▼ 09

父は指揮者、母はピアニスト、その上まで代々遡ってもどこまでも音楽家の続く、わりと有名な音楽一家。
それが俺の生まれた家だった。

彼らの血を引いて言葉を覚えるより先にピアノを弾き始めた兄と、それに比べて全く音楽の才能を発揮しなかった俺。
兄の優秀さからか弟も、と周囲にかけられた期待も大きかった分、見捨てられるのも早かった。
小学校を卒業する前にはすっかり見限られて、中学からは全寮制のこの学校に押し込まれた。

それでも最初の1年は諦め悪くピアノにしがみついて音楽室を借りて1人で練習し、夏休みに帰省した時も家に先生を呼んでもらったりもしたけど、全然駄目だった。
スパルタだったシオリ先生は夏休み半ばに匙を投げ、お兄ちゃんは上手いのにねとため息をついた後、でも顔はあんたの方が可愛いわね、と言って俺を押し倒した。

結局それで、俺のピアノ人生は終了した。





「そんな感じ。別に面白くなかったでしょ」

まだ日が昇るか昇らないかという明け方。
うっすら明るくなってきた空はどんよりと曇っていた。
頬の痛みで目が覚めたら由良が泣いていて、ホットミルクを作ってからせがまれるままに昔の話をした。

はしょりにはしょった昔話。
もう5年も前のことだ。
未だに傷つき続けているわけじゃないし、自分の才能のなさももう吹っ切れている。
まさか夢で見てうなされるとは思ってもいなかったけど。

マグカップを手のひらで包み込むように目を伏せながら、由良は俺のつまらない話をじっと黙って聞いていた。
それから少しの沈黙の後、ぽつりと呟く。

「面白いとかつまんないとか、そういう話じゃないでしょ」
「そう?」
「そうだよ。琢磨の話でしょ。僕は全部聞きたいよ」
「……何で?」
「……何でだろう」

首を傾げた俺よりもさらに不思議そうな顔をして、由良が目を瞬かせる。
けれど答は出なかったのか、首を振って話を戻した。

「それで毎晩うなされてたの?」
「え、毎晩?」
「毎晩っていうか毎明け方? いつも泣いてたよ。寝言言ってたのは今日が初めてだけど」
「うわ、ごめん。もしかして毎日起こしてた?」
「だからごめんとかじゃなくて」

由良が怒ったような顔で俺を睨む。

「琢磨が謝ることじゃないでしょ。僕が勝手に琢磨のとこに潜り込んでたんだし、謝られる筋合いないよ」
「でも起こしちゃってたんでしょ? 迷惑かけて……」
「だから僕が琢磨のこと心配で勝手にしたことだからっ、迷惑だと思うんなら自分の部屋で寝るってば!」
「……え、心配、してくれたの?」

がたんと音を立てて由良が叫んだその言葉尻。
驚いて問い返せば、由良はしまった、というように顔をしかめてのろのろと座り直した。

「べ、別にそんなんじゃないけど」
「……ありがとう。嬉しい」
「そんなんじゃないってば……」

気まずそうな顔をする由良。
その表情を見て、俺の心が一気に浮上する。
いつも意地悪で俺をからかってばっかりだった由良が、まさか俺のことを心配してくれるなんて。

優しいね、と言えば恥ずかしそうに耳を赤くした由良は、だから違うってば、とむくれた。





日が昇りきる前に、由良は眠そうにうつらうつらし始めた。
もう1回寝直す? と聞けばこくんと頷く。
学校をさぼることになるけど、1日くらい別にいいだろう。
ごく普通に俺の隣に潜り込んで来た由良は、眠そうな目のまま、俺を見上げた。

「ねえ、琢磨は僕のどこが好きなの?」
「うーん、どこだろうな」
「何それ。分かんないの? 本当に好きなの?」
「好きだよ」

少し考えて、全部好き、と答えれば、由良は目を丸くしてからひとしきり笑った後、やっぱりね、と小さく呟いた。

「やっぱりって?」
「こっちの話。それより僕琢磨にひどいことばっかしてるのに嫌いになんないの?」
「なれないよ、嫌いになんか」
「ふーん」
「っていうか由良自覚あったんだ。俺にひどいことしてるって」
「……当たり前でしょ」

顔をしかめた由良は、つんと顔を背けて俺の腕の中で寝返りをうった。
背を向けて布団を肩まで引き上げてしまう。
ごめんごめん許して、と笑いながら謝ると、肘でみぞおちを軽く突かれた。
それから、もう寝る、とぶっきらぼうに言った後、小さな小さな、蚊の鳴くような声が続く。

「もうしないよ」
「え、何を?」
「琢磨を傷つけるようなこと……」

それって同情してくれてるんだろうか。
俺はそんなつもりで由良に話をしたわけじゃない。
昔のことは昔のことであって、もう吹っ切れているのに。
だから気にしなくていいよ、と言えば由良がちらっと俺を振り返る。

「何で僕が琢磨に同情しなきゃなんないの」

でも、じゃあ何?と聞けば分かんない、と首を振る。
分かんないって、何それ。
でもまあいいか、と目を閉じると、もう一度寝返りをうった由良が俺の胸元にすり寄ってくる。

眠りに落ちる直前、耳元で由良の声がした。

「ね、好きって言って?」
「好きだよ。由良が好き」
「僕も琢磨のこと、ちょっとだけ好きかも。ほんのちょっとだけ」

由良の言葉は、夢かはたまた俺の願望だったのか。
眠りに引き込まれて返事はできなかったけど、たとえほんのちょっとだけ、と言われても幸せだと思った。





でも、正直これはどうかと思う。

昼頃目を覚ますなり、もう他の男とセックスするのやめた、と自慢気に言い放った由良は、代わりに俺に由良を満足させることを要求してきた。

「……由良」
「だって今まで毎日してたのにいきなりぱったり止めちゃったら僕が欲求不満になっちゃうよ」
「だからって」
「まさか僕に毎日1人寂しく自分でさせる気?」
「そうじゃないけど、いや、でも俺は由良を抱かないって約束しただろ」
「僕はそんなこと望んでない」
「……」

そう言われてみれば確かにそうだ。
それに本当に由良が他の男と寝るのをやめるというなら、俺が由良を抱いたって数多くのセフレの1人になるわけじゃない。
でも、結局はたった1人のセフレになるだけなんじゃないだろうか。

由良が他の男の所に行くのに比べたらたとえセフレだとしてもその方が何百倍もマシだと思う。
それに由良だって、ほんのちょっとだけ俺のことを好きだって言ってくれてるわけだし。

とかなんとか頭を抱えて悩む俺の首に手を回し、由良が目の前で微笑む。
男を誘う妖艶な笑み。
ごくりと唾をのむと、由良は額を俺の額にこつんとくっつけてきた。
少し動けば唇が触れ合ってしまいそうな距離、由良の吐息が俺の唇を掠める。

「琢磨、抱いて」
「……っ!」

理性と欲望の間で板挟みになってすっかりパニックになった俺は、真っ白になった頭で、学校、と呟いた。

「学校行く! 由良も行こう!」
「……は? 何で今?」
「俺達高校生だから! 昼からこんないやらしいことしちゃだめ!」
「はあ?」

がばりと立ち上がって無意味にあたふたする俺。
すっかり毒気の抜けたような顔でそんな俺を見上げた由良は、呆れたように笑って肩を竦めた。

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