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試験勉強エトセトラ  




 ノートにざかざかと文字を書きつける音だけが響く。
 テスト一週間前となれば、放課後に残って勉強をする人はそう珍しくない。普段から勉強している真面目な生徒ならそんな必要もないのだろうけど、大抵の生徒はテスト前になってから準備を始める。友達とテストの範囲を教え合ったり、職員室まで押しかけて先生に質問をしに行ったり、やり方はそれぞれ。私も時々は図書室や食堂で自習することもあるから、教室で勉強しているという今の状況に別におかしなところはない。でも、どうして教室がここまで殺気立っているのか? そもそも私以外の生徒が異常に少ないのはなぜか?
 ――答え。追い詰められた倉持くんが一向に解けない問題と戦っているから。

「…………だあああァァっわかんねー!!!」

 重々しい沈黙を破ったのはやはりと言うべきか、倉持くんだった。「なんだよサインコサインって!」と叫んでシャーペンを放り出している姿は彼らしくもあるけれど、放っておくわけにもいかない。机から落ちてしまったシャーペンを拾って、彼の机の上にそっと置く。
 青道高校の野球部は普段であれば比喩でなく朝から晩まで練習をしているものの、さすがにテスト前ともなれば監督でもある片岡先生から練習禁止を言い渡される。もちろんそれでも隠れて自主練をする人はいるだろうけど、もしそれで赤点を取ってしまえば言い訳がきかない。過去にそれでしばらくの部活禁止処分を下された先輩もいるとかいう真偽が定かではない噂もあるため、野球部の大抵の人は真面目にテスト勉強をする。
 そして、もちろんそうでない人もいる。

「倉持くん……」
「わかんねーもんは何回やってもわかんねーんだよ!」

 普段から私の隣の席で時に堂々と昼寝をしている倉持くんが真面目にテスト勉強に勤しむことなど、おそらく先生も想像していないだろうと思う。
 片岡先生の方針もあってか、一科目でも赤点を取るようであれば部活の練習に顔を出すことさえ認められないらしく、倉持くんは毎度毎度直前になっては「いい点を取る」のではなく「赤点を回避する」ための策を練っている。
 何一つわからない問題文から出題者の意図を読み取って選択肢を当てる、鉛筆を転がして勘で当てる、先輩から借りた去年の問題の答えをそのまま書いてみる、などなど――聞いた時には「そんなので赤点が回避できるんだろうか」と私も信じられなかったものの、実際にこれまでその方法でギリギリ回避してきたと言うのだから倉持くんの強運ぶり(悪運ぶり?)がうかがえる。
 今回もそれで回避できるだろうと高をくくっていた倉持くんが今こうして必死になっているのは、多くの教科で突然の「勘封じ」が予告されてしまったからだった。

 ――選択問題は一科目五問まで。
 ――数学、物理などの計算が必要となる問題については計算式がない答えは無効とする。
 ――昨年度とは出題範囲を全て変更する。

 以前から倉持くんと同じような方法でギリギリを回避する人が多かったせいか、このようにかなり大胆な変更がされた。普段から勉強している生徒には大して影響はないし、青ざめているのは毎回ギリギリで赤点を逃れている生徒だけ。先生たちからすれば首根っこをつかまえて補習を受けさせたい面子だけが引っかかるシステムだ。
 私は飛びぬけて成績優秀というわけでもなく、赤点に引っかかるほど勉強嫌いでもない。なので今回も普通に勉強していればいいか、と他人事に思っていたのに、「何か今度メシでもおごるから数学教えろ」と礼儀正しいヤンキーのような言葉と圧力で倉持くんにすごまれて教室に居残る羽目になっている。

「数学は公式だけ覚えたら大丈夫だから、ゆっくり覚えて…」
「その公式がどこに当てはまるんだよ」
「えーと……この問題なら、辺ACと角ABCのところを見て、そこから」

 倉持くんのノートにざっくりとした図を描いて、辺の長さと角度を書きこんでいく。さすがに部活がかかっているとなると私の説明を聞く倉持くんも真剣で、「苗字が言うとすげえ簡単そうに聞こえるんだよな」とぶつくさ言いつつ、私の図を見ながら解き直していた。
 初日は数学と古文。古文は授業でやった『伊勢物語』の内容を読み返して単語や活用形をちょっと覚えれば赤点は回避できる。倉持くんは「『ありがたし』って感謝の意味じゃねえのかよ」と単語帳を見ながらなぜかキレていたけど、まあ覚えるだけならなんとかなる……はずだ。
 問題は数学で、こればかりは授業でやったことを丸々覚えてもテストで点を取れるかは断言できない。先生もおそらく応用問題を何問か出してくるだろうから、基礎のところでミスをしないことが重要になる。

