dream | ナノ


松野チョロ松と同級生のスタバァ店員の話  




 彼に恋することほど不毛なことはそうそうないだろうと、他人に指摘されるまでもなく私自身よく理解していたつもりだ。

「そのうち働くから」
「結婚もするし子供も二人くらいは欲しい」
「僕が一番まともだって! 他の奴とかないない」

 そう言っている時の彼の横顔は自分が口にした言葉を一ミリたりとも疑っていなかったし、ああこの人は幸せな人なんだ、と私は他人事のように思うのだ。実際他人事であるのだが。彼がニートであろうがこれから先就職しようがしまいが誰と結婚しようが子宝に恵まれようがそれなりに長生きして畳の上で家族に看取られながら死のうが、ただ同じ中学校に通っていただけで彼女でもない私にこれっぽっちも関係はない。彼の兄弟のことを考えれば関わらない方が幸せだろうとさえ思える。
 なんてったって、松野兄弟と言えば学生時代からさして変わらない手の付けられない六つ子。しかも全員ニートで親のすねかじりときたものだから、引きこもることなく昼間から街を堂々と彼らの歩く面の厚さにはいっそ感心する。


 そのように決して世間から好ましく思われることのない彼らのことを、実を言うと私もさほど好きではなかった。私は古い考えの人間だから、まともに生きている人をまともに好きになることがまともだと思う。松野兄弟は全員、今も昔もまともから程遠い。中学の頃の知り合いに会って、彼らの話が出なかったことは一度もないくらいに。

 ――松野くんたちって、皆ニートなんだって。
 ――この前見たけど、相変わらず皆同じような格好しててさ、超わかりやすかった。

 私はそうした話にうんうんそうなんだと適当ににこやかに相槌を打ちながら、右から左へ聞き流すことに慣れて行った。興味が全くないと言ってしまえばそれまでだが、特に親しくもなかった変わり者の同級生の近況など聞いたところでどうにもならない。彼らに会って話すこともないだろう。彼らと私の間に、そんな濃い繋がりなどなかった。いつでもどこでも注目の的になっていた松野兄弟と、ただの無個性な学生でしかなかった私との違い。
 その中でも彼――松野チョロ松について、学生時代に何か特別な思い出があったかと聞かれれば答えは変わらず否。接点などほとんどなかったし、彼は私の名前すら知らなかったに違いない。スクールカーストなどという言葉が存在しなかったあの時にも、誰も意識しなかっただけで、確かにそういったものは存在した。
 そういった面倒なしがらみから解放された今では、あの煩わしさを感じさせる空気さえ一種のノスタルジーを感じさせるものとなっている。でも、同級生と会うのはそれとはまた別の話だ。昔の知り合いと近況を話すだけでも消耗するというのに、加えてこちらが一方的に相手を知っている場合のいたたまれなさといったら。同窓会などあらかじめ会うことがわかっている場ならまだしも、バイト先のレジであれば心の準備などできるわけがない。

「いらっしゃいませ。ご注文をお伺いします」

 にこやかに客を出迎える際の決まり文句を口にしながら、その時の私は何とも言い難い気まずさを感じていた。目の前にいる客はどこからどう見ても中学校の同級生全ての記憶に焼き付いている「松野くん」だった。関わったことがほとんどない私には彼らの見分けまではつかないけれど、あの六人のうちの誰かだ、ということはわかる。
 男性服としてはあまりにありふれたチェックのシャツに、これまた街を歩けば十人くらいは同じものをしょっているであろう無個性なリュックサック。落ち着かない様子でメニューを見ている様子はいかにもこういった場所に慣れていない人特有のもので、「松野くん」ってこんなかんじだったっけ、と少し意外に思いながら「今は期間限定のダークショコラフラペチーノが人気ですよ」と助け舟を出す。中学の同級生だろうが何だろうが、この場ではあくまでお客様。

