▼ 03

「風紀委員長と仲良くなれた?」
 放課後の生徒会室で、自分のデスクに腰を下ろすなり早速手鏡を取り出しながらそう尋ねた佐久間に、三嶋は沈んだ声で答えた。
「怒られた……」
「えっ、何で?」
 驚き弾かれたように顔を上げる佐久間をはじめ、三人の視線が三嶋に集中する。ウォーミングアップのストレッチを始めていた神田も、この時ばかりは動きを止めた。
「俺達は風紀に迷惑をかけていたらしい」
「え、何で?」佐久間は首を傾げる。
「瀬名が言うには、俺達がチャラチャラ色気を振りまいてあっちこっちでつまみ食いすることで親衛隊が暴れて、そのしわ寄せが風紀に行っているそうだ」
 ますますうなだれる三嶋に、残る三名は顔を見合わせた。
「……まあ、それについては反論できないね」相馬が重々しく頷く。
「ですね」神田も同意する。
「いやいやいや! 俺は反論できるよ! つまみ食いなんかしてないもん!」
 しかし佐久間は、机をばんと叩いて立ち上がった。
「会長はどうなんですか?」神田が首を傾げる。
「三嶋は童貞だよ」答えたのは相馬だった。
「えっマジ!?」佐久間が相馬を振り返る。
「マジ」相馬が頷く。
「非処女なんですか?」神田が尋ねる。
「やだな、男に処女はないよ」相馬はにこりと笑う。「でも処女だよね」
 相馬に問いかけられ、三嶋はうなだれたまま頷いた。
「何の経験もない」
「えええマジで!? 会長なのに!? モテないの!?」
「生憎モテたことはないな」
「えっでも親衛隊は!?」
 顔を上げた三嶋は、少し考えて答えた。
「知らない。俺にはないんじゃないか」
「えっ? そんなことある?」
 生徒会役員の選出方法は学内人気投票であり、よほどの理由がなければ上から四人が自動的に次期役員となる。佐久間が役員に選出されたのは親衛隊からの組織票の力によるところが大きく、人気投票一位の生徒会長にそれ以上の規模の親衛隊がないはずはなかった。
「そういえば僕も知らないなあ」同じく首を傾げた相馬が言う。「いないことはないと思うけど。でも接触してこないよね」
「そんなことある?」
 全方位にクエスチョンマークを飛ばしながら、佐久間は自らの親衛隊を思い出す。さすがに全員を把握しているわけではないが、結成当時に挨拶にきた幹部数名の顔と名前は把握している。その後も表立った接触はないものの連絡を取らなければならない機会はいくらかあった。佐久間は未経験だったが、風紀委員長の言う通り相馬や神田のように親衛隊をつまみ食いする者も多く、反対にその機会に期待して親衛隊入りする者も多くいる。だからこそ、学内一の規模をほこるはずの会長親衛隊が会長に接触したことがないなどと言われても、到底信じられるものではなかった。
「いないんじゃないかな」
 三嶋は繰り返したが、しかし自信はなかった。今までいないものだと思いこんでいたが、あるものをあると証明するよりもないものをないと証明する方がはるかに難しいことは知っている。
「あったとしたら誰が知ってるんだろう」
「瀬名かな」
「瀬名か……」
「僕が聞いてきてあげようか?」
 相馬の言葉に頷きかけた三嶋は、いややっぱり俺が行くと立ち上がり、しかしまた座りなおした。
「どうしたの?」
「うん……」
 また会いに行って怒られたら嫌だったのだが、三嶋は口には出さなかった。相馬が親衛隊に手を出していることは既に知っていたので、自分よりも怒られそうな友人を代わりに送り込むわけにはいかないと思ったのだった。
「やっぱり俺が行く」
 もう一度立ち上がった三嶋の足取りは、しかしやや重かった。





「出直してきた」
 再び現れてそう言った三嶋を前に、瀬名は瞠目した。
「何しにきた」
「さっきの話の続きに。というか、俺には親衛隊がいるのか?」
「は?」瀬名は眉根に皺を寄せる。「何とぼけてんだお前」
「いや、そうじゃなくて」
 瀬名の険しい表情への怯えを隠そうと、三嶋は背中でこっそり掌を握りしめる。
「本当に知らなくて」
 しかし隠しきれず曖昧に俯いた三嶋を眺め、瀬名は眉間の皺をもみほぐしながら答えた。
「ヤベェのが山ほどいる」
「ヤベェの……」
「魑魅魍魎、いや悪鬼羅刹」
「悪鬼……」
「幹部連中は端から端まで全員風紀のブラックリスト入り」
「ブラックリスト……」
 曖昧に繰り返した三嶋は、眉根を寄せた。
「責任者の名前を教えてもらえないか」
「知ってどうする?」
「挨拶に行こうかと思う」
「挨拶?」瀬名はかすかに目を見張った。「本当に接触したことがねえのか?」
「ない。俺には親衛隊がいないと思っていた」
「んなわけあるか。でもまあ会ったことがないなら悪いことは言わねえ。一生会うな」
「え? でも風紀に迷惑をかけないように頼みに行こうかと」
「……」
 呆れた、と言わんばかりの瀬名の表情に、三嶋はまた居心地の悪い思いをした。瀬名の前では、自分が考えなしの間抜けになってしまったような気がする。
「いや、分かった。それなら少し待て。ここに呼び出す」
「いやそんなに手間をかけるわけには。名前だけ教えてくれれば俺から出向くけど」
「この流れで何でその発想になるんだテメェは。自殺志願者か? せめて風紀を挟め」
「……」
 立ち上がった瀬名が、手にしていた書類で三嶋の頭をぽんと叩く。口調とは裏腹にその感触は意外なほと優しく、そっと頭をおさえた三嶋は口をつぐんで瀬名の言う通りにすることにしたのだった。





