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傷と従者  




 愛しいものほど傷つけたくなる。私を主人として慕ってくれる彼も、そう。きっと私が言えば何でもしてくれるんだろうと思ってしまうくらいに、私の全てに忠実な人。その従順さは彼の自己満足に過ぎないとしても、利用していたことは確かだ。アビンを斬ってもらったり、買い物についてきてもらったり、日常のあらゆる場面で私は彼の力に頼った。そんな穏やかで何も悩まなくていい関係を続ける方が楽だったろうに、もう、捨ててしまいたいと思ってしまった。壊してしまいたいという衝動を止められなかった。彼は、私を止めずにされるがままになっている。弱い人。だから、私みたいな悪人につけこまれてしまった。
 彼の首筋に口づけながら、かすかな石鹸の香りを堪能する。さっきまで風呂に入っていたことを如実にあらわすしるし。髪の毛は半端に濡れているし、全身が温かくて、どこかふにゃりと柔らかい。ぴたりとくっつけば彼の心臓の音と吐息がより近くで感じられる。普通の「主人」はこんなことはしない。普通の主従関係に、こんなことはあってはならない。
「何か、あったのでありますか」
 私の行動に対してずっと沈黙を守っていた彼が発した言葉は、ありきたりな心配だった。なるほど、いつも必要以上のコミュニケーションをとらない主人が従者にある日突然抱きつけば、何かあったと考えるのが自然だ。よくある話。私から言わせれば、そんな推察、大きなお世話以外の何物でもない。
「何も」
「しかし、いつもの貴方は…」
「いつもって何?」
 わかったつもりというのは無自覚な分、たちが悪い。だから彼の言葉に苛立ったのは確かだけど、自分のミスを恥じるように目を伏せる彼を見て、説明が足りなかったことを少しだけ反省した。
「本当に何もないの。私がこうしたかっただけ」
 どう説明すれば彼は頷いてくれるだろうと考えた末、出た結論はいたって単純。「曖昧にしよう」、ってこと。細かく伝えれば私は彼を失うことになってしまうし、少なくとも今の主従なんだか何だかわけのわからない一方的に決められた関係は壊れて、彼との繋がりは消える。消えてしまえばそれはそれで仕方がないと諦めもつくのだけど、耐えられる自信はなかった。彼は私を表面上は慕っているものの、依存しているわけじゃない。そこから生まれる私と彼との差は、決定的だった。
「不安、なのですか?」
 漠然とした問いは明確に私の痛みを見透かしていた。彼が私を忘れられないくらいに、傷つけたい。そう望みながら、叶ったところで満たされないことを知っている。この生活に先があるかなんてわからないし、明日には私か彼か、その他の誰かが元の世界に戻ることだってあり得る。それが不安、なんだろうか?
「わかんない。逃げたいのかな、私」
「逃げても、誰も責めませぬ」
「……私が弱いから?」
「いえ、貴方が出した答えならば、受け入れられるからです」
 信長殿は連れ戻しに行ってしまうかもしれませぬが、と笑って、彼は私の背中を赤子をあやすようにとんとんと軽く叩いた。立場が逆転している。彼が主人、私が従者。
「ひどい」
「え?」
「これ以上好きになったら、帰れなくなるじゃない」
 きょとんとした顔をする彼に、不恰好なキスをする。どうにでもなれ。従者は主人について行けばいいのだ。私を近づけるも遠ざけるも、彼の自由。
 縛られているのは最初から私の方だった。


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