない気がする。 
 不毛な感情だ。
 新門さんが私のそんな感情の些細な揺れに気づくことはほぼないだろうから、私はしばらくこの取るに足らない想いを持て余すことになりそうだ。
 今だって呑気にお酒を飲んで大根の煮物を食べているし。

「うまいな、これ」
「でしょう? おかわりいります?」
「いる」

 素直に差し出された空のお皿に、大根を入れる。客が来ることをさほど期待していなかったので、おかわりの大根を入れると、仕込んでいた分はほとんどなくなってしまった。
 大根を食べつつそれなりのペースでお酒を飲んでいた新門さんは、不意にお猪口を置いて「ちょっといいか」と改まった様子で話しかけてきた。

「……今日は、どうして店を開けたんだ?」

 予想していた問いではあったものの、一瞬やはり答えるのを躊躇ってしまう。本当のことを言えば、自分で蓋をしているものが制御できずにこぼれ出てきてしまいそうで。

「お店開けるのに理由がいりますか?」
「昨日、お前の――……」

 家族が全員死んだばかりじゃねえか、とは、さすがの新門さんも口にしなかった。
 家で突然父が焔人化し、母はそれに絶望して自分から火の海に飛び込み、母を救おうとした兄も全身の火傷で死んだ。その時、足りない食材を急いで買いに行っていた私は、戻ってきた家だけでなく周りの家がめちゃくちゃに壊れているのを見て立ち尽くす他はなかった。
 焔人化は誰にでも振りかかる災いのようなものだ。地震とそう変わらない。私の友達もこれまで何人も犠牲になったし、いつか自分や家族がそうなる可能性を考えてたことがないと言えば嘘になる。
 だから、これはなるべくしてなったことだ、と割り切ることにした。

「家燃えちゃったし、それならお店開けとこうかなって。どうせ誰も来ないだろうと思ってたのに、まさか新門さんが来るとは思ってませんでしたが」
「そうか」

 来てほしかったのか、来てほしくなかったのかは正直自分でもよくわからない。
 誰かと話して気を紛わせたいという気持ちがあったのは確かだけれど、その相手が新門さんとなると、どうしたって、考えてしまう。新門さんはできるだけのことをしてくれた。特殊消防隊がいるからこそ被害を最小限に抑えられたのだと理屈ではわかっているけれど、でも。
 私の父の命を直に奪ったのは、この人だ――と、思いたくなる自分がいる。
 はっきりした原因が欲しい。理由が。昨日までいるのが当たり前だった父が、母が、兄が、今日はもうどこにもいないのはどうしてなのか。
 本当は誰のせいでもなく、今さらどうしようもないことだと理解していても。

「全部忘れて無理に日常に戻らなくたっていい」
「……」
「死んだ人間のことを考えたって、生き返るわけじゃねえが……覚えてることで、ちったあマシな気持ちになれることもある」

 それを聞いた時、新門さんは今の私と同じ気持ちになったことが何回もあるんだと気づいた。
 焔人となった人間が元に戻ることはない。たとえわずかな意思があっても、人間社会でこれまで通り生きることはできない。つまり、誰かが焔人を始末しなければならない。
 新門さんたちの仕事は、誰もが目を背けたがるその現実に向かい合うものだ。
 彼らがこれまで焔人として対処した相手には、身内の人間も少なからずいただろう。その相手を自分たちの手で殺さないといけない苦痛は、察して余りある。次の日もその次の日も、同じことの繰り返し。
 焔人としてでも、新門さんに看取られることを、浅草の人間は誇りに思っている。
 この人なら自分の人生を託してもいいと、勝手に思ってしまっている。死ぬことは何よりも怖い。周りの人間が急に死ぬことだって。ただ、新門さんがいるのなら、その怖さにも少しくらいは耐えられるような気になる。

「……新門さん。私が焔人になっても、ちゃんと『人間として』扱ってくださいね」
「縁起でもねえこと言うな」
「ええ、そうですね」

 少し怒ったような顔をしている新門さんに返した声は、自分でもわかるくらいに震えていた。新門さんに背を向けた瞬間、自然と溢れ出た涙に、自分が縛られていた何かから解放されたことを知った。


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