 風紀分室のソファーに腰かけた三嶋は、瀬名が矢継ぎ早に二、三電話をかけるのを眺めながら、コーヒーカップを傾けていた。居合わせた風紀委員が気を利かせて淹れてくれたもので、普段三嶋が飲んでいる自動販売機の缶コーヒーと比べるとはるかに格調高い香りと味がする。しかしそれを楽しむ余裕は三嶋にはなかった。
 一体どんな人物が現れるのか、緊張して待つことしばらく。瀬名の最後の電話から十数分後に、風紀分室の扉が叩かれた。思わず立ち上がる三嶋を視線で押しとどめ、瀬名が扉を開ける。顔をのぞかせたのは、三嶋には見覚えのない男子生徒だった。白に近い金髪に、よくぞそこまでと思わせるほど多数のピアス。だらりと崩されたネクタイの色から不良生徒を旧校舎に隔離したクラスの生徒であることに気づいた三嶋は、こっそり息をのみこむ。
「伊織ちゃんじゃん」
 三嶋を視界に捉えた男は、普段は誰も口にしない三嶋のファーストネームを呼ぶと、酷薄そうな薄い唇の端をつり上げた。
「なんこれヤベェ、どういう状況? 俺へのご褒美?」
「んなわけあるか。座れ」
「はーい」
 スキップせんばかりの足取りで入室した男は、ソファーの前で固まっていた三嶋の肩を抱き、そのまま腰を下ろした。三嶋の肩を掴む指に光る凶悪なシルバーリングには血痕を連想させるような赤いシミがうっすらとついており、三嶋はまたこっそり息をのむ。
「離れろ。三嶋に触るな」
 険しい顔で瀬名が男を引きはがし、三嶋は心中胸をなでおろした。
「えー? いいだろちょっとくらいお触りさせろよ。言っても初対面よ? 別に取って食ったりしねーって」
「食わせてたまるか。黙ってろ馬鹿が」
「なーに、お前も伊織ちゃん狙い? 夜道に気をつけろよテメェコラ」
「マジでうるせえ」
 流れるような会話に、三嶋の思考は追いつけなかった。瀬名に引きずられるがままローテーブルを挟んで向かいのソファーに座り直した男と、その隣に少し距離を開けて座った瀬名の顔を交互に眺め、三嶋は解放された肩をそっとさする。そこに残る鈍い痛みは、三嶋の腕力ではその男にはとてもかないそうにないと告げていた。
「で? 結局何なのこれ、どういう状況?」
「うるせえ、口を開くな。三嶋からお前に話があるから黙って聞け」
「なーに伊織ちゃん。愛の告白?」
「あ、いや」
 男に見つめられ、三嶋は口ごもった。からからに渇いた口で、一つ小さな咳払いをする。
「どしたの。俺のことこわい?」
「……」
 こわいかと聞かれたら、それはもうこわいのだった。三嶋は思わず瀬名を見る。助けを求める視線に眉を寄せた瀬名は、長い足を組み口を開いた。
「沢渡、自己紹介」
「はーい、三年の沢渡猛でーす。伊織ちゃんの親衛隊隊長でーす」
「あ、三年の三嶋伊織です」
「知ってるよー。誕生日も血液型も家族構成も好きな食べ物も実家の住所も初恋の相手も今日の下着の色もぜーんぶ知ってるよ」
「下着の色?」
「黒地に青のストライプ」
「……」
 三嶋は無言のまま制服の裾を少し捲り、下着の端を確かめた。確かにその通りだった。沢渡が口笛を吹き、瀬名が目を剥く。
「アホかお前は。こいつの前で肌を晒すな」
「え、あ、いや」三嶋は慌てて服を戻す。「というか何で知ってるんだ……?」
「企業秘密!」
「クソストーカーが。しょっぴくぞ」
 地を這うような瀬名の声にからからと笑った沢渡は、ローテーブル越しにずいと身を乗り出した。
「ごめんね伊織ちゃん、挨拶が遅れて。俺達伊織ちゃんのストーカーだからさあ、陰から見守ってる方が興奮すんだよね」沢渡は目を細めてにこりと笑う。
「ストーカーなのか……」
「うん。ストーキングしてるよ。常習的かつ組織的にね」
「そうか……」
 沢渡のあまりの悪びれなさに、三嶋は気圧されるがまま頷いた。
「認めるな。怒れ」瀬名が呆れたように口をはさむ。
「でもこうやって対面するのも興奮するなあ。伊織ちゃんの困った顔めちゃくちゃ可愛いね。勃起しそう」
「ぼっ……」三嶋は言葉を失う。
