▼ 04

「やっと静かになった」
 乱れた前髪をかき上げ、瀬名は唇の端を上げた。三嶋は目を丸くしたままその場に固まっていたが、瀬名の声ではっと我に返った。
「三嶋」
 控えていた風紀委員に沢渡を引き渡し、瀬名は三嶋の隣に腰かけた。
「良かったろ、アイツと二人で会わなくて」
 その言葉に、三嶋は黙ったまま頷いた。確かに瀬名の言う通りだった。沢渡と二人きりだったら、三嶋はおそらく一言も話すことができなかっただろう。実際に今回喋っていたのは三嶋ではなく瀬名だったし、それでさえ本題の要求が沢渡に伝わったとは思えなかった。瀬名がいなければ三嶋がどうなっていたかは、火をみるよりも明らかだった。
「ありがとう」三嶋は呟き、続けた。「だが風紀に迷惑かけないようにはしてくれないだろうな」
「お前な」瀬名は肩をすくめる。「俺らのことより自分のことを考えろ」
「俺のこと?」
「着替えてんのもマスかいてんのもストーカーに盗撮されてんだろ、まず自分の身を案じろ」
「……確かにそうだな」
 三嶋は暗澹たる思いで眉を下げた。下着の色も、昨夜見た動画も、確かに沢渡の言う通りだったのだ。寮の部屋が盗撮されているのは間違いなかった。一体いつから、どこまで見られていたのだろうか。
「帰りたくない……」
 悲壮感に満ちた声で呟きながら、三嶋は立ち上がる。帰りたくはなくとも、帰る場所は一つしかないのだった。
「いや帰るんじゃねえよ。こっちでお前の部屋に調査いれっから。一晩どこか泊めてもらえ」
 が、間髪いれずに引き止められ三嶋は足を止めた。
「どこかって?」
「どっかあるだろ。ダチのとこでも後輩のとこでも」
 三嶋は脳内で、宿泊を頼めそうな友人を検索する。
「相馬なら……」
「却下。沢渡達が強行突破してきたら抵抗できねえだろあいつじゃ」
「え? 強行突破してくるのか?」
「可能性は十分あるな。あいつら自体の存在もお前にバレたわけだし、盗聴盗撮のことも吐いてたしな。風紀の調査が入るのも予想はつくだろ。ヤケんなってもおかしくねえ。今が一番危ないだろうな」
「じゃあ、ええと神田は」
「鍛えてはいるみてえだけどあいつの筋肉実践向きではねえだろ」
「へえ……」
 三嶋には分からない話だった。曖昧に頷いた後、一応佐久間の名前も挙げてはみたが論外と切り捨てられた。三嶋は困り果てる。他に頼れそうな友人知人はいなかったので。
「いねえの他に」
「いない」
「まあそうか、沢渡達が邪魔してんだろうしな」
 三嶋は目を見開いた。ようやく納得したのだった。自分には人望も人気もないと思っていたが、存在の発覚していなかった親衛隊の影響だったのか、と。やや安心した三嶋だったが、しかし今夜の宿についての問題が解決したわけではなかった。途方にくれた三嶋を見やり、瀬名は口を開いた。
「俺んとこ来るか」
「いいのか」
 三嶋は目を見開く。瀬名の隣は、おそらく校内で一番安全な場所だろうと思えた。しかし。
「俺のことが嫌いなんじゃないのか?」
「んなこと言ってねえよ」
「……そうだったか?」
 三嶋は脳内を検索したが、定かではなかった。突然の豹変と長台詞が衝撃すぎて、既に記憶は曖昧だった。言われたような気がするが、否定されると言われていないような気もする。首を傾げた三嶋は、しかしそれ以上深く考えるのを放棄した。
「じゃあ頼む」
「見返りは?」
「見返り?」
「一泊につき一発でいいか」
「……」
 三嶋は黙考した後、小さく頷き、
「お前がそう言うなら」
 答えた途端に頭をはたかれた。
「馬鹿かテメェ。簡単に頷くな」