「じゃ、じゃあそれでお願いします」
「ホイップクリームなどのオプションはよろしいですか?」
「あ、え、オプション?」
「お好みでホイップクリームやチョコレートソースなどを追加注文していただくことができるんです。ダークショコラフラペチーノは少し苦めなので、ホイップクリームを乗せる方が多いですよ。オプション料金はかかりませんのでお気軽にどうぞ」
「それじゃあ…ホイップクリームで」
「はい、かしこまりました」

 注文を通してからレジを打ち、フラペチーノが出てくるまでの間の沈黙をどうしたものかと考えながらお釣りを彼に手渡す。同級生とはいえ、あまりプライベートなことに首を突っ込むのは良くない。無難に世間話程度でおさめておくくらいで抑えておこう。

「これからお買いものに行かれるんですか?」
「え…あぁ、そんなかんじです」
「今日は雨ですから、どのお店も空いているかもしれないですね。ここも晴れの日はテラス席まで満席になったりしますけど、雨の日は見ての通りで」

 駅から若干離れたところにあるせいか、この店は平日もしくは雨の日だとそれほど混雑しない。今日は雨の日の月曜日。こういった日はノートパソコンで資料を作るビジネスマンや授業の合間に友人と話をしに来る大学生といった本来のメインターゲット層が駅前の系列店の方へ流れてしまうため、客層の年齢層が高くなり、店内は静かになる。働く側としてはこれ以上なくいい環境だ。
 空いている分、一人一人の客とどうコミュニケーションを取るかには頭を使う必要があるものの。本来人と話すことがさほど得意でない私は、注文された品が出てくるまでのたった数分の時間をいかに自然に待てるものにするかという問題には他のバイトよりも気を遣わなければならない。
 今のところはその努力は功を奏しているらしく、彼も「そうですね、雨だとやっぱ…外出るの億劫ですし」とはにかみ気味に返してくれた。笑った顔は少し、昔の「松野くん」と重なる。どの松野くんだったのかはわからない。

 全校集会で兄弟が表彰されている時に大声で名前を呼んで怒られていた松野くん? 
 日直の日に仕事を一つもせずに当番日誌に嘘八百を書いたせいで先生に反省文を書かされていた松野くん? 
 バレンタイン当日の浮かれた雰囲気を昼休みの放送室ジャックでぶち壊した松野くん?

 そう、考えてみれば「松野くん」についてろくな記憶が一つもない。さっき私が感じた違和感の原因はそこにあった。でも、おかしいこと、とまでは言えないだろう。誰だって大人になるにつれて少しずつ変わっていくものだし、そうやって変わらなければやっていけないのだから。

「お待たせしました。ダークチョコレートフラペチーノ、ホイップクリーム乗せです。ごゆっくりどうぞ」

 フラペチーノが乗せられたトレイを差し出し、にこりと愛想よく笑みを浮かべる。本音を言えば彼ともうこれから話すことはないだろうと思うと名残惜しくもあったが、人との関わりなど所詮一期一会。さて次のお客様がご来店するまでテーブルでも拭いておこうかと気が抜きかけたタイミングで、「あの」と控えめでありながら真っ直ぐに通る声で彼は私に声をかけた。

「月曜日って、いつも席空いてますか…ね?」

 一瞬きょとんとしてしまった私を見て何かまずいと思ったのか、彼が「あ、いや僕あんまりこういうとこ慣れてないから、できたら人が少ない時間帯の方がいいなっていうか……変なこと聞いちゃったかな」と少し顔を赤くして弁明し出した。言い訳じみた言葉が如実にその裏側にあるものを私にはっきり伝えてきていて、バイト用の笑顔を崩してしまいそうになる。暖房は適温にしてあるはずなのに、妙に暑く感じる。

