▼ 第12話 2月

2月の冷たい風が、遮るもののない西棟屋上で寝転んでいる俺の肌を突き刺している。見上げれば一面今にも泣き出しそうな灰色の空。まるで俺の心を映しているかのようだ。

二次試験に出発する前日、つまり昨日、真剣な顔をした沢口さんは俺に「無事に入試が終わったら永田くんにお話があるんです」と言った。それを死亡フラグと言うのではととっさに考えてしまったが、さすがに不吉すぎるのでもちろん口には出さなかった。その代わりに、何ですかと尋ねると、少し恥ずかしそうな顔をした沢口さんは躊躇いがちに口を開いた。

「実は恋愛に関する相談なんですが」
「……もしかして好きな人がいるんですか」
「ええ、恥ずかしながら。それで、あの」
「……」

その時の俺の気持ちは筆舌に尽くしがたい。が、あえて言葉にするなら隕石でも直撃して地球ごと木っ端微塵に吹っ飛んでくれないだろうか、という感じ。しかしそれだと沢口さんの今までの努力が無駄になってしまうから、俺と、それから沢口さんの好きな奴だけ吹っ飛んでしまえばいいと思う。

自分がどんな顔をしていたかは分からないが、不意に俺を見た沢口さんはものすごく心配そうな表情になった。けれど気遣ってくれる綺麗な声を遮って立ち上がった。全身の血の気が引いているような気がして、震える唇を見られないように背を向けた。

「すいません、その相談には乗れません」

それだけ言うだけで精一杯だった。呼び止める声も無視して部室から逃げ出して、

そして、それきりだ。

俺は最低だ。受験前日にあんな態度を取ってしまって、沢口さんに余計な心労をかけてはいないか心配になる。……いや、きっと大丈夫だろう。俺ごときが沢口さんに影響を与えるなんて万が一にもありえない。沢口さんは優しい人だから、どうしたのかな、くらいは思うかもしれないけど、おそらく一晩寝たら忘れてしまう程度だ。だから大丈夫。
それに沢口さんには好きな人がいるわけで、いよいよ俺が占める場所なんてないのだ。

「……」

……好きな人か。
堪んねえな、と思う。今までそんな話をしたことがなかったから全く気づかなかったけれど、沢口さんに好きな人がいるだなんて。一体誰なんだろうか。この学園の男か、それとも模試やらセンター試験やらで出会いでもあったのか、はたまた俺の全く知らない所で知り合ったどこかの誰かなのか。だが誰にせよ、沢口さんに想われるなんてきっとものすごく幸せなことなのだろう。

ひどく惨めな気持ちで目を伏せると、不意に背後で扉の開く錆びた音が響いた。屋上に出てきたのは俺の記憶が正しければ見覚えのない4人組だったが、俺に向ける視線からしてきっといつもの手合いなのだろうと思う。

喧嘩を買うことを止めて逃げるようになってから、因縁をつけられることが増えていた。大方俺が腑抜けたという噂でも流れているのだろうが、卒業前に生意気な後輩をしめておこうというくだらない考えの3年も少なからずいるのか最近は尚更多い。
正直苛立たないわけでもないが、しかし沢口さんとの約束がある。だが、さて逃げるかと考えたところで逃げ場がないことに気がついた。一つしかない出口を塞ぐように1人が立ちふさがっていて、ここは屋上だからさすがに飛び降りることもできない。
もっとも今の気分的には飛び降りてもいいくらいの気持ちではあるけれども。

屋上に出てきてしまったことを後悔しながらも逃げ道を考えていた俺は、重い腰を上げながら一つ大きなため息をついた。



それから数十分後。俺の頭にあったのは、やっちまったな、という一言だった。
目の前にはコンクリートの床に倒れて今やぴくりとも動かなくなった制服姿の男達。後からわらわらと増えた加勢も含めて、十数人の体が転がっている。

反省はしていなかった。奴らは俺ばかりか沢口さんまでバカにしたのだから。やれ美人だの旨そうだの味見してえだの、そればかりか今のうちにヤっちまうかだのと言われて、はいそうですかと放置できるはずがない。
しかし後悔はあった。相手の人数が人数なせいで俺も無傷とはいかなくて、腹も背中も足もずきずきと痛む。それどころか顔も殴られたし、口内も血の味がする。 鏡を見ないことには分からないがどうにしろ拳も痛んでいるし、この分だと喧嘩をしたことはすぐにバレてしまうだろう。

壁に寄りかかってずるずると座りこむ。
吐く息は白く、冷たい風に乗って流れていった。

怪我が治るまで沢口さんには会えないだろう。けれどもうどうでもいいや、と何もかも投げやりな考えも浮かんだ。どうせもう会えないのだ。会って沢口さんの話を聞くことは、元々とてもできそうにない。

一番近くに倒れていた男の胸ポケットから転がり出ていた煙草とライターを引き寄せ、火をつけた。最後に吸ってから一年以上経っていた煙は、記憶していたよりも大分苦い。けれど今の気分にはぴったりだった。

俺と沢口さんの出会いのきっかけになった禁煙のための薬、あれはおそらく沢口さんの唯一の失敗だった。毎日一粒くれた白い錠剤は全く効果がなくて、しかし効果がないと分かる頃には俺はもう沢口さんに惚れてしまっていたから、失敗だとがっかりさせたくなくて自力で禁煙した。

でも、もう何もかも終わりだ。

相談にも乗れない俺はもう沢口さんの役には立てないし、禁煙するという誓いも喧嘩をしないという約束も破ってしまった。こんなんじゃ、沢口さんの側にいる資格はない。

卒業式まではあと1ヶ月もない。だというのに沢口さんとの最後の時間が泡となって消えていくのを、嫌というほど感じた。

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