▼ 05

「どろどろだなあ」
 と言った瀬名の声は、ひとりごとのような、しみじみとした口調だった。三嶋は閉じていた目をぼんやりと開ける。手を伸ばそうとしたが力が入らず、上げかけた三嶋の右腕はぽすんと音を立ててシーツの上に戻った。元からシーツは整ってはいなかったが、三嶋が握りしめていた部分はますます皺が寄ってしまっていた。
「誰のせいだ……」
 答える三嶋の声はひどく掠れていた。からからに渇いた喉で一つ空咳をすると、瀬名の右手が三嶋の腹を撫でた。確かにどろどろとした感触があり、同時に芯に残った余韻で三嶋の体がぶるりと震えた。
「俺のせいか?」
「他にいないだろ」
「お前の感度が良すぎるせいじゃねえの」
「うるさい」
 寒いかと尋ねる瀬名の声はすっかり普段通りの声だった。口を動かすのが面倒だったので三嶋は黙ったまま首を横に振る。すると、節ばった左手が三嶋の背中の下に差し込まれた。シーツが剥がれていく湿った感触で、三嶋は自分の体が汗ばんでいることに気がつく。起こされた体をそっと抱きしめられると、三嶋の頭はちょうど瀬名の心臓のあたりにぶつかった。
「脈が速いんだな」
「お前にくっついてるからときめいてんだよ」
「嘘つけ」
「嘘じゃねえって」
 三嶋の視界がぐらりと回り、視点がずいぶん高くなる。三嶋を横抱きにした瀬名が、ベッドから下りて立ち上がったからだった。座りの悪さを感じた三嶋が慎重に身じろぐと、瀬名の鎖骨のあたりで頭が落ち着いた。三嶋は目を閉じる。かすかに聞こえる瀬名の心音が耳に心地よく響いている。





 翌日の放課後、生徒会室のデスクで書類仕事をする三嶋のかたわら、瀬名は目安箱から溢れんばかりの投書用紙を興味深く眺めていた。ざっと見たところ四割が生徒会へのセクハラ、同数程度下らない恋愛相談が占め、真面目な要望は残り二割程度だろうか。何の説明もなく三嶋と連れ立って入ってきて当然のように居座りそして三嶋のデスクの片隅で勝手に投書用紙を仕分け始めた瀬名を、佐久間はちらちらと窺っていたが、ついに我慢できなくなり口を開いた。
「あのさあ、何で委員長がいるの?」
「あ? いちゃ悪いか」
「いや悪いというか……理由を知りたいだけで……」
 ぎろりと睨まれ、佐久間は口ごもった。助けを求める視線を周囲に向けるが、神田は我関せずを貫いている。相馬も佐久間の視線には気がつかないまま、ニコニコと三嶋と瀬名を眺めている。
「護衛だよ。ヤベェ親衛隊につけ狙われてっからな」
 瀬名の言葉に、佐久間は目を見開いた。
「マジ? やっぱ親衛隊いたんだ」
「いねえわけねえだろ」
 鼻で笑った瀬名は、三嶋の腰に手を回した。三嶋は身を引くが、筋力差がありすぎて逃げられるはずがなかった。そんな二人を頬杖をつきながら眺めていた相馬は、ふと三嶋に笑いかけた。
「三嶋、処女じゃなくなったの?」
「えっ?」佐久間がすっとんきょうな声をあげる。
「……男に処女はないんじゃなかったのか」
 三嶋は曖昧にごまかそうとしたが、しかし全くごまかしきれていなかった。
「委員長どうだった? 絶倫? デカチン? 超絶テクニシャン?」
 あけすけに尋ねた相馬に、瀬名が笑う。
「何だそのイメージ」
 三嶋は「知らない」と俯いたが、「知ってんだろ」と瀬名が口を挟んだのでますます俯いてしまった。
「会長、ヤられちゃったんだ……」佐久間が呟く。
「ついに三嶋も非処女かあ。ねえどうだった? 初夜の感想は?」相馬が尋ねる。
「痛かった」三嶋は短く答えたが、
「嘘つけ、めちゃくちゃヨガってたじゃねえか」
 とまた瀬名が口を挟むので、ついに両手で顔を覆ってうなだれた。
「なんでこいつらの前でそういうことを言うんだ」
「事実だから」
