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序章に及ばず  




「邪魔」


 当然のようにそうかけられた声のあまりの違和感のなさに、とっさに「ごめんなさい」が出たとき、ふと顔を上げ、彼と初めて目が合った。と言ってもその時の私は彼がくだんの「摂津万里」だとは気付いていなかったのだけど。むしろ私の隣で同じくロッカーを開けていた女の子が驚いた様子で彼を見つめていたことの方が印象的だった。
 彼がちゃんと朝から学校に来ていることは珍しく、さらに真面目に授業を受けることなどめったにないから、らしい。学内ではいい意味でも悪い意味でも人の目を引く彼は、確かにその日以降、私の日常にもちらほらと姿を見せるようになった。知り合いとしてではなく、ただ日々の風景に溶けこむ彩りとして。
 不良っぽい人と一緒に廊下を広がって歩く姿は遠目から見ても目立ったし、彼を呼ぶ女の子の黄色い声や、それに素っ気なく(機嫌が良ければそれなりに愛想よく)返す彼の声も、耳に入ることが増えた。
 出席率はさほど高くなくともクラスの中心にいる彼と、無遅刻無欠席の割にはクラスメイトの大半と打ち解けていない私が直接関わることなどそうそうなく、私の中で彼は「摂津万里」という名前のちょっと怖い人、という認識しかなかった。

 その奇妙な均衡が崩れ去ったのは、ついさっきのこと。
 修学旅行実行委員会、だなんて面倒な役どころを押し付けられた結果、その集まりのせいで下校時刻ギリギリまで残らされ、憂鬱な気分で校門を出たときだった。
 彼は校門から出てすぐの信号の手前で立っていて、私を見るなり軽く舌打ちをした。そんなにあからさまに怒りをぶつけられても、私には彼を怒らせるような心当たりなどない。触らぬ神に祟りなし。そのことわざ通りに彼の前をさりげなく通り過ぎようとした瞬間、「待てよ」と強い口調で呼び止められた。

「な、何…ですか」
「お前だよな。修学旅行の委員」
「え、あ、はあ」
「承諾書出したいんだけど」

 言うなり押し付けられた承諾書にはしっかりと保護者の判も押されていて、パスポートのコピーと一緒にクリップでまとめられていた。

「えっと…提出は明日以降でいいんですけど」
「明日来ねえかもしれねえし。じゃーな」

 用は済んだとばかりに背を向けて去っていく彼の足取りは、どことなく軽いように見えた。
 彼のように普段さほど授業に出ていないタイプの人が修学旅行の書類をいの一番に出してくるのは予想外だったけれど、それだけ楽しみにしてもらえているのかと思うと少し嬉しい気もする。そんな承諾書をファイルに入れるとき、ちらりと見えた付箋が気になってもう一度見直すと、承諾書の隅に薄いピンクの付箋が貼ってあった。

『今日中に提出必須』

 きっといつものようにサボって提出を逃すだろうと彼の行動を見越したようなその付箋と、『承諾書出したいんだけど』とふてぶてしく言ってきた彼の態度がつながって、思わず笑みがこぼれた。私と彼とは、同じ高校に通っていて同じクラスであるという以外に共通項など一切ないと思っていたのに、彼にも逆らえないものがあるんだと知った今では彼をなんだか身近に感じる。
 明日この承諾書を担任に渡したらどんな顔をするだろう、なんて少し意地悪な想像をしながら、私はバス停へ向かって歩き始めた。


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