「するな。汚え」瀬名はますます呆れた顔をする。
「まあそれは半分冗談としてもさあ」
「半分は本気なのかよ」
「ちゃんといいこともしてるんだよ? 俺ら以外のヤバいストーカーを捕まえたりさ」
「お前らがまずヤベェんだよ」
 と瀬名は間髪入れずに口をつっこんだが、三嶋は驚いて目を瞬いた。
「他にもいるのか」
「いーっぱいいるよ。盗聴盗撮は日常茶飯事。下着の色なんて序の口、昨日の伊織ちゃんのズリネタが女教師モノの動画だったのも知ってるよ。寮でうっかりオナニーなんかしちゃった日には全部誰かに見られてると思った方がいいね。強姦未遂も山ほどあるし、薬物持ち込んで監禁準備してたやつらもいたなあ」
「……そうなのか」
「今までそんなことなーんにも知らなかったでしょ? 可愛い伊織ちゃんが呑気で平和に生活できてたのは俺らの陰ながらの働きのおかげってわけ。良かったね」
「ああ……」
「じゃあその可愛いお口でお礼してほしいなあ」
「お礼?」
「例えばフェ、」
「黙れ馬鹿しれっと卑猥な要求をするんじゃねえ」
 沢渡の言葉は瀬名に遮られ三嶋の耳には届かなかったが、言わんとしたことは予想がついた。頭痛をこらえこめかみをもむと、沢渡はしみじみと呟いた。
「いやつうかマジで可愛いね本物の伊織ちゃん。俺のもんにならない?」
「ならねえ」瀬名が答える。
「お前には聞いてねえよ」沢渡が瀬名を睨む。
「拒否しろ三嶋」
「ならない……」
「ふは、やべえ伊織ちゃんの困った顔マジで勃起するわ」
「するな。汚え」
 会話がループを始めたことに気づき、三嶋は途方にくれた。再び助けを求める視線を送れば、瀬名がため息をつく。
「三嶋の要求はこうだ。お前らが俺達に迷惑をかけるのをやめろと」
「え? なんで?」
「それは瀬名と、」
 答えかけた三嶋は、しかし途中で口をつぐんだ。事の発端は、匿名希望の投書用紙だった。風紀委員長と仲良くしてください、との。しかしこの場で瀬名と仲良くしたいから、と答えるのは躊躇われた。視線をさまよわせる三嶋をみて、瀬名はふ、と笑う。
「俺と仲良くしてえんだってよ」
「は? どういう意味、伊織ちゃん」
「ええと」
「おトモダチになりたいんだよなァ、俺と」
「えっと……」
「ハァ!? 伊織ちゃん瀬名とヤりてェの!? まさか好きとか言わねえよな!?」
 身軽にローテーブルを乗り越えた沢渡は、三嶋に馬乗りになり胸ぐらを掴んでがくがくと揺さぶった。突然ソファーに押し倒されしたたかに後頭部をうった三嶋は、がくがくと揺さぶられながら目を白黒させた。別に性行為をしたいわけでも恋をしているわけでもない、と言いたかったが、舌をかみそうで口を開けない。必死でぶんぶんと首を振ったその時、頭上に迫る沢渡の首に瀬名の腕が回った。手加減なしのヘッドロックである。
「っ、ぐ」
「お触り禁止だ。今すぐ離れろ」
「殺す気かテメェ。今ならお前始末しても正当防衛だよなァ」
「上等じゃねえか、返り討ちにしてやる。地球上から消え失せろ」
 今までの軽口の応酬とは違い本気のにらみ合いが始まり、三嶋は心臓が縮む思いがした。助けを求めて室内を見回すと、先ほどコーヒーを淹れてくれた風紀委員と目が合った。ひっそり部屋の隅に控えていたその人物は、三嶋と目が合うと小さく肩をすくめて首を横に振る。打つ手なし、と言わんばかりの苦笑いだった。
「瀬名」
 手助けを諦めた三嶋は目の前でにらみ合う二人に視線を戻し、それからやや上ずった声で瀬名の名を呼んだ。沢渡が瀬名に殴りかかったからだった。凶悪なシルバーリングが瀬名の顎をとらえる。が、同時に瀬名も沢渡を殴り返していた。そしてその先の瀬名の行為は、三嶋の動体視力ではとらえきれなかった。三嶋が気が付いた時には既に、沢渡は瀬名の手で風紀分室の床に抑え込まれ、意識をとばしていたのだった。

prev / next

[ back ]



×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -