▼ 第6話 8月-2

沢口さんの朝は遅い。昼前にぼんやりした顔で2階から降りてきて、俺が作った朝食兼昼食を眠そうな顔で食べる。食べながらだんだん目が覚めてくるのか途中でおいしいです、と笑ってくれて、食べ終わったら皿を洗ってくれる。

それから2日に1回は俺が回しておいた洗濯物を並んで干し、それがない日は適当に掃除をする。その後部室の荷物を運びこんだ俺の部屋で普段学校でしていたように過ごし、たまに散歩がてらスーパーに買い物に行ったり駅前の本屋まで足を伸ばしたりする。

夕食はやっぱり並んで作り、食べ終わったら皿を洗って交代で風呂に入る。ちなみに沢口さんの寝まきはやけに可愛らしいふわふわのパジャマで、最初に見た時は一瞬理性が飛びかけた。必死で持ち直したけど、これは俺が墓まで持っていく秘密のうちの1つだ。

夜はまた俺の部屋でしばらく過ごして、時間を見計らって俺は昔兄貴が使っていた部屋に引き上げる。それからしばらく俺の部屋でごそごそしている音が聞こえるから、沢口さんの夜はたぶん遅い。

沢口さんとの生活は平和で穏やかで、ものすごく幸せだ。幸せすぎて時々己の理性や欲望と闘わなければならないが、それも含めて幸せだ。自分との闘いには既に慣れているし、第一俺は沢口さんを抱きたいわけではない。沢口さんが痛がるようなことをしたくはないし、自分の薄汚い欲望で綺麗な沢口さんを汚したくもない。

だが、だからと言って沢口さんに抱かれたいかと言うとそれも少し違う。
もちろんそう言われたら断らないが、沢口さんは俺にとってそういう欲望の対象にしてはいけないような位置にいる人なのだ。
そんな人相手に自分の理性や欲望との闘いを繰り広げるのは矛盾しているけど、思春期の男としてはたまには惑わされることもあるのは仕方がないことなんだと思う。多分。

とにかくそんな平和で穏やかでものすごく幸せな日々が半分ほど過ぎた日、沢口さんは珍しく朝早くに1階に降りてきた。しかも眠そうな様子もなく、顔を輝かせて駆け降りてくる。

「永田くん! できました!」
「おっ……おめでとうございます……?」

どもってしまったのは、歯磨きをしていた俺に沢口さんが背後から勢いよく飛びついてきたからだ。ついさっき起きたばかりで頭はまだ働き出していないし、かろうじて顔は洗ったけれど髭も剃っていないし髪もぼさぼさ、服も寝巻き用のくたびれたTシャツと短パンのままだ。だから驚いて振り返ると、沢口さんも一瞬驚いたように目を丸くして俺を見つめた。それから少し笑って、まだ下ろしていたままだった俺の前髪をそっと撫でる。

「寝起きですか? ちゃんとしてない永田くんを見るの初めてです」
「え、あ……すいません」
「いいんですよ。寝起きの永田くんも可愛いです」
「……」

慌てて口を濯いで髪を撫でつけていると、沢口さんはまた趣味を疑うようなことを言った。でも実際に沢口さんを疑っているわけではないので、そうか、と思い直すことにはしたけれど、本音を言えば沢口さんの方がかわ……と思う。

それはそれとして、相変わらず綺麗な顔に俺と違って全く寝起きっぽさがないことを不思議に思っていたら、どうやら沢口さんは徹夜したようだった。なるほど納得、と内心頷いていると腕を掴まれ、俺の部屋まで引っ張られる。
弾んだ様子の沢口さんは俺をベッドに座らせると、小さなカプセル剤を差し出してきた。透明なカプセルの中に薄い桃色の液体。見覚えのあるそれに思わず唾を飲むと、沢口さんが隣に腰掛ける。

「前にローションに使ったのをもう一度改良してみたんです。試してみていただけますか?」
「……はい、もちろん」

さすがに3度目ともなると一瞬躊躇わずにはいられなかった。しかし決意を固めて、渡されたペットボトルの水で流しこむ。喉を通るごつごつした感触と、ぬるい液体。ごくんと飲み込むと、最初に飲んだ時よりもずっと早く頭がくらっとして、ベッドに背中から倒れこんだ。

