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なんでもないの  




 御幸くんがそれはもうおもいっきりお酒をこぼしたために、長引いていた飲み会はお開きになった。
 「俺あんま普段飲まないし、悪酔いしちゃったわ」と周りに言いつつ、片づけに来てくれた店員さんに頭を下げる彼を見て、皆が自然と「もう帰ろうか」と思ったから。
 高校の同級生でたまには集まらないかと誰かが言い出したのがきっかけで集まったとはいえ、話すネタもそろそろ尽きていたころだったので、タイミングとしてはちょうどよかったのかもしれない。幹事による締めの挨拶も済んだところで、駅に向かうべろんべろんに酔った人や遠方の人を見送って、私は徒歩で帰路についた。五分十分で着く距離ではないけれど、電車に乗るほどでもない。

「歩いて帰んの?」
「…そうだけど」

 いつのまにかそばにいた御幸くんに驚きつつ頷くと、「じゃあ送ってくよ」と当然のように言われた。こういうところ、全然変わらない。こちらのちょっとした心の壁なんか見えてないみたいに平然と越えてくる。
 御幸くんともっと話したいと思っていたであろう幹事たちは「えー、御幸二軒目行かねえの?」と残念がっていたものの、彼は「ごめんな、また今度」と昔から変わらないあっさりした態度で断っていた。

「いいの?」
「ああ。あんま帰り遅くなんのもしんどいから」
「そう」

 高校を卒業してからも、御幸くんのことは何かと噂になっていた。どこの球団に入って、今期はどれくらい活躍していて、新聞やテレビでも特集されていて――と、順風満帆としか言いようのない近況を、本人からではなく他人から聞くのはなんだか不思議な気もした。
 彼の連絡先は知っているから、直接聞こうと思えばいつでもできたはずだった。そうしなかったのは、単にそれほど気安い関係じゃなかったということと、私の中にある変なわだかまりのせい。御幸くんも察しているくせに、いまだに素知らぬふりをする。
 今もそう。私が沈黙に気まずい思いをしているのをただ見てるだけ。根負けした私が口を開くまでそう時間はかからなった。

「楽しかった? 飲み会」
「うん、久しぶりだったしな」
「…御幸くんが来たの、正直びっくりした」
「それ今日会ったヤツ全員に言われた。まあたまには行っといても面白いかなと思ったから」

 半分くらいは嘘だろうな、と思う。高校の頃に特に仲が良かったわけでもない面子と顔を合わせて、自分の近況について根掘り葉掘り聞かれて、愛想よく受け答えして。楽しいわけがないのは聞く前からわかっている。それでも、なるべくどうでもいい話をしておきたかった。
 グラスが割れる音に、机から滴るお酒の残り。

 ――ごめん、酔っててちゃんと見えてなかったわ。結構飲みすぎたみたいでさ。

 彼の嘘はいつも滑らかだった。

「何か悩んでんの? こえー顔してる」
「……御幸くん」
「ん?」

 御幸くんの嘘についてあれこれ考えても答えは出ない。どうせもう、毎日会うわけでもないただの同級生。
 彼が私のことをどう思っていようが、私は相変わらず彼のことが苦手だし、彼に振り回されるのはごめんだと思っていて、ただ、かといって彼が一人で何でもしょいこんで勝手にカッコよく去っていくのには腹が立つと思う程度には、彼のことを放っておけなかった。

「さっきお酒こぼしたの……わざと、だよね」

 言葉にしてしまえば、なんということのない話。
 ストレートに聞いても御幸くんが正直に答えるかは半々といったところかと思っていたけれど、私が冗談で言っているわけではないことを悟ったからか、彼は「バレてた?」と微笑みながら肯定した。

「いや、思ってたより飲み会って長いし、話題もずーっと同じかんじだったから飽きちゃって」
「……『私の』お酒だった。あのグラスに入ってたの」

 飲み会の席は来た人順だったため、私と御幸くんはお互いに斜め前にいるような位置にいた。それなら倒しても仕方ないか、と思えるかもしれないけれど、大人数での飲み会では大体数人分まとめて食事が出される。大皿と取り皿で机の上がごちゃごちゃになったところの隙間に各自のグラスが置かれている、そんな状態。
 よほど酔っていたとしても、隣ではなくわざわざ斜め前の私のグラスを倒すのはそう自然にできることじゃない。お手洗いから戻って、お酒でびしょびしょになった自分の席と散らばったグラスの破片を見た瞬間にわかってしまった。
 
「御幸くんがなんでそんなことして嘘までつくのかわからないけど、私のお酒に誰かが変なもの入れてたとか、そういうことだったんじゃない? 最近そういうのよくあるって聞くから」
「すげーな、ほぼ当たり」

 御幸くんは感心したように軽く口笛を吹いた。当たり、と言われてこれほど嬉しくない推測もそうそうないだろう。
 
「本当にそうだったなら、あの時そう言ってくれたら…」
「なんて? 『お前のお酒に誰かが変なモン入れたかもしれないから絶対飲むな』って? 確信もねえのに言えないだろ。ま、あからさまに色変わりかけてたからほぼそうだろうなとは思ったけど」
「でも」

 そこで御幸くんが言えば誰でも信じるのに――と言いかけて、ああそうか、と腑に落ちた。彼はそう言ったときに何が起こるかはっきり見えていたからこそ、そうしなかったんだと。
 確信がなくとも、皆が信じればそれが真実になる。店のミス? 害のないイタズラ? それとも本当に――、どれだったかなんて今となってはわからない。

「もし違ったら俺が酔ってうっかり倒したことにすればいい。予想通りだったとしても考えてる余裕なかったし、一応家まで送るまでは気抜かないでおこうと思ってたんだけど、バレてたとは」
「…いや、すごいよ、ほんと。御幸くんは」 
「惚れた?」
「…………それはないけど」
「即答かよ。変わんねえな、名前も」

 笑って流す御幸くんは、それ以上は何も言わなかった。私も、言えるわけもなく。何年経とうが、お互いの環境が変わろうが、根本的なものは何も変わっていない。友人と呼べるほど親しいわけでもなく、まして恋人でもなく。それがちょうどいい距離なのは、変わらないままであってほしいような気はしている。


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