dream | ナノ


I know  




 戦うことから逃げたいと思ったことなら何度もある。許されるのなら今すぐにでも逃げたいくらいに、本当は自分に向いていないと思っているし。それでもなんとか我慢してきたのは、単に他にやるべきことがなかったから。元の世界に帰りたいとわめくにも、他のことをして暮らしていくにも、逃げ出すにも、自分自身の気力がいることはわかりきっていた。でも、戦うだけなら何も自分一人で孤独に立ち向かう必要はない。無理だと思えば誰かに頼ればいい。それは、楽だった。
 と言っても、楽であればそれで全て解決というわけでもない。時には一人で何かをなすことも大事だ。一人で動くことを躊躇してろくなことになった試しはないというのが私の経験則。
「なのに、どうしてこうなるかなあ」
 数日経った今でもずきずきと鈍い痛みを訴えてくる右足を見つめて呟くと、傍でリンゴをむいていた鄭和さんが「ごちゃごちゃ言ってないでおとなしく寝ておきなさい」と至極まっとうな言葉を返してきた。別に風邪をひいたわけでも入院しているわけでもないのにリンゴを毎日むいてくれる鄭和さんの行動はよくわからないものの、うさぎさんの形になって皿に並べられているリンゴは普通に美味しくて、細かいことはどうだってよくなってしまう。
 数日前に、ちょっと遠出をしてみようとして大した備えもなく出かけただけだというのに、運がなかったのか、たまたま気が立っていたらしいアビンに襲われて驚きのあまり足を踏み外していっそ見事なまでに谷に落ちた。それだけの話。まあ、事情を話せば大概の人は大笑いするか説教をしてくるかの二パターンだったことからもわかるように、私がボケていたということだ。戦ってるわけでもないシーンで勝手に谷に落ちてそこそこひどい怪我をしましたと言えば誰だって笑う。
「皆ああ言ってても、心配してるのよ?」
「鄭和さんもですか?」
「当たり前じゃない。女の子が怪我することを何とも思わない男なんていないわよ」
 そういえば鄭和さん男でしたっけ、とつい出そうになる言葉を飲み込む。軽口を叩くことは癖みたいになっているけど、この人が男だというのを全く意識していないわけじゃないから。いつのことだったか鄭和さん本人が言っていたっけ。
「でも、私を女だと認識してる人が何人いるんでしょうかね」
「そういうこと言わないの! たまには素直になりなさい」
 私自身は常々、オルウェイズ100%素直で構成されている人間であるつもりだったのだけど。鄭和さんは私のそういう言い訳を聞いてもなお、呆れたと言いたげな表情をしている。私はこれ以上ないくらいに素直な人間だ。ただ他人にも自分にも優しくないだけで。
「認識されなくていいですけどね。ここに未練なんて残したくないですから」
 帰りたくないと思っている自分がいることには薄々気づいている。これ以上その気持ちを大きくしたくはなかった。私は帰りたい。自分の居場所が、たとえもうここにできてしまっているとしても、大事な人がたくさんいるとしても、この世界の命運を握っているだかなんだかファンタジー小説のような設定を押し付けられているとしても、いつかは帰るしかないのだ。
「それが本音?」
「ですね。軽蔑しました?」
「むしろ逆よ」
 珍しく感心しちゃったわ、とくすくす笑っている鄭和さんの笑みにはどこか凄みがあって、ああこの人は見通しているんだ、とわかってしまった。理屈でどうこう言っていても、私がいまだに迷っていること。
「鄭和さんって、実は怖い人ですか?」
「さあ、どうかしら」
 心を覗かせない完璧な笑みは、私の仮定を肯定しているように見える。読めない人だなと思いつつうさぎの形をしたリンゴを一口かじって、その甘さに少し辟易した。


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