いつも別れを見つめて

例の一件以来まともに太宰さんの顔すら見れなくなってしまった私は当然ながら避けている。
あからさまに避けているが、太宰さんは何も云ってこない。
彼の顔を見ると鼓動が速くなり自分が自分でなくなるような気がしてならなくなる。
如何してそうなるのか、原因は今のところ皆目見当もつかない。
若しかしたら何か病気にでもなってしまったのだろうか。
元気が取り柄の私だったがついに私にも勝てない病気があったとは。
早急に病院に行くべきなのだろうが。
何だかそんな気分にはなれない。

仕事をしていても何をしていても上の空。
心ここにあらずといった感じだ。
太宰さんと出会ってから私の生活は目まぐるしく変化している。
でもあともう少し。
あとほんの数日で彼とはお別れである。
今まで彼と笑ったり怒ったりした日々も全部忘れて。
また普通の生活に戻れる。
其れは私が望んでいる事だ。
嬉しい筈なのに、如何してだろう。
こんなにも心が苦しいのは。
泣きたい程に胸が痛むのは。
屹度病のせいなのだと何度も自分に云い聞かせた。

ぽつりぽつりと振り出した雨空を見上げ、屋根の下でため息をひとつつく。
うっかりしていた。
今朝見た天気予報で夜から雨が降ると云っていたのに。
肝心の雨具を忘れてしまった。
雨具がなければずぶ濡れになってしまう程の雨に私はまたため息をつく。
今日も太宰さんは迎えに来てくれるだろうか。
いつも職場から出ると茶色い外套が出迎えてくれるけれど。
今日はその姿が見当たらない。
愛想を尽かされてしまったのか。
雨脚が強まる中一歩踏み出した刹那、後ろへと引っ張られた私は振り向く暇もなく誰かの腕の中へとおさまった。
この香りを私は知っている。
この人は。

「濡れてしまうよ」
「だざい…さん…」

久々に真っ直ぐ見た綺麗な瞳。
大好きな色。
また心臓の音が五月蠅い。
太宰さんにも聞こえてしまうのではないかと思うくらいだ。

傘を持つ彼と共に岐路につくが、これは所謂相合傘と云うのもだ。
一寸前の私なら喚いて照れて逃げようとしていたが、今の心持では何だかそんな気にはなれない。
最近まともに話せていない横顔をちらちら覗きつつ雨の中二人ぼっちで家まで帰るが。
太宰さんの足は別の処へ向かっていたようだった。
辿り着いたのは以前二人でやって来たレトロチックなあのお店。
中へ入ると前と同じ奥の席へと腰かけた。

一体何を話せば良いのやら。
気まずい空気が漂う。
如何してあの時私にあんな事をしたのか、ちゃんとした回答はもらっていない。
今聞いたら答えてくれるだろうか。
けれどもしこれ以上関係が悪化してしまったら、そう思うと怖くて聞けない。
期間限定の関係だと云うのに。
そんな事気にする必要なんてない筈なのに、何時の間にか太宰さんとの関係を気にしている自分がいた。

「知りたいかい?私が如何して君にキスなんてしたのか」
「…」
「初めにも云ったと思うけれど、私達の関係は恋人だ。けれどあくまでも仮初め」

何が云いたいのか。
勘違いするなとでも云っているのか。
そんな事云われなくても分かっている。
全て終わってしまえばこの関係も消えてなくなる。
分かり切った事を今更私に云って如何したいのか理解出来ない。

胸が高鳴るのも体が熱くなるのも気まずくなるのも。
全部全部嘘偽りだ。
時が来れば全てなくなる。
面と向かって云わなくてもストーカーの奴がいなくなればきちんとお別れする。
執着されては困ると思っているのか。
そこまで面倒な女ではないと云い返してやりたい処だ。

「そんなの分かってます。分かってるけど、じゃあ何で…」
「キスした理由は大した事ではないよ。単にそんな雰囲気だっただけ。君に気持ちが傾いたとか、君が可愛いとか、そういった理由は一切ない。単なる気まぐれだよ」

怒り狂ってる君が愛おしいと思ったのは本当だけどね、と付け加えていたがその言葉までは耳に入って来なかった。
全部分かり切っていたのに。
そうやって云われるとどぎまぎしている自分が惨めに思えて、ただ悲しくて。
私と太宰さんの間には何もない事も理解している。
だけど如何してだろう、こんなにも泣きたいのは。

これ以上は彼の顔を見ていられないと判断した私は何も云わず店を出た。
雨が降っているなんてそんな事今は如何でもいい。
むしろ泣き出した私の顔が雨に流されて好都合。
人気のない処で私は大声を張り上げて泣いた。
泣いて泣いて、全部忘れてしまいたかった。
太宰さんの事も抱いてしまった此の気持ちも、先刻云われた事も全部。
でも泣けば泣く程悲しみは増していく。
如何して私は彼と出会ってしまったのだろうか。
出会わなければこんなにも泣かなくて済んだのに。

「なまえ」

聞き慣れた声に今まで散々泣いていた私の方はびくりと跳ねた。
一番聞いてはいけない声だ。
一人きりになってはいけなかった。
如何して太宰さんと恋人ごっこをしているか思い出すべきだったのだ。
振り返る事が出来ない。
其処に奴がいる事は明白。
しかも運悪く人気のない場所だ。

足音が近づいた瞬間、私は駆け出した。
暗闇を無我夢中で走った。
曲がり角を曲がった処でポケットに入っていた端末を手に取り慌てて電話を掛けた。
けれどその行為が命取りとなり奴に捕まってしまったのだ。
掴まれた腕を振り解こうともがくが離すことが出来ない。
無理矢理体を反転させられ、目が合った元恋人の瞳には狂気の色が伺える。
これは絶対絶命のピンチだ。
三日月のような形をした口元に冷や汗が流れ落ちた。

「助けて…太宰さん…」




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