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知らないままで結構  




 午後の二時を過ぎると、地下街の騒々しさは鳴りを潜める。観光客もほとんどいないため、堂々と道の真ん中を歩ける程度に通りは閑散としていて、仮にも東京でありながらこの過疎ぶりは大丈夫なんだろうかと心配になってしまう。
 そんなうら寂しい通りに並ぶ店を一軒一軒外から見て、目当ての人がいないか地道に探していく。今日は朝からこの最寄り駅付近の「依頼」に忙殺されていたはずだから、いつものパターンだと地下街だろうとあたりをつけたのだけど、外れだったんだろうか。
二十軒くらいの店を回ってようやく、彼を見つけた。外から見ただけでは営業中かどうかわかりづらいほど薄暗いカレー屋でカツカレーを頬張っていた彼は、私を見るなり「遅くない?」と軽口を叩く。
地下街の中でも一番人が少ない寂れた通りの隅っこの店を見つけた私をまず褒めてほしい。バーを連想させるほど暗い店内は彼と店主だけで、店主は私の方を一瞥もせずにひたすらカレー鍋をかき混ぜていた。注文を頼むか迷いながら、とりあえず彼の右隣りのスツールに腰を下ろす。

「これでも早い方ですよ。携帯も持たずに外に出る人を探すの、大変なんですから」
「それはそうだけど、俺の助手としてはちょっとねえ」

 このふてぶてしい男の名前は向井太陽という。パーカーにジーパンというラフな格好で平日の真昼間から優雅にカツカレーを食べている彼が何を生業にしている人かというと――探偵、だ。
 個人で事務所を開いているため、仕事はピンからキリまで幅広く扱っているし、一年三百六十五日休むことなくあちこちに行っている。初めて会ったときは私も彼が探偵だなんて信じられなかったけれど、実際あらゆる依頼や事件をあっさり解決している姿を見るうちに、探偵ということに違和感を持たなくなっていった。
 ただ、探偵としての能力の高さが日常生活に反映されるかというとそうでもなく、依頼人を怒らせたり、今日のように行き先もちゃんと言わずにふらりと事務所から消えることもよくあった。こんな社会性のなさでよく今まで探偵としてやってこれたなあと呆れ半分で思ったりもしたけど、本人曰く「探偵なんて趣味でやってるだけ」らしいから、探偵として安定して仕事を得るつもりもないのだろう。
 趣味でやってるだけ、の割には仕事を選ぶこともなく、大抵の依頼は引き受ける。今日の仕事など「夫が浮気しているかもしれないから調べてほしい」というありきたりなマダムの依頼だ。

「午後もまた浮気調査ですか?」
「いいや、もう充分。写真も音声もおさえたし。依頼主には気の毒だけど、あの旦那さんは五股くらい余裕でしてるよ」
「……最低すぎますね」
「男なんてそんなもんだよ」
「向井さんも、ですか?」 
「さあね」
「…そうですか。じゃあ、そろそろ事務所に戻りましょう」
「ん、俺もそうしようと思ってたんだけど、ちょっと事情が変わったから無理」
「事情って――」

 何ですか、と聞いている途中に向井さんがいきなり私に覆いかぶさってきた。特に恋人というわけでもない相手からいきなりそういったことをされるのに慣れていない私は混乱する頭を落ち着かせるのに精一杯で、彼の行動の意味を考えている余裕などどこにもなかった。とっさに目を閉じてしまったものの、それ以上彼が何かをすることもなく、沈黙が流れる。
 彼も私も何も言わないまま一分ほどが経ち、恐る恐る目を開けてみると、真っ先に銃が視界に入った。それも二つ。彼が構えているものと、店主が彼に向けているもの。
 さっきまでカレー鍋をかき混ぜていた店主は、顔色一つ変えることなく銃を持っていた。あまりに非日常的な光景に言葉を失う私に、「大丈夫だよ、名前。乾さんだから」と彼は銃を下ろさないまま笑った。

「……さすがだな、太陽」

 ふっと笑って変装を解いたのは、確かに乾さんだった。
 事務所で直接依頼を受けることがほとんどとはいえ、それだけでは到底仕事は足りない。乾さんはそういったこちらの事情を知っていて、度々どこかから訳ありの依頼を持ってきてくれる。基本的にはいい人だけど、こうして毎回手の込んだ変装をして私たちの度肝を抜いてくるところは直してほしい。

「あんまり脅かさないでくれない? 乾さん。この子素人なんだから。前も言ったでしょ」
「すまない」
「私は大丈夫ですけど…とりあえず銃をしまってくれません?」
「ああ」

 率直に頼むと、乾さんは案外素直に銃を下ろしてくれた。訳ありの――つまりかなり危険な――依頼を仕入れてくるだけあって、乾さんの銃の扱いはかなり手馴れているように見えた。というか、普通に乾さんが依頼を遂行する方が早いんじゃないのかという気もしなくはない。

「普通に情報だけくれればいいのにさ。毎回物騒すぎ」
「銃の扱いを忘れているようでは、依頼を斡旋するわけにもいかないからな」

 まっとうな文句を垂れつつ、向井さんは片手で銃をくるくると回していた。彼も彼で平然と銃(本物かどうかは怖くて聞けない)を平然と扱っている。

「で、今回もコロシ?」
「ああ。あまり食後に詳細を話せるような綺麗な死体ではない」
「ふーん。いいじゃん」

 私には何がいいのかさっぱりわからないが、どうやら乾さんの持ってきた依頼は今回も彼の興味を引いたようだ。探偵というのは謎が複雑であるほど燃えるものなのかもしれない。
彼は詳しい場所や内容について軽くふんふんと頷きながら聞いていたものの、唐突に「行った方が早いな」と呟いて席を立った。ちゃんとカツカレーの代金(九百円)を忘れず置いていたのはよしとして、「カレー屋装うなら、もうちょっと人参上手に切りなよ」という乾さんへの一言は余計だと思ったけど。

「名前はどうする?」
「……行きます」
「グロいのダメじゃなかったっけ。前の依頼で吐いてたよね」
「でも、助手ですから」

 依頼に対して真剣になれるわけでもなく、洞察力が人よりあるわけでもない。まして死体を平然と見ることなんて論外。そんな自分の限界をわかっていながらも、彼の助手であることをやめようと思わないのは、私もそれなりに彼の周りにただよう非日常の空気に毒されてきているのかもしれない。
 
「後悔しても知らないよ」

 突き放すようなことを言いつつも、彼はきっとなんだかんだ言って私を見捨てはしない。それを助手の特権として享受していたいと思う私の我がままにも、きっと気づいているはずなのに、何も言わない。
 一方で私も、彼の過去について薄っすら不穏なものを感じながらも、それについて聞くことはできていない。聞いたら最後、引き下がれないような気がしていた。でも何も知らないまま過ごすのもフラストレーションが溜まる。それとなく知る機会があれば、と依頼に同行している節もあるが、大抵は外れ。今回もそうだろうか? 私の先をさっさと歩く彼の様子からは何も読み取れなくて、自分の勘の悪さに少しだけ落ち込みつつ、急いでその背中を追いかけた。


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