 瀬名の言う通り、確かに事実であることは三嶋も内心認めざるをえなかった。どろどろに甘やかすと言った瀬名の言葉通り、全身余すことなく優しく指と舌で丹念に快感を引き出され、甘ったるい言葉で耳からも溶かされた。数えきれないほど吐き出したもので腹はしとどに濡れ、事が終わった後も深い余韻に包まれて少し触れられただけでもまた快感を拾ってしまうほど敏感に体が作り変えられていた。
 が、たとえ事実がそうであったとしても、生徒会仲間に知られたいはずがなかった。
「事実だとしても……いや事実ではないけど……」
「いいじゃねえか。牽制させろ」
「牽制?」
「お前ら三嶋に手出すなよ」
 生徒会室を見回した瀬名の視線を受け、役員3人は顔を見合わせた。
「おっ、俺は一途だから会長に興味ないもん!」佐久間が慌てて首を振る。
「俺は当分相馬さん一筋で行こうと思ってるので」続いた神田の言葉に、相馬は小首を傾げた。
「そうなの? 僕も全員切った方がいい?」
「そうしてくれたら嬉しいですけど、まあビッチも好きなのでどっちでもいいです」
「そうなんだ。便利な後輩だなあ」
「でも週四で予約させてください」
「いいよ。いつがいい?」
「火木土日」
「週末は独占か、意外と欲張りだな。じゃあ明日は空くから瀬名どう?」
「あいにく俺は一棒一穴主義」瀬名は短く切り捨てる。「つうか相馬の親衛隊も死ぬほど面倒くせえ。遊び回るのやめて週七で神田に相手してもらえ」
「だってさ。どうする、そんな元気ある?」相馬は神田を見る。
「有り余ってます」神田が頷く。
「じゃあ飽きるまではそうする」答える相馬に、瀬名は満足気に頷いた。「お前んとこが落ち着けば俺も週七で三嶋に費やせる」
 その言葉に、三嶋は目を見開いた。
「俺はそんな元気ないぞ」
「俺はある」
「俺はないんだってば」
 三嶋は瀬名を押しのけようとするが、やはりびくともしなかった。諦めて瀬名の腕の中でそっぽを向いた三嶋に、相馬が言う。
「セーフセックスは徹底させなよ」
「……徹底してくれ」三嶋は視線を逸らしたまま瀬名に告げる。言外に次を認める言葉であることに三嶋は気づいていないのだったが、察知した瀬名は口元を緩めた。
「任せとけ」
 そんな二人に、佐久間はおそるおそる問いかける。
「っていうか、付き合ってるの?」
「付き合ってる」「付き合ってない」
 二人の返答はぴたりと重なり、三嶋は目を見開いて瀬名を振り返った。
「……付き合ってるのか?」
「ヤったのに付き合わねえの? 処女だったくせに意外とふしだらなタイプかお前」
「いやそういうことではなくて」
「つうか俺のもんになるって言ったじゃねえか」
「俺が?」
「覚えてねえの? ひでえ男だな」
「いつ?」
「真っ最中に」
「……」
 三嶋は記憶を検索したが、行為中の記憶は曖昧だった。責められながら問われるがままにうんうんと頷いていたような覚えもなくはなかったが、はっきりとは思い出せない。
「……そもそもセックス中の男の言葉は信じたらいけないんじゃないのか」
 三嶋の言葉に、瀬名は眉をひょいとはね上げた。
「何だそれ。誰に言われたんだよそんなこと」
「相馬に」
「あ? 変なこと教えてんじゃねえよ」
 瀬名が相馬を睨む。相馬は楽しげに首を傾げた。
「僕? 覚えてないなあ。でも僕が言いそうなセリフだね」
「言ったんだよ」三嶋が頷く。
「でもまあその通りだよ。男は性欲には勝てない生き物なんだから、セックス中の戯れ言なんか信じるべきじゃない」
 美しく微笑む相馬を、瀬名は呆れた顔で睨んだ。
「顔に似合わずすげえこと言うな、コイツ」
「顔はかわいいってこと? ありがとう、やっぱり今夜僕の部屋来てよ」
「当分は毎日俺が予約してるんですけど」神田が口を挟み、相馬は「そうだったね」と引き下がる。
「ただれてんなあ生徒会は」瀬名がため息をつく。
「俺はただれてないもん」
 佐久間がふてくされると、瀬名は三嶋の頬を撫でながらちらりと佐久間を見た。
「言っとくが俺は許してねえからな」
「え?」
「俺の許可なく風紀委員に手出してんじゃねえよ」
