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一度だけの夏  




「夏といえばアイスだろう」

 クーラーをつけてようやく活動できるほどの猛暑の中、喜多川くんがそう言って美術室にファミリーパックのアイスを持ち込んだのは、まあ夏だからと特に驚くこともないのだけれど、万年金欠の彼のどこにそれを買う余裕があったのかと考えると不思議な気持ちがした。彼のお金のなさといったら毎日食べるものにも事欠くほどで、形式的には彼のモデルを一時的に引き受けただけのはずの私でさえ、彼の食事の面倒を見たのは一度や二度の話ではない。それなのに、芸術に関する本ではなく、完全なる嗜好品でしかないアイスを、しかもファミリーパックで買ってくるとは。
 私のそうした動揺を見て取ったのか、喜多川くんは「ちょっと友人のところでバイトをしていてな」と、なんてことのないように言った。確かに一般的な高校生ならばバイトをして稼ぐことくらい、大したことではないと私も思う。でも、この場合は喜多川くんだ。校内でも天才と変人のハイブリッド型として知られる、社会に順応できるとは到底思えない喜多川くんがバイトをして稼いできた? 私にはとても信じられないが、目の前にその給料で買ったというアイスが鎮座しているのだから否定しようもない。

「…どんなバイト?」
「喫茶店のカレーの仕込みだ。マスターが用事で不在だったのでな。何気ない一皿のカレーに、あれだけのスパイスや隠し味が入っているのかと勉強になった」
「ふうん」
「しかし、これだけ暑いとカレーの状態も気になる。友人はかき氷でも夏季限定で出したら売れそうだとか言っていたが」

 そう言いながら、喜多川くんはごそごそとアイスの箱からチョコ味のアイスを一本取り出した。さっと包装を破ってアイスに口をつける姿はどこか様になっていて、私よりよっぽどモデルに向いているのになあ、と少しだけ惜しい気持ちになってしまう。

「私も食べていい?」
「ああ。好きなだけ食べるといい」

 バニラ味、チョコ味、ストロベリー味。オーソドックスな味が並ぶ中、なぜかマンゴー味があったので、それにしてみた。夏休みの学校でアイスを食べているのはなんだか変な感覚がするものの、悪くはない。夢中になってアイスをかじっている私をじっと見ている喜多川くんに気を取られなければ。

「……まさかこれもモデルになってるの?」
「ならない瞬間はない」
「あ、そう…」

 アイスを前にして忘れてしまっていたけれど、彼は夏休みにわざわざクラスメイトを学校に呼んで制作に勤しむような人だ。つまり、芸術に対する熱量が常人のそれとは比べ物にならない。私も何度か彼の作品を見たことがあるし、到底同じ高校生が描いたものとは思えないものばかりだった。
 一方で、私は彼ほどの情熱を持って芸術に打ち込んだことはない。喜多川くんを羨ましく思うこともあるし、自分と彼との差を感じて勝手に落ち込んでしまうこともある。冷静になってみれば、彼には彼なりの苦悩があるわけで、私が彼の才能だけを羨むのは都合が良すぎる話なのだが。さっさとアイスを食べ終わった喜多川くんは、もう作業に取りかかっていた。

「このモデルって、いつまでしたらいいの? 夏休みが終わるまで?」
「作品が完成するまで…と言いたいところだが、そうなるといつまでになるかわからん。君の時間の都合がつく間だけでも構わない」
「アイスがついてくるならいくらでも来るけど」
「……それは、予算の都合上難しいな」
「だと思った」

 険しい表情を浮かべる喜多川くんをからかいつつ、ちらりと窓の方を見る。今日も夕方まで外に出られそうにないと思うほどに日差しが強い。家から学校に来るだけでもなかなかに厳しいものがあるけれど、一度くらい、こんな夏もあっていい。

「…いや、またあいつにバイトをさせてもらうよう頼みこんでみれば、あるいは……」

 真剣に悩み始めている彼を眺めながら、溶けかけのアイスをかじる。そんな夏も。


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