ずっとそばにいたのに

足の震えがだんだんと大きくなってくるのが厭でも分かる。
けれど握り締めている端末が震える事はなかった。
本当に愛想を尽かされてしまったようだ。
もう助けなんて誰も来ない。
私は此処で終わってしまう、そんな気がした。
あの時きちんと警察に相談していればこんな結末にならなかったのだろうか。
今更たらればを考えたところで現状は何も変わらない。

しかし私だってタダでやられるわけにはいかない。
せめて一発ぶん殴ってやる。
痴漢撃退法を遠い昔テレビで見た事を思い出したが、如何せん昔過ぎてうろ覚えである。
とりあえず急所である股間を蹴り上げれば何とかなるかも知れない、とそんな事を足りない脳みそで必死に考えていた。
けれど殴るとか蹴るとか、強がってはいるが矢張り怖い。
凄く怖い。
正直な処本気で泣いてしまいそうだ。
実際は必死に太宰さんの名前を呼び続けている。
愛想を尽かされてしまったかも知れないが、助けに来てくれるんじゃないかって。
こんな私でもまだ助けてくれるんじゃないかって。
信じている自分が此処にいる。
だって太宰さんは私の王子様だから。
出会った時、まるで少女漫画に出てくる王子様のようで。
あの時から私は―――

「情けない顔をしていると余計不細工になってしまうよ」

やっぱり貴方は私の王子様だ。
涙が溢れ出して止まらない。
今度は悲しいわけじゃない、嬉しいのだ。
私はあの日からずっと太宰さんが好きで好きで堪らない。
ずっと気づかないフリをしていただけだ。
気づいてしまえば別れが辛くなるから。
いろいろな言い訳を並べて其の気持ちから目を背けていた。
でも今、彼の姿を見て確信した。
此の気持ちを無視する事なんて出来ないと。
私は彼が好きなんだ。

太宰さんの姿を見るや否や奴の顔色は変わった。
あの時の事を思い出しているのだろう。
今度こそ殴り飛ばしてやると云わんばかりに襲い掛かるが。
今回も太宰さんの方が上手だった。
ひょいと軽く身を躱され、ストーカー君は地面へと這いつくばる羽目になった。
しかし今回は奴も諦める気はないようで、どれだけ躱されようとも襲い掛かる事を止めない。
面倒になったのか、今まで躱す事に徹していた太宰さんだったが、一発鳩尾へと蹴りを食らわせた。
よろよろと後退する奴はうめき声を上げながら情けない格好で逃げてしまった。

一件落着した私の涙は止まる事はなく、とめどなく流れ続けている。
今夜だけで体中の水分を使い果たしてしまいそうだ。
明日には枯れてしまうのではないか。
そんな私を見かねてか力強く、少し強引に引き寄せた太宰さんの腕の中。
その温もりに余計に涙が出てしまう。
あんな事を云われて悲しくて堪らなかったのに、一度は全部忘れてしまいたいと思ったのに、私はやっぱり失いたくない。
この温もりも優しさも何もかも。
彼の全てを覚えていたい。
ずっと…傍にいたい。

「太宰さん、先刻私の事不細工って云いましたよね」
「んーそんな事、私云ってたかな?」
「余計に不細工になるって云ってました」

ケラケラと笑う太宰さんの背を何度か叩くと彼はまた笑った。
彼に触れれば触れる程好きの気持ちがどんどん大きくなっていく。
気づいてしまってはいけなかったのかも知れないが今更如何しようもない。
何時か後悔する日がやって来る事は目に見えている恋心だが、せめて今だけは幸せな気持ちでいさせてください。
仮初めでも偽りでも何でもいい。
今この瞬間、私は彼の恋人なのだから。
出来ればこのままずっと傍にいたいとどれだけ願っても叶わないと分かっているけれど。
私はこの手を離したくない。
優しくて温かくて時に意地悪なこの手に触れられる距離にいたい。

すっかり上がった雨にもう濡れる心配がなくなり、今度こそ私は太宰さんと自宅へ帰った。
ずぶ濡れになってしまった私の体を暖めてあげようか、なんて云ってきたが断固お断りしておいた。
明らかに卑猥な意味が含まれていたからだ。
これさえなければ完璧なのに。
先刻までキラキラしていた私の世界はすっかり元の色へと戻っていた。
風呂場まで本気でついて来そうになる太宰さんの背を押し窓まで連れて行くと。
投げ捨てるぞこの野郎と本気交じりの声色で云うとまた笑いながら部屋へと戻って行った。

「この関係もあと少し…か」




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