「あと一週間でとか無理だろ……」
「だ、大丈夫だよ。数学は部分点もくれるから」
「っつってもよ――」

 倉持くんはシャーペンをくるくる回しながらため息をついた。確かに今の時点で赤点を回避できるかどうかと言うと限りなくノーではある。こういう時に励ましの言葉のレパートリーがあればいいのに、特に気の利いたことを言えるでもなく時間だけが流れる。
 やがて再びわずかにやる気を出したらしい彼がざかざかとノートに計算式を書き始め、私はそれを横目で見つつ自分のテスト勉強も並行してやっていく。どうにか上手くいきそうかも、なんて少しほっとしているところに、閉め切っていた教室の扉ががらりと開いて、その騒々しさに私も倉持くんも顔を上げ、すぐにそのことを後悔した。

「おー、ちゃんとやってんじゃん。感心感心」

 にこやかに教室に入ってきたのは、倉持くんと同じ野球部でもあり同じクラスの御幸くんだった。学年上位に入るほど成績がいいかは知らないけど、悪いとも聞いたことがないので、少なくとも倉持くんほど必死にならなくてもそれなりの点はとれるんだろう。
 テスト勉強をするにあたって、部活もクラスも同じで普通なら頼りやすい相手になるはずの彼を御幸くんがあてにしなかった理由はなんとなくわかっていたので、私もあえて放課後に勉強することは隠すようにしていたのに、どうして彼がここにいるんだろうか。

「御幸くん……何しに来たの」
「あれ、すげえ嫌がられてる? 一応手伝いに来たのに」

 持っていた鞄を倉持くんの前の机に置いて、御幸くんは当然のようにその席に座った。私は正直なところ「帰ってほしい」と思っているし、倉持くんは敵意丸出しで御幸くんを睨んでいるし、誰がどう見ても歓迎されていないのは明らかだというのに、平然としていられるその精神力には脱帽する。

「手伝い…って、倉持くんの?」
「頼んでねえぞ」
「頼まれてないけど。同じ二年のレギュラーが赤点でいなくなるとかこっちも恥ずかしいから、進捗具合を見に来たってわけ。…って倉持、そんな基礎の基礎からで間に合うか? 苗字は優しくしすぎだろ。もっとスパルタでいけって」

 倉持くんのノートを覗き込んで「あーでもここまで解けるようになったんなら結構望みありそうじゃん」とにやにや言っている御幸くんはどこまでもこちらの(主に倉持くんの)神経を逆なでしてくる。
 無視してもいい、というか私が一人であれば確実に無視しているところだけど、今は倉持くんがいる。放っておけば倉持くんがキレることは不可避なので、仕方なく御幸くんの雑談相手をしておくことにした。

「赤点が回避できればいいんだから、スパルタなんて…」
「いいっていいって。どうせ普段から部活でしごかれてんだから多少勉強でしごかれても大したことないだろ。むしろご褒美?」
「ごっ……」
「それにこいつはわりと数学はマシだからどうせなんとかなるって。わざと解けないフリして名前に一から教えてもらったりしてた? いいよなー、赤点ギリギリだからって理由で構ってもらえあだだだだだだ」
「…………遺言はそれだけかオイ?」

 数十秒が忍耐の限界だったらしい倉持くんが容赦なく御幸くんの耳を引っ張る。傍から見ていてもそこそこ痛そうだった。

「タンマタンマ!! ってか数学なら出される問題なんかわかってるだろ」
「は?」
「教科書の確認問題の三番と問題集の四十八ページは出すって言ってなかった? 授業で。あの先生わりとぼそっと大事なこと言うからさあ」

 半信半疑の私たちに、鞄から出した教科書と問題集を出して「ほら、こことここ」と御幸くんが示して見せたところは今回の範囲の中心的な問題で、嘘を言っているようには思えない。「そういうことは早く言えよな」と言いつつ倉持くんもその問題に印をつけていた。

「な、役に立っただろ。苗字」
「……まあ」
「じゃあ俺にも古典教えて?」
「え」

 いつの間にか御幸くんは私の机の方に寄ってきて古典の教科書を広げていた。ちゃっかり自分の分の準備もしているところがさすが御幸くんといったところか。
 倉持くんを放って御幸くんに教えるのはあまり気乗りしないから断らろうかと悩んでいたら、「俺も古典にする」と倉持くんまで古典の教科書とノートを出してきていた。一人教えることにも慣れていないのに、二人。しかも野球部。インドア系女子の端くれとしては逃げ出したいシチュエーションだ。

「お前、最初からそのつもりで来ただろ」
「バレた?」
「バレバレだっつの」 

 何か言い合っている倉持くんと御幸くんにとってはもう私が教えることは確定事項のようだった。私はとりあえず倉持くんが赤点を回避できればそれでいいんだけど、と思いつつ、古典のノートを机の中から取り出す。今から古典をするとなれば、これはもう下校時刻ギリギリまでかかるに違いない。
 既に橙色に染まり始めている空が窓から見える。最後まで付き合うことにしてノートを開いていたら「っつーか範囲どこだっけ」と絶望的な倉持くんの呟きを耳にして、少しだけ眩暈がした。


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