▼ 12

由良、と琢磨が僕の名前を呼ぶ。
穏やかで優しい、甘ったるい声。
少し傷ついてしまった綺麗な手が僕の髪を撫でる。
やっぱり優しい、柔らかな手つき。

あんなに鼻で笑っておいて、本当に琢磨のこと好きになっちゃうなんて笑えない。
でも本当に、笑い事じゃない。
好きってこんなに幸せなことだったんだ。
好きって言ってもらって、好きって返す。
それだけでお腹いっぱいになりそうなくらい幸せになれるからすごい。

琢磨の手を気遣って今日の夕食は寮の売店でお弁当を買った。
僕が焼き魚で、琢磨は和風ハンバーグ。
大根おろしが乗ったそれがすごく美味しそうで一口ちょうだいとねだると琢磨はふにゃふにゃした笑顔で箸を差し出してくれた。
身を乗り出してぱくりと噛み付くと、その笑顔がさらに緩む。
少し赤くなった顔を手で隠した琢磨は、まだ信じられない、と呟いた。

食べ終わったらソファーに琢磨を引っ張っていって、べったりくっついてみた。
何でだろう、琢磨とすごくイチャイチャしたいって思う。
こんな気持ちになるのは初めてで、自分でも自分がよく分からない。でも、これが好きってことなのかな。

「琢磨」
「ん?」
「琢磨」
「うん」

琢磨の膝に座って、首に手を回して、ついつい頬擦り。
耳元にちゅ、とリップ音を立ててキスをすると、琢磨はくすぐったそうに笑い声をもらした。

「由良、どうしたの?」
「何が?」
「いつもと全然違う。本当は甘えんぼなの?」
「んー……どうだろ」

そんなこと知らない。
だって琢磨が初めてだから。
僕をちゃんと好きって言ってくれたのも、僕が好きって返すのも、全部琢磨が初めて。

くっついて思う存分頬をすり寄せて、隙間なんかないくらいに抱きついていたら、それまでくすぐったそうに、でも嬉しそうに笑っていた琢磨は不意に僕の腕を掴んだ。
見上げれば、ちょっと気まずそうな顔をしている。
どうしたの、と聞けば綺麗な指先が恥ずかしそうに目元をかいた。

「あー……いや、ちょっとトイレ」
「じゃあ僕もついてく」
「えっ?」
「だって琢磨と離れたくない」
「由良……」

にこっと嬉しそうに笑った琢磨が僕の頬を撫でようとして、でもその手は途中で止まった。
撫でてほしかったのに、と見上げると、琢磨が困ったような顔で手をうろうろさせている。
……何で?

「何で撫でてくれないの?」
「いや……」
「じゃあキスして?」
「……」

黙って逸らされた視線に、僕の心はずきんと痛んだ。
やっぱりキスはしたくないの?
僕のこと好きって言ったのは嘘?

泣きたくなってきて俯くと、琢磨が慌てたように僕の顔を覗き込んだ。
でもとても目を合わせられなくて、琢磨の視線を避けるようにもっと俯く。

浮かれてたのは僕だけなのかな。

「違う! 違くて、由良のことは本当に好き。大好き。死ぬほど好き」
「じゃあ何で?」
「キスしたら我慢できなくなりそうで……ごめん、由良を不安にさせたかったわけじゃないんだけど」
「え? 何で我慢するの? もう我慢しなくていいじゃない。好き同士なんだからしようよ。抱いて?」

お願い、とねだると、琢磨はうーんと唸って難しい顔をした。

「でもなんかさ、付き合ってすぐしちゃったらやっぱり体目当てって気がしない?」
「別にしないけど」
「あ、そう……?」
「じゃあいつならいいの? 僕琢磨が体目当てじゃないってもう分かってるよ。なのにいつまで待てばいいの? 琢磨のこと好きだからしたいのに、なのに、何で抱いてくれないの……?」
「由良、ごめん。ごめんね、泣かないで」
「べつに泣いてないし……」
「ねえ、本当にごめん。由良を悲しませたかったわけじゃないんだよ。キスしよ。ね?」