「大抵空いてますよ、昼過ぎでしたら」

 動揺しながらも何とか告げたその答えの意味を、彼はちゃんと正確に受け取った。



***



 バイトの後は決まって駅前の喫茶店に入る。お茶を飲むためと言うよりは、午前中からずっとバイトだったためにお腹が空いている私がたらふくご飯を食べるためだ。お洒落なパスタでなくとも、こってりした豚骨ラーメンでもあっさりした蕎麦でも私は構わないけれど、彼の前ではあくまで女の子らしいところだけ見せていなければならないような気がして、結局いつもそこで食べることにしていた。
 同じ中学に通っていたことは彼には一切伝えていない。私の名前を告げても一切気づいた様子は見られなかったから、やはり記憶に引っかかるものは何もないのだろう。ほっとしたような、少し残念なような。でも、私も人のことは言えない。

「僕は松野チョロ松っていうんだ。…あー、変わった名前ってよく言われる」

 松野チョロ松、と聞いて思い浮かぶことは特になかった。私の中で「松野」という苗字が彼ら六つ子についての記憶とセットになっていて、下の名前はほとんど印象に残っていないせいだ。
 私から話を振らなくても、会う回数を重ねるごとに彼は自分の兄弟についていろいろと語ってくれた。曰く、どうしようもないヤツ。大人になっているのに子供みたいな言動ばかりしているヤツ。兄弟ながら何を考えているのか全然わからないヤツ――ああ、「松野くん」ってそこまで変わってないんだな、とその話を聞いていると何となくわかった。 

「そうなんだ。松野くん、毎日大変だね」
「ほんっと、昨日も大変でさあ」

 同い年だと伝えたら「さん付けじゃなくていいよ、その方が気楽だし」と彼に言われたので、それ以来私は昔のように「松野くん」と呼んでいる。昔のように、と言ってもそれは私が一方的に噂話の中で口にしていた呼称というだけ。
 こうして何気ない話をしていると、噂話で聞いた「六つ子全員がニート」というのは本当だったんだと実感した。彼は決して自分から就職の話をしなかったし、私もあえて触れなかったけれど、会話の端々でそういう雰囲気は感じた。だから会うのをやめようとか、彼と関わらないでおこうとまでは思わなかったあたり、私は噂話をしてくれた友人より彼の方に共感していたのかもしれない。もしくはもっと単純な理由から。
 
「バイト、大変じゃない? 今日も結構人多かったし」
「一人じゃないから大丈夫だよ。むしろお客さんと話す方が大変かなあ。ネタあんまりないから」
「そっかあ」

 松野くんは私の話を何でもそれなりに聞いてくれる。それほど熱心というわけではないけれど、ふとした会話の流れで「そういえば前言ってたけど」と言ってくるあたりちゃんと覚えているようだ。彼が自然とそうしているのか、あえてこのくらいの距離感を取るようにしているのか、どちらなのかはわからない。けれど私にとっては居心地がよかった。干渉しすぎず、されすぎず。

「松野くんは慣れた? 月曜日のカフェには」
「うん、まあ。でもやっぱあれ、サイズ小さい方がいいよね。トールだとそれだけで脳みそ砂糖漬けになりそうだった。てかなったわ」

 初めて来店したあの日以降、彼は毎週月曜日にやって来る。最初に注文したフラペチーノの甘ったるさには辟易したのか、今ではコーヒーをシンプルに頼むことが多い。別にバイト終わりの私とご飯に行くだけならわざわざコーヒーを飲みに来なくてもいいのに、「そこは売り上げに貢献しないと悪いじゃない?」と言って譲らないあたり、彼は変なところで律儀だ。何だかんだ理由をつけつつ毎回私のお昼ご飯も奢ってくれる。彼が優しい性格だから奢ってくれていると思うほど私はおめでたい性格をしていないが、それでもやはり後ろめたい気持ちになる。

 彼女ではない、ただの女。それが私。

 初めから彼が私に対してちょっとした下心を持っていたことには気づいていた。ご飯に誘われて、奢ってもらって、毎週話して、それで何一つ気づかないはずがない。私も彼のことを好ましく思っているから、これは所謂相思相愛というやつなのかもしれない。ただ、この関係を進めるかどうかというのとはまた話は別だ。