「あ、れ……?」
「即効性にしてみたんです。上手くいったみたいですね」
「そ、ですね……」

息が上がる。
顔が火照る。
全身が熱い。

自分の鼓動や血の巡りをありありと感じてしまって少しだけ不安になりながら見上げると、沢口さんのいつもの視線が俺を見下ろしていた。
冷静に観察するような、それでいて少しの期待や心配を含んだような目。

ローションも数えれば3回目だというのに、耐性とか出来ないんだろうか。ぼんやりしてきた頭でそんなことを考えながら、震えそうになる腕で体を支えて起き上がった。支えるようにそっと背中に添えられた沢口さんの手の感触に、頭の中で警告が鳴り響く。はあ、と吐き出した息が熱くて、ともすれば伸ばしそうになる右手を左手で抑えつけた。

「大丈夫ですか?」
「大丈夫、です。けど」
「けど?」
「隣で抜いてきてもいいですか……。副作用だけ見ればいいんですよね?」
「僕にさせてもらえないんですか?」

再び視線が交ざり合った。さっきとは一転、少し熱を孕んだような沢口さんの瞳はうっすら潤んでいる。どくんと胸が高鳴って、警告音が大きくなる。
これは本当に薬の効果なのか、それとも。

「いや、まずい、かも。一緒にいたら俺」

……襲っちゃいそうです。

蚊の鳴くような掠れた俺の声に、沢口さんは目を真ん丸に見開いた。

今まで闘ってきた自分の中の矛盾だとか、抑えこんできた欲望だとか、そういうもの全てが今にも剥がれ落ちそうな余裕や理性を破って顔を出しかけている。唇を噛んで沢口さんから視線を無理矢理引き剥がすと、けれど不意にとんと肩を押された。それはごく軽い力だったのに、すっかり力の入らなくなっていた俺の体は簡単に倒れてシーツに沈みこむ。
慌てて見上げれば、俺の体に乗り上げてきた沢口さんが綺麗に微笑んだ。

「僕は構いませんよ」
「……は?」

か、構わないの?
呆気に取られて沢口さんを凝視したのも一瞬。俺の右手は、まるで自分のものではないように勝手に動いた。それをどこか遠くから客観的に見ているような、薄い膜越しのようにぼんやりした不思議な視界の中で、俺の右手が沢口さんの後頭部を掴む。初めて触れた髪のさらさらした手触りを堪能する余裕もない。

至近距離で合わさる視線に、凶暴なほどに体内で荒れ狂う欲情と、熱。
乱暴なほどの力で引き寄せて噛みつくように口付けかけ、

……そして暗転。





次に目が覚めると俺はベッドに寝かされたままで、脇では床に座り込んだ沢口さんがベッドに頭を預けてうつ伏せていた。規則的に動く肩に、どうやら眠っているらしいと分かる。

ぼんやりした頭で何でこんな所で寝てるんだっけ、と考えた俺は、次の瞬間思い出した光景に青ざめて飛び起きた。

「な……! うわ、ありえねえ! うわ!」
「んー永田くん……?」
「さ、沢口さん! すすすすいません!」
「何が…… あ、具合はいかがですか?」
「ぐ、具合は別に普通ですけど」

俺が動いた拍子に目を覚ましてしまったらしい沢口さんが、寝ぼけ眼で起き上がる。混乱したままそれを見つめた俺は、次の瞬間ベッドの上に素早く正座してがばりと頭を下げた。

「すいません! 俺、俺沢口さんに何か……」
「だ、駄目です。顔上げてください」
「そんな、俺なんてお詫びしたらいいか! そうだ切腹、切腹します!」
「えっ何言ってるんですか!? それに僕がいいって言ったんですよ」
「で、でも」
「あと、何もされてませんよ。永田くんすぐ気を失っちゃって」
「え……?」
「効果を強めたのがいけなかったんでしょうか。体調はおかしくないですか?」
「あ、はい……、え……?」

何も、してない?

困惑したまま顔を上げれば、熱を測るときのように俺の額に手をあてた沢口さんは、優しい笑顔を浮かべていた。そのまま背中をゆっくり押されて上体を起こされる。

「……本当ですか?」
「え? あ、何もされてないってことですか? 本当ですよ」
「そうですか……」
「それに永田くんのせいじゃないですよ。薬のせいです」
「……」

多分薬のせいだけじゃないですとはさすがに言えなかった。
安堵とまだ少し残る混乱にため息をついた俺の内心に気付かないまま沢口さんは、僕の方こそごめんなさい、と眉を下げて笑った。

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