 途端に室内の視線を集めた佐久間は、ぽかんと口を開けた。
「……えっ、なん……委員長何で知って……」
「茅野がやたら浮かれてっからよお。問い詰めたらゲロった」
「え、マジ……?」
 蒼白になった佐久間を見やった三嶋は、「茅野って?」と瀬名に小声で尋ねた。
「いたろ昨日、風紀委員の一年が」
「ああ、佐久間の恋人だったのか。コーヒーが美味しかったな」
「だろ。俺の仕込み」
 満足気に頷いた瀬名は、佐久間に視線を戻す。
「罰として反省文100枚書いてこい。今日中な」
「ムリに決まってるじゃん! っていうかなんで委員長の許可がいるわけ!?」
「風紀は俺のもん」
「横暴だろ! カヤちゃんは俺のだもん!」
「カヤちゃんって呼んでんのかよ」
 笑った瀬名は、三嶋の髪を撫でた。
「お前にもなんかかわいいあだ名つけてやろうか」
「いらない。というか……」
「何だよ」
 三嶋は横目で瀬名を見上げた。話題が二転三転してあやふやになっていたが、一番の問題がまだ解決していなかった。
「何で俺と付き合いたいんだ?」
「は?」
「俺のことが好きなのか?」
「……」
 役員三人が成り行きを見守る中、たっぷり十秒間沈黙した瀬名は三嶋を優しい目で見下ろした。
「言わなきゃ分かんねえの?」
「分からん。というか俺のことが嫌いなんじゃなかったのか?」
「だからそんなこと言ってねえって」
「そうだったかな……」
 考えこむ三嶋は、髪を撫でられてまた視線を上げた。普段荒事に慣れた凶悪とも言っていい目つきは、ふわりとやさしく緩んでいた。
「お前が俺のこと好きになったら教えてやるよ」
「……つまり好きってことか? なんで?」
「昨日教えてやったろ」
「でもセックス中の言葉は」
「クソビッチの言葉なんか鵜呑みにしてんじゃねえよ。相馬の言ったことは全部忘れろ」
「ひどいなあ」
 と言った相馬の笑い声で、張り詰めていた室内の雰囲気はほどけた。佐久間はため息をつく。
「イチャイチャすんならよそでやってくれないかな」
「じゃあそろそろ三嶋もらってくわ。今度は俺の見回りに付き合え」瀬名が立ち上がる。
「何で俺が?」
「一人になって沢渡達に襲われたらどうすんだよ」
「まあそうだけど……」
 しぶしぶ頷いた三嶋は、書類をまとめると立ち上がった。言葉や表情に反して、瀬名の後を追う足取りは軽やかである。それを見送った三人は、やれやれと顔を見合わせた。
「まさか委員長がねえ」
 呟く佐久間に、相馬が首を傾げる。
「僕はうすうすそうなんじゃないかと思ってたよ」
「え? そんな兆候あったっけ?」
「うーん、なんとなくね。ビッチの嗅覚というか」
「ビッチって自分で言います?」
「神田くんも言ってたじゃない」
「まあそうですけど。でももう卒業ですよね」
「そうだね、飽きない限りは」
「飽きさせないように努力します」
 こちらもこちらでイチャイチャし始めたので、佐久間はまたため息をつく。
「イチャイチャするならよそでやってくんないかな」
「ごめんごめん」相馬が笑う。「でもそういえば、あの投書誰だったのかなあ」
「あの投書って?」
「風紀委員長と仲良くしてくださいってやつ。あれがきっかけでしょ」
「ああ」
 確かに、と佐久間は首をひねった。
「委員長が自分で書いてたらウケるね」
「いやあ、さすがにそれはないでしょ。三嶋がするなら可愛いと言えなくもないけど瀬名がしてたら引いちゃうな」
「そうだよねえ、そんなセコいことしないか。誰なんだろ?」
 佐久間はさらに首をひねるが、もう心当たりはなかった。まあいいか、と諦めた時には既に、相馬と神田も興味を削がれたらしくイチャイチャを再開していた。ふと可愛い恋人に会いたくなった佐久間は、それ以上考えるのをやめていそいそと帰り支度を始めたのだった。

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