「甘いのは苦手なの?」
「苦手っていうか、あんまり量が多いのはきついってだけ。弟とかすげー甘党だし」
「そうなんだ。じゃあお菓子の取り合いとかはそんなにないとか?」
「いや、戦争」
「せ、戦争……」
 
 ゆっくりと明太子スパゲティを咀嚼する私と視線を合わせて、ちょうどカルボナーラを食べ終わった松野くんはナプキンを一枚手に取った。軽く口を拭いたそれを几帳面に折りたたみながら「男兄弟ってそんなもんだよ」と呟く。兄弟のいない私には、五人も兄弟がいる松野くんの話は想像もつかない。でも楽ではなさそうだな、と適当な感想を抱きつつ話半分で相槌を打っていると、松野くんはそれから少し躊躇うように視線を外した。何か大事なことを話す合図だな、と直感する。
 さすがに、もう正式にお付き合いしましょうという話だろう。断る選択肢は私には最初からないけれど、今日か、と戸惑う気持ちはある。こうやってだらだらと話をするだけで満足しているから、それ以上関係が進展することに気持ちの準備が追いついていないのかもしれない。
 私のそうした些細な戸惑いに気づいた風もなく、彼は意を決して口を開いた。

「実は、さ。いきなりなんだけど、聞いてほしいことがあるんだ」
「う、うん」
「驚かないでね」
「うん」

 今更驚くようなことはない。それよりもどう返事をするべきか、だ。
 松野くんの好みは会話していてなんとなく把握してはいる。あまり我が強すぎず、弱すぎず、バランスが取れた子。それが彼の好みに一番近い女の子だろうと私は勝手に結論付けていた。つまり、彼が何かを言った時に否定はせずにさりげなく肯定するのがベスト。あくまでさりげなく、押し付けがましくせず。
 だからただ、彼の言葉の続きを待った。私の視線を受けて、彼は初対面のあの日のように頬を染め、告げる。

「僕も、兄弟も、その…仕事、してないんだ」

 予想外でありながらもそれほどの驚きのない彼の言葉は、私を沈黙させるのに充分だった。このタイミングでニートの告白? 普通ならあり得ない。私が何も知らない普通の女の子であったら、ショックのあまり卒倒してしまうかもしれない。
 でも、運がいいのか悪いのか、私は最初から彼の秘密を知っていた。

「そうなんだ」
「う、その……引いた、よね」
「引いた、というか…その、ごめんなさい」
「…………」
「知ってた、から」
「……え?」

 驚きのあまりぽかんと口を開けている彼に、私はずっと黙っていた全てのことを話した。
 同じ中学に通っていたけど、ただそれだけで、私が一方的に松野くんのことを知っていたこと。中学の頃の印象と随分変わっていて最初はどう接していいものか迷ったこと。今は普通に話しているのが楽しくて、一方的に知っていただなんてなかなか言い出せなかったこと。

「松野くんのことはいろんな噂で聞いてたよ。その…働いてないことも」
「マジで!? 俺のプライバシー駄々漏れかよ!」
「でも、私が会う松野くんはいつも楽しそうだったから、そういうのわざわざ聞かなくてもいいかなって思って」

 私の話を聞きながら「え」「ほんとに?」「俺の悩み何だったの?」と呆然と呟く松野くんを見ていると、どうやら私も松野くんもそれぞれ正直に話せば大したことではない問題について真剣に悩んでいたらしい。

「えっと、じゃあ…これからもよろしく」
「こちらこそ。よろしくお願いします、松野くん」 

 お互いになんとなく頭を下げて、目が合った瞬間、その滑稽さに気づいてくすりと笑い合った。順番がぐちゃぐちゃで関係も曖昧なこの状態が、不思議と当たり前のようになじんでいる。
 これが私と松野チョロ松とのちぐはぐな恋の始まりだった。


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