「……冗談だったのか」
「半分は冗談」
 じゃあもう半分は、と聞きたかったが、三嶋は結局口をつぐんだ。





 寮の最上階、三嶋の部屋と反対端に位置する瀬名の部屋に連れてこられた三嶋は、借りてきた猫のように大人しくソファーに腰を下ろしていた。部屋の作りは同じはずなのに、まるでモデルルームか何かのように物の少なく整頓された部屋は、三嶋の部屋とはまるで違っていた。
「片付けられねえタイプなのか」
 問われた三嶋は少し考え、曖昧に首を振った。
「できないんじゃない。しないだけで」
「それをできねえって言うんだ」
 曇り一つなく磨かれたテーブルに、高級そうなカップが置かれる。先ほど風紀委員室で出されたものと同じ、格調高い香りがするそれを、三嶋はおそるおそる手に取った。
「何緊張してんだ。生徒会長サマはもっといいもん飲んでんだろ」
「いや、普段は缶コーヒー」
「へえ、意外だな」
 器用に片方の眉を上げた瀬名はしかしそれ以上は深入りせず、「さて」と腰を上げた。
「ちょっとお前の部屋見てくる」
「えっ、いや本当に散らかってるから」
「そうじゃねえよ。調査の下見」
「あ、ああ、そうか」
 浮かせかけた腰を下ろした三嶋は、しかしまた腰を上げた。
「俺も行っていいか?」
「いらねえよ。ゆっくりしてろ」
「でも」
 と呟いた三嶋は、眉を下げた。
「一人にしないでほしい……」
「……」
 友人でもないしかも現状決して仲がいいとは言えない同級生に言う言葉ではないのは三嶋も自覚していたが、しかしこの状況でかつ慣れない場所で一人にされる恐怖の方が勝った。眉を寄せた瀬名は、ため息と共に頷く。
「分かった。ついてこい」
「ありがとう」
 急いでコーヒーを飲み干し、三嶋は瀬名の後に続いた。フロアの反対端、三嶋の部屋へ向かう瀬名は大股ですいすいと歩き、後を追う三嶋はやや小走りになった。カードキーをかざして開錠し、扉を開ける。盗撮されているのかとこわごわ中を覗きこむ三嶋だったが、それを押しのけ中に入る瀬名の足取りは堂々としていた。
「本当に汚ねえな」
「だから言っただろ。散らかってるって」
「そんなレベルじゃねえ。まさかもう荒らされてんのか?」
「いや、今朝出たままだ」
「すげえな。予想以上」
 床に脱ぎ散らかされた服やタオル、書籍類やその他雑多な荷物の隙間を縫って進んだ瀬名は、食卓やテーブルの上に転がる空のペットボトルや空き缶に眉をひそめた。
「どうすんだよこれ。そのうちまとめて片付けんのか?」
「放っておけば勝手に綺麗になるだろ」
「なんねえだろ。何でなるんだよ」
 振り返った瀬名の表情を見て、三嶋は首を傾げる。
「定期的に清掃入るだろ」
「ねえよそんなシステム」
「え? でも現に入ってるけど」
「はあ? 頻度は?」
「毎週火曜と金曜」
「お前それ沢渡達に週二で侵入されてんじゃねえの?」
「いやまさか……え?」
「ストーカーついでに掃除すんのもおかしな話だけどな。まあ目に余る光景には違いねえか」
 てっきり寮の清掃が入っているものと思い込んでいたが、どうやら違ったらしい。背筋に寒気を感じて三嶋は辺りを見回したが、部屋の中に怪しげな物はない。だが、普段何も考えず過ごしていた部屋が急になにかおそろしいもののような気がしてしまった。そんな三嶋をおいて、瀬名は寝室に向かった。そしてそこの散らかり具合を見るとついに笑い出した。
「すげえな。本当にここで寝てんのか?」
「寝てる」
「マスかいてんのもここか?」
「ああ」
「ちょっと再現してみろ」
「え?」
 三嶋は目を瞬いた。瀬名がふ、と笑う。
