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ひととき  




 学生たる自分の身分を存分に活用し、夏休みという特権を大いに楽しむ。それも悪くはないが、そういったことにばかりかまけていられないのが芸術家というものだ。
水彩、デッサン、油絵に切り絵。様々な表現技法を試しつつ、ああでもないこうでもないと模索し続ける、この試行錯誤の連続こそが美の探求には欠かせないのだ。昨日は最善だと思えたやり方が、今日もそうであるとは限らない。答えがはっきりわかる者など、おそらくはいるまい。だからこそ時間をかけ、一枚の絵を完成させることに価値があるとされているのだろう。今、一枚の絵の構想を練りつつそう思う。どこにでもいる平凡な女性をモデルにした、絵を。

「『どこにでもいる平凡な女性』って、それを描いてどうするんだか」

 機嫌を悪くしたらしい彼女がぼそりと呟く。あまり愛想がいいとは言えないタイプの彼女にわざわざモデルを依頼したのは、外見が飛び抜けて美しいとか何かしらのオーラがあるとかそういったよくある理由ではなく、前述の通り「平凡」だったからだ。もちろん正直にそう話したが、彼女は「何それ」と呆れた顔をしながらも、美術室で夏休みの限られた時間をモデルとして過ごすことを拒みはしなかった。

「しかし、感謝している。君に断られた後のことは考えていなかったからな」
「ふうん……喜多川くんって、よくわからない人だね」
「よく言われる」
「私をモデルにして絵を描いてどうするの? どこかの賞に応募するんだったら、もっと綺麗な人に頼めばいいのに」
「いや、今はそういった絵はあえて避けるようにしている」

 自分が考える「美」をどういった風に描けばよいのかと、ジョーカーにも協力してもらいながら考えてはいるのだが、それが何かわかったところで、自分が描きたいものと描けるもの、あるいは作品を見る人々が求めているものが合致するとは限らない。
 実際、視覚的に「綺麗」な絵画だけがもてはやされていたのはもはや過去の話だ。斑目の例は極端だが、一部の絵画はその絵の背景にあるストーリーを含めてオークションにかけられ、莫大な利益を生む。芸術家として生きる上では、そうしたオークションを通じて絵画を手に入れようとする顧客の心をつかまないことにはどうにもならない。それが現実だと、頭ではわかっているのだが。いかんせん俺には「普通」の感覚がない。

「君は、絵を見るのは好きか?」
「まあ普通に。でも、喜多川くんほど考えて見ることはないかな……なんて言うか、ただ見るだけの私みたいな人からすれば、絵も一つの娯楽みたいなものだから」
「娯楽……?」
「…そんな怖い顔されても困るんだけど。だって、絵って必ずしも特別なものじゃないでしょう? 外に出れば企業の広告とか、大学のサークルのチラシとか、アニメのグッズとか、何にでも絵がついてるし。まあ、芸術的な価値を認められるのはほんの一部だとは思うけど」

 芸術的な価値ーーそれを認めるのもまた人間なのだから、確かなものとは言いがたいが。彼女の意見は、俺が常日頃から絵に対して抱いているものとは全く異なってはいたものの、俺の求めている「普通」の意見に近しいもののように思えた。

「なるほどな。確かに、俺が描くような『絵画』でなくても、巷には絵が当たり前のようにあふれている……」
「喜多川くんが認めるタイプの絵じゃないだろうけど」
「いや、絵に認めるも認めないもない。俺が描けないものを誰かが描いているのなら、それは尊敬するべきだろう」
「…………」
「なにか変なことを言ったか?」
「ううん。喜多川くんの割にまともなこと言ったなあと思って」
「俺の割に……だと?」
「だって、普段から『芸術のために全てを捧げてます』みたいな態度だし、それこそ今まで人とまともに喋ってるところなんか見たことなかったし」
「人の作品を肯定できない芸術家など、自分の作風を狭めるだけだからな」

 批判はいつでも自分に跳ね返ってくる。他人の作品を褒めてばかりもいられないが、見習うべきところは素直に取り入れるのが吉だ。自分の好みでないものがコンクールなどで高く評価されることも少なくないのだから。

「喜多川くんって、やっぱり変わってる」
「そうか。褒め言葉として受け取っておこう」
「褒めてる褒めてる」

 どこか投げやりにそう言った彼女は、 「それにしても暑すぎない?」と、下敷きを使って顔をあおぎ始めた。今時クーラーもつけずに換気だけで夏をしのぐのは愚策ではあるが、節電というエコに取り憑かれているのは学校も俺自身も同じだ。もともと美術室のクーラーはききが悪いことに定評がある。彼女の機嫌がさらに悪くなる前にさっさと進めておかなければ。
 焦った気持ちでキャンバスの中の彼女に筆を入れると、現実の彼女がこの上なく憂鬱そうにため息をついた。


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