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横顔  




「君の横顔、いいな」

 なんの前置きもなくそう言った男は、平然と私の目の前に立っていた。いつもと変わりない昼休み、教室でただお弁当を食べていただけの同級生にかける第一声がそれなのだから、詳しく語らずとも彼の特殊性は誰の目にも明らかだろう。

「……あの、何か用? 喜多川くん」
「いや、特にない」

 ないのか、とツッコむのも面倒で、半ば無視して食事に戻ることにした。一時間ほどしかない昼休みに、無駄な会話をする意味もない。さっさと食べ終えたら、午後の授業の予習もしないと。喜多川くんが話しかけてきたことで周りの視線が痛いけれど、そんなことに構っていられない。喜多川くんのように芸術的な才能がある学生ならともかく、私のようにそれほど才能や向上心があるわけではない学生は、早くから見切りをつけて受験勉強に励む他ない。…の、だが。

「……まだ何か?」

 全く去る様子もなく突っ立ったままの喜多川くんに、暗に「邪魔するな」という意味を込めてそう聞くと、「今後の参考にしたい」と理解不能な言葉が返ってきた。ここでまた無視を決め込んだところで、私の拒絶の意思を汲んでくれる相手ではなさそうだ。

「参考って…絵の?」
「ああ。次に描く絵のモチーフが決まっていなくてな」
「そうなんだ……大変だね」

 我ながらさほど心のこもってない返事だけれど、私自身それほど絵画に造詣が深いわけではなく、彼の絵の参考になるとも思えない。
 斑目の事件以後、彼に対しては周りもどう接していいか決めかねているところがある。かく言う私もその一人だ。彼の境遇に同情しつつも彼に近寄って声をかけるほどの間柄ではない、ただの無責任な他人。
 おかずのハンバーグをつまみながら、彼を真正面から見据える。少し意外なことに、彼の瞳には、私のいい加減な態度への怒りも失望もなかった。あるのはただ、純粋な興味の色。

「正面だと、雰囲気が変わるのか」
「え?」
「ふむ……横顔の方が確固たる意志の強さを感じさせるな。普通に昼休みの女生徒として描くのも悪くないが……」
「…………」

 はっきり言って、さほど話したことのない同級生が私を見てぶつぶつ独り言を呟く光景には恐怖以外感じない。私、何か悪いことしたっけ?いやしていない。でも、喜多川くんを追い返すほどの勇気は持ち合わせていないし、事態はもうとっくに詰んでいる。

「…………」
「…………」

 私の忍耐が切れるのが早いか、喜多川くんがまた奇妙なことを口走るのが早いか、はたまた授業の始まりを告げるチャイムが鳴るのが早いか。周りのクラスメイトが固唾を飲んで見守る中、沈黙を破ったのはやはり喜多川くんだった。

「…放課後だ」
「はい?」
「今は明確にこのインスピレーションを言葉にはし難い……今日の放課後、もし予定がなければ付き合ってくれないか?」

 彼にまっすぐな目でそう言われて、「予定があるので無理です」と断れる女の子などそうそういるだろうか?私の知る限りでは、否。勢いに押され曖昧に頷きながら、自分の流されやすさにため息をつきたくなった。

「ありがとう。ところで、君の名前はなんだ?」
「知らなかったの……?」

 まあ自分が目立たない生徒であることはわかっているけれど、ここまで熱心に話しかけておいて名前も知らないことを堂々と言える彼の度胸に目眩がしてきた。やっぱり断ればよかったかもしれない。が、だんだん後悔が芽生え始めたところでもう遅い。私が名乗るよりも早く、「しまった…! 今日は購買部に取り置きを頼んでいた絵の具を引き取りに行かねば……!」と大げさに焦り始めた喜多川くんは教室を飛び出して行った。なんとも騒がしい人だ。

「放課後……かあ」

 はたして何時間かかることやら。彼がどうか放課後までに私以外の人や物にインスピレーションを感じてくれますように、と祈りつつも、なんとなく、彼は絶対に言葉の通りこの教室にやって来る予感がしていた。


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