でも僕が泣いたからって嫌々キスされたって嬉しくない。

そう言った僕に、琢磨は困ったような顔で笑った。
嫌々なわけないでしょ、俺だってしたいよだってずっと我慢してたんだから、って。

だけど、僕の心はどんどん重く沈んでいく。
琢磨が僕の体だけじゃなくて僕自身をちゃんと好きでいてくれてることは、頭ではもう分かってる。
でも、まだどこか不安なのかも。

今まで体だけ求められるのは本当は寂しくて嫌だったのに、今は逆に体を求めてくれないのがすごく寂しくて嫌だ。
こんなの矛盾してるかもしれない。
でも体を欲しがってもらえないと、僕の存在価値がないような気がして。
何なんだろう、これ。あの人達の呪縛なのかな。

結局泣きじゃくりながらこれ以上ないくらいに俯いた僕を、琢磨の優しい腕がやんわりと包み込んだ。
ぽんぽん、と軽く背中を叩かれて、少しだけ気持ちが落ち着いていく。

お願い、顔上げて、由良。
耳元で囁かれたその言葉に従えば、琢磨は優しく微笑んだ。

「ちょっとついてきてくれる? 見せたいものがあるんだけど」
「何?」
「それは見てのお楽しみ」

何だろう。
首を傾げた僕の手を引いて、琢磨は僕を寮から連れ出した。





月明かりに照らされた暗い音楽室。
なぜか鍵を持っていた琢磨はそっと室内に滑りこんでピアノの前に座って、それから僕の聞いたことのない曲名を歌うように告げた。

「俺が一番好きな曲。由良のために弾く」
「……うん」
「由良への愛を全部伝えられる腕はないけど伝える愛はいっぱいあるから」

そう言って微笑んだ琢磨は、すぐに真剣な表情になって鍵盤に指を乗せた。

綺麗な指が魔法のように滑って、綺麗な音を作り出す。
きらきら光る音の粒が暗い室内に溢れて、僕をそっと包み込む。
まるで琢磨そのものみたいな、優しい音色。

最後の一音が闇に溶けて、床に座り込んでいた僕の頬はその頃にはすっかりまた濡れていた。
ふう、と息をついた琢磨が、優しく微笑んで僕を手招く。
おずおずと近寄れば、膝の上に引っ張り上げられた。

「ちょっとは伝わった?」
「ん……」
「俺は由良がいてくれたらそれだけで幸せだから。抱かれないと価値がないなんて言わないで」
「うん……」

ありがと、琢磨。
ちょっと照れくさくて俯いたまま小さく呟けば、濡れたままの頬にふわりと柔らかいものが触れた。
視線を上げると、同じように照れたような琢磨の笑顔。
すっかり嬉しくなって、琢磨に抱きついて頬に触れるだけのキスを返す。

ほっぺにキス。
じゃれ合うような可愛らしい触れ合いだけで、今はこんなに幸せ。

好きだからイチャイチャしたい。
イチャイチャしたら、もっとぴったりくっつきたい。
琢磨がセックスは愛情を伝える行為って言ったのはこういうことなのかな。

「ね、琢磨」
「ん?」
「好きだよ」
「ん、俺も好き」

目が合って、目が合うなんて今まで何回もあったのにそれだけでドキドキする。
琢磨の手が、僕の頬にそっと触れる。
綺麗な音に乗せて僕に愛を伝えてくれた、優しい手。

ここにその愛が詰まってるのかな、と琢磨の胸に手を当ててみる。
心臓の鼓動が、規則正しい少し早めのリズムでとくんとくんと響く。
僕の胸にも反対の手を当ててみる。
琢磨と同じ、少し早めの鼓動。
ここにも、あっという間に大きくなっていってる最中の琢磨への愛が詰まってるのかな。

由良、と僕の名前を囁くように呼んで、琢磨はゆっくり僕の頬を撫でた。
指先が唇の端を掠めて手のひらは頬から首筋へ、それから襟足の髪を撫でて首の後ろ。
見つめ合ったままの琢磨の目が、幸せそうに細められた。
少しだけ力のこめられたその手に、ゆっくり顔を引き寄せられる。
どうしよう、心臓が破れるかもしれない。

そして数秒後。
僕のファーストキスは、本当に幸せな瞬間だった。

prev / next

[ back ]



×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -