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アンダー・コントロール  




 いつからか、私を抱きしめる彼の体からコーヒーの香りがすると、「疲れてるんだろうな」と思うようになった。意見がまとまることなどほとんどない会議、無茶ばかりする新入りたちの相手、果ては味方であるはずの幹部たちとの小さな言い争い。どこの世界のリーダーにも苦労はあるらしく、普段は余裕のある態度を崩さない彼も、たまに「肩書きが立派になっただけ」と自虐的なことを言っていたりする。
 ただの一般人な私は裏社会の細かい事情などほとんど知らない。彼――御幸一也がマフィアのボスだということも、本人が冗談交じりに言ったときに初めて知ったくらいだ。昼下がりのカフェでマフィアだのなんだの言い出した彼の正気を疑ったのは今でもはっきり覚えている。

『ま、そういうわけだから。俺と一緒にいたら死ぬかもしれないけど、いい?』

 そう言って軽く微笑む彼は、最初から私が拒むことなどないと思っているようだった。それは無理もない。にこりと笑えば大抵の女性は頬を赤らめて俯く魅力的な容姿に、こちらの気持ちなど見通しているかのような余裕のある振る舞い。加えて、マフィアのボスとかいう肩書きによる威圧。これで落ちない女がいるはずがないと、私でさえ思う。
 しかし、物事はいつだって予想通りに上手くいくとは限らないものだ。

『死にたくないから、イヤ』

 彼の誘いをはっきり断るリスクについては承知の上だった。断ったからというただそれだけの理由で撃たれたりどこかに連れて行かれて死ぬよりつらい目に遭う可能性だって考えなかったわけじゃない。
 でも、彼は裏社会の人が特に重視していそうな(偏見かもしれないけど)「面子」とかにこだわるタイプではないような気がした。今思えば大博打だけど、結果的にそれが彼の興味をさらに惹くことになったのだから、恋愛というものは奥が深いと思う。半分皮肉。私の都合などおかまいなしにありとあらゆる手段を使って恋人にまでした彼の強引さと執念には敬意を表する。
 適当に五年くらい働いて、そのへんで付き合ってる彼氏とお互いそろそろだなって言いつつ結婚する、みたいな私の平凡な未来予想図は、この男の存在によって無に帰した。マフィアのボスの恋人なんて、安定から最も程通いものになってしまったものだから、いつ死んでしまってもおかしくない。
 もちろん私の気づかないところで護衛はついているらしいし、それなりの対処はされていると聞くけど、それでも死ぬときは死ぬだろう。彼のせいで。あるいは彼のために。

「名前、明日って仕事?」
「うん」
「俺も。もっと休み欲しいよな」
「マフィアに休みとかあるの?」
「ない」
 
 気の抜けたやり取りの最中でも、私のブラウスのボタンを外す彼の手は休まることはなかった。丸一日会うことなどほとんどなく、こうして互いの都合がつくわずかな時間に何かに急かされるように肌を合わせる。
 部屋の外に彼のための護衛(彼曰く「面白い新入り」)が立っていることを考えれば堂々とセックスするのも気が引けるものだろうに、彼はそういった気遣いなど最初から頭にないらしい。毎回コトの終わった後に部屋から出れば顔を赤くした護衛の男たちが居心地悪そうに立っているから、筒抜けなんだろうなということは察してしまう。
 でも彼とホテルで会うことをやめない私も共犯。

「ここで私に殺されたりしたら、とか思わない?」
「全然。名前は自分が一番大事だから金のためとかで動かないだろ、どうせ」
「まあ、そうかも」
「あの時『死にたくないから』って堂々と言ったの見て、『あー、この子は自分が死ぬことなんてハナから考えてないんだな』って思ったから、名前の命欲しくなっちゃったんだよね、俺」
「……殺したくなった、ってこと?」
「逆。死ぬまで一緒にいたいと思ったってこと」

 だから絶対死なせるつもりはないから、と、耳元でささやく彼の声は珍しく本音が混じっているように聞こえて、「恥ずかしいんだけど」とそっぽを向いたら、「たまには言っとかないと、逃げそうだし」と抱きしめられた。
 脱ぎ散らかされた彼の服と、さっき彼が脱がせた私のブラウスやらスカートやらが散らばったベッドの上で、真正面から愛の言葉を聞かされて、平常心でいられるわけもない。そんなことを言われた後に、またみっともなく交わって彼の全部を身体で受け止めて、都合のいい女でいろって? 冗談じゃない。
 マフィアのボスだかなんだか知らないけど、私の恋人なら私にとって都合のいい男でなければ話にならない。いつどこにいるのか生きてるのか死んでるのかわからない男なんて、本気になったってむなしいだけ。
 そうすんなり割り切っている気持ちをざわつかせるこの男を、私は到底許せそうもないのに、もうどうにもならないほど愛してしまっているのはどうやら認めざるを得ないらしい。


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