「別に本当にしろっつってんじゃねえよ。動画の内容見られてたろ、どの角度なら画面見えんのか知りてえだけ」
「ああ、そういうことか」
 納得した三嶋は、布団をめくりベッドの上に山と積まれた物を全て床に払い落とした。瀬名が顔をしかめる。
「おい雑すぎんだろ。だから散らかんだよ」
「意外と口うるさいんだな」
「お前なあ」
 呆れた顔をする瀬名に構わず、三嶋はベッドに横になった。枕元のタブレットを胸元にかざす。
「こんな感じ」
「ふうん? じゃあこっち側か」
 呟いた瀬名は、三嶋に覆いかぶさるような体勢でベッドの枕元を探った。壁に手を這わせ、ヘッドボードをなぞる。自分の体の上の瀬名を、三嶋はそわそわとした気持ちで見上げた。
「何かあるか?」
「いや……」
 ふと手を止めた瀬名が、三嶋を見下ろす。至近距離で視線が重なり、三嶋は思わず小さく唾を飲んだ。瀬名がふ、と口元を緩める。
「チョロいなあ、お前」
「え?」
「簡単に男をベッドに上げてんじゃねえよ。しかもお前のこと狙ってるヤツをよ」
「え、狙ってるのか?」
「一泊につき一発っつったろ」
「でも冗談って」
「半分はな。もう半分は本気だよ」
「……」
 三嶋はまたこっそり唾を飲んだ。獲物に狙われた小動物のような気分になってしまったのだった。
「大体お前は危なっかしすぎるんだよな。人気投票一位の自覚がねえのか? 学内の大半の男があわよくばお前とヤりてえって思ってんだぞ」
「そんな。皆が皆そうなわけじゃないだろ」
「甘ェよ。現に俺はその一人だしよ」
「……なんで?」
 目の前の男の真意を汲み取るには、三嶋の経験値は圧倒的に不足していた。三嶋が首を傾げると、瀬名の指が顎を捉えた。唇をなぞる指先の感触に、三嶋の肌が粟立つ。
「そりゃお前が上玉だからだろ」
「……」
 瀬名の親指が唇を割る。口内の粘膜との境目をなぞられ、そのじわりと濡れた感触に身を震わせた三嶋は、もう声を出せなくなっていた。昼休みの行為の再現だったが、今度は瀬名の指はそこで留まらなかった。容赦なく侵入してきた指先は三嶋の舌を撫でた。
「自覚ねえの? 男の欲望をこれでもかってほど煽る顔立ちをしてやがる」
「っ……」
「それでいてどっか抜けてて危機感がねえ。完全無欠の生徒会長サマと見せかけてちょっと笑うとめちゃくちゃに可愛いし喋るとアホだしこうやって俺みてえなのをほいほいベッドに上げちまうほどチョロいし、普段すましてんのに見てくれと実際とのギャップが堪んねえ。力ずくでどうにかしちまいたくもなるけどどろどろに甘やかして守ってやりたくもなる」
「……、っ、あ……」
「分かるか、三嶋。俺が言ってること」
 二本の指で口内を嬲られながら、三嶋は力なく首を振った。
「分かんな……、っ」
「好きな方を選べ。力ずくでヤられんのと、どろどろに甘やかされんのと二つに一つだ。どっちがいい?」
「ふ、あ……っ」
 うっすら涙の溜まった目で、三嶋は自分に覆いかぶさる男を見上げた。冷静な頭であれば、他の選択肢はないのかと反論もできただろう。しかし節ばった長い指に優しく舌と上顎を撫でられるその刺激は、性経験のない三嶋にはまともに物を考えられなくなるには十分すぎるほどに甘い刺激だった。二つに一つ。問われるがまま三嶋は答えた。
「あ、甘やかして……」
「……ふ、バカだなあ本当に」
 愛おしげに頬を緩めた瀬名の顔は、きつく目を閉じた三嶋の目にはもう映らなかった。

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