▼ 第11話 1月

沢口さんは数少ない受験生を詰め込んだバスに乗って旅立った。見送りに行こうと思ったけど出発はあろうことか授業中で、さぼろうとした俺は付き添いに行くらしい教師に途中で見つかって追い返された。だから仕方なく教室の窓から見下ろしていたら、沢口さんは校舎を見上げて俺を見つけ、小さく手を振ってくれた。
その背中にあった夏と同じリュックには、俺が正月に日帰りで学園の外に買いに行ったお守りが下がっているのが見えて、沢口さんが向けてくれた笑顔と共に俺を幸せな気持ちにさせた。

それが金曜日のこと。

土曜日の朝、沢口さんはいないというのに惰性で部室に向かった俺は、沢口さんが直前まで散らかしていったセンター対策用の問題集やプリント類を片づけていた。片づけるといっても種類と教科別に並べて積み上げるだけだが、その後ふと思いついて問題集を開いてみたことが間違いの始まりだった。

適当に開いたのは化学の問題集で、過去問なのか予想問題なのかは分からないかテスト形式になった問題が何回分かついていた。途中で時間がなくなったのかラスト1回分は手つかずで真っ白だったから、俺は転がっていたペンを手にその問題と向かい合った。

予想の範囲内ではあったけど、一問目からさっぱり分からなかった。授業ですでに習った範囲なのかそれとも今から習う範囲なのかすら分からない。それでも分からないなりに解いてみたそれは、俺をおそろしく絶望させた。

沢口さんの綺麗な字で書かれた前半の点数は、軒並み90点台に一つはなんと100点がついている。対して俺の点数は21点。しかもその21点も、問題が選択式だから勘で拾い集めた点数ばかりだ。

頭を抱えた俺は、じゃあ文系はどうだと一度積んだ問題集をひっくり返した。国語と英語は分厚すぎたから開く前から避けて、そうすると残るは倫理だった。倫理なら確か1年の時に一応習っていたはずだと手をつけてみると、ところが今度は12点。そういえば授業なんかほとんど聞いていなかった、と忌々しく思い出す。

俺は沢口さんを追いかけることはできない。そんなことはとっくに分かっていたはずだったのに、実際に俺の目の前にある点数がそれを改めて俺に突きつけてくる。卒業式は3月の初めだから、残り時間はあと1カ月半だ。その先はもう、沢口さんには会えない。

先月あんなに不安がっていた沢口さんは、直前模試だとかなんとかいう試験で見事にA判定を叩き出した。たまたまヤマがあたったんです、と苦笑していたけど、沢口さんは綺麗で優しいだけでなくやっぱり頭も良くて、俺なんかには手の届かない人なのだと思う。

狭いはずの部室は沢口さんがいないというだけでひどく広く感じて、不意に怖くなった。沢口さんがいなくなれば俺がここに来る理由もなくなるから、科学部もついに廃部を迎える。
でも沢口さんは寂しがるだろうか。存続させてほしいと言われれば俺は来年も変わらずここに通うんだろうが、1年間も1人でここで過ごすというのはものすごく怖いことのような気がする。

だから日曜日は部室に行かずに1日自分の部屋にこもっていた。



日曜日の夜遅くに帰ってきたらしい沢口さんは、翌日の月曜日、昼休みが始まった直後になんと俺の教室にすっ飛んできた。今までこんなことはなかったので教室の隅の自分の席から立ち上がりかけた格好のままぽかんとしていると、突然の沢口さんの出現に同じように呆気にとられている同じクラスの奴らをかきわけながら駆け寄ってくる。
俺のクラスに沢口さん。現実と非現実が混ざりあったような、不思議すぎる光景だ。

「永田くん! 見てください!」
「は、はい?」
「自己最高得点です! 永田くんに一番に見てもらいたくて!」
「え、すごいじゃないですか。おめ、……うわっ!」

目を輝かせて俺に確かにこれは初めてだろうと思うようないい点数の並んだ紙を押し付けた沢口さんは、テンションが上がっているのかそのまま俺に飛びついてきた。首筋にきつく回された腕にあたふたしていると、次の瞬間耳元で小さくしゃくり上げるような声が聞こえてくる。

「え、沢、……?」
「良かっ…、僕、僕失敗したんじゃないかって昨夜眠れなくて、……うぅ……」
「え!? ちょ、泣っ、泣かないで沢口さん……!」
「だ、だって嬉しくて」

慌てて沢口さんの顔を上げさせて覗き込んだ俺は、しかしすぐに反射的に引き寄せて元通りに俺の胸元に押し付けなおした。初めて見た沢口さんの泣き顔に慌てふためきながらも、誰にも見せたくないだなんて醜い独占欲がわいてしまったのだ。

ちらちらと成り行きを窺っていた視線を睨みつけて一蹴してから、沢口さんの手を引いて教室を飛び出す。すぐ隣のトイレのあいていた個室に引っ張り込んで鍵をかけ、ようやく一息つくと、その頃には沢口さんは本格的に泣き出してしまっていた。

大きな目からきらきら輝く水滴が後から後から溢れ出してくる。ハンカチを持っていないことをこれほど後悔したことはなかった。けれど持っていないものは仕方ない。ブレザーの袖から引っぱり出したカッターシャツの袖口が汚れていないことをしつこいくらいに確認してから濡れた目元をそっと拭うと、沢口さんがされるがままに目を閉じる。
俺のブレザーの腰の辺りをきゅっと握る手の感触も相まって湧き上がってくる妙な気持ちを、綺麗な沢口さんと決して綺麗ではないトイレというミスマッチな光景に意識をやることで無理矢理抑え込んだ。

しばらくしてようやく泣き止んだ沢口さんは、まだ少しぐすぐす言いながら、はあ、と息をついた。それから恥ずかしそうに目をそらし、ごめんなさい、と呟く。

「みっともないところを見せてしまいました。まだ合格したわけでもないのに」
「いえ、俺は全然」
「でも迷惑じゃありませんでしたか、教室まで押しかけてしまって」
「……いや、嬉しかったです。俺のところに一番に来てくれたんですよね」
「はい」
「嬉しいです」

最初に俺を思い出してくれたことも、俺の前で泣いてくれたことも、それから前に俺に弱音を吐いてくれたことも、全部嬉しい。事実かどうかは別としても、沢口さんが俺に心を開いてくれているようで。
じんわりと胸が熱くなってきて今度は俺が泣きそうになっていると、沢口さんはそっと額を俺の胸元に押し当てた。おめでとうございます、と囁くと、沢口さんがかすかに笑う。

幸せだと思った。受験が成功するということは沢口さんが遠くに行ってしまうということだけど、他ならぬ沢口さんに不安も喜びも分けてもらえる。
俺は、幸せだ。

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