▼ 15

授業中の呼び出しにも関わらず、羊くんは10分と経たずに屋上に現れた。
肩で息をしているところを見るに、どうやら走ってきてくれたらしい。
僕と狼を見比べ、それからどこかほっとしたようにコンクリートの床に腰をおろす。

「どうしたんですか急に」

問いかけに、けれど一体どう答えていいか分からなかった。
黙っていると、僕を一瞬ちらりと見て狼が口を開く。
狼の説明は言葉少なでそんな簡潔な説明で分かるのだろうかと思ったけれど、さすがにもう慣れているのだろうか、どうやら羊くんには十分だったらしい。
なるほど、と一つ頷き、そして重ねた。

「で、なんでおれが呼ばれたんですか」
「お前がいたらもうちょっと冷静に話せるんじゃねェかと」
「ああ、そういうことでしたか」

納得したようにもう一つ頷き、そしてこほんと小さな咳ばらいをした。

「あの、じゃあ僭越ながらおれが仕切りますけど」

羊くんの視線は、まず僕に寄こされた。

「烏さんは今後どうしたいんですか?」

考えるまでもなかったから、すんなりと答が出た。

「狼に帰ってきてほしい。それ以外のことは狼の好きなようにしていい」
「それ以外って?」
「他の人のところに行くなって言うならそうするし、僕に何かしたいなら好きなようにしていいし、他の人としたいならそれはそれで」
「……なるほど。じゃあ狼さんは?」
「……」

反対に、狼の口は重い。

「狼さん?」
「言えねェ」
「え?」

目を丸くした羊くんが、思わずといったように僕を見る。
それから狼に向き直り、言いにくそうに声をひそめた。

「えーと、それはもしかして口に出すのもはばかられるようなことをしたいという」
「ちげぇよ。そうじゃなくて」

小さなため息。
それから狼は、諦めたように口を開いた。

「優しくしたい。俺は、普通に。でもできねェだろ、お前がいなきゃキスさえまともにできない。だからどうしようもねえけど、他の男の所に行くのももう見たくないし、かと言って何もできないのに烏を縛りつけておきたくもなくて、俺のために色々我慢させたくもねえけど、でも本当は」
「本当は?」
「……側においときてえよ」

そのしんみりした声音は、僕の心にじんわりと響いた。
一瞬目をぱちくりさせた羊くんが、小さく笑う。

「一致してるじゃないですか。2人とも一緒にいたいんだからそうしたらいいと思いますけど」
「だから、それが出来てねェからこうなってんだろうが。2人でいたら無理矢理にでもヤっちまいたくなるし、他で発散したらこいつにも他の奴に行くななんて言えねえし」

思わず口をはさむ。

「行くなって言われたら行かないってば」
「でも一生誰ともヤんねえなんて無理だろ」
「無理じゃないよ」
「いや無理だろ普通に。つうかそれを求めるのは酷だろ、さすがに」
「じゃあ狼がしてよ」
「それができたら苦労しねえっつうの」

これじゃ堂々巡りだ。困って思わず羊くんをみる。
小さく首をかしげ、羊くんは狼に問いかけた。

「試したことあるんですか?」
「お前も見てんだろ、この前」
「でもあの時は機嫌悪かったじゃないですか。そうじゃなくて普通の時に」
「昔な。でも、つうか俺のセックスはお前よく知ってんじゃねえかよ」
「いやまあそれはそうですけど、あれ、でもこの前キスはしてましたよね」
「あ? あーあれはお前がいたから」

それを聞いた羊くんは、何か思いついたように「あ」と口を開け、「じゃあ」と続けた。

「おれを挟めばセックスもできるんじゃないですか」
「……あ?」
「そうですよ。烏さんにできないことはおれにしてくれれば、そうしたら烏さんには優しくできるんじゃないですか?」
「……」

思わず視線を上げると、狼と目が合った。
困惑した顔。多分僕も、同じような顔をしていた。

「それは、」

思わず口をはさんで、つい口ごもった。
だってそれは、どうなんだろう。検討の余地があるのだろうか。

「それは……でもさすがに」
「何でですか?」
「だって、そんな羊くんを利用するみたいな」

動揺した頭でも、それが人道的に良くない行為だということは分かった。
つまりそれは、狼と僕のために羊くんが犠牲になるということだ。
狼と僕がセックスをするために、羊くんを道具のように使い、踏み台にする。
さすがにありえない、そう思うのに羊くんは笑顔のまま言った。

「してください」
「え?」
「おれは確かに元々は狼さんが好きだったんですけど、でももう烏さんのことも好きなんです」
「でも……」
「言いましたよね、烏さんのことも好きだから、烏さんにも幸せになってもらいたいって。そのためには多分おれは邪魔なんだろうけど、でももしおれにできることがあるならしたいって。覚えてます?」
「覚えてるよ」

狼が出て行ってしまった日のことを思い出す。
それから、先輩が聞いたという言葉のことも。

「烏さんのためなら何でもします。だからおれを利用して幸せになれるんなら、思う存分おれを使ってください」
「羊くん……」

胸がつまって、言葉にもつまった。
困ったまま狼をみると、狼も困ったような顔のまま、僕を見返してきた。
言葉はなくとも、僕がどう思っているのか問いかけられているのが分かった。
どうしたらいいのだろう。決定権は僕にあるのだろうか。
何か言わないと、と唇をしめらせ、けれど何も言葉は出なかった。
視線をふせる。

「羊」

少しかたい声で、狼が立ち上がる。

「ちょっと2人で話せるか」
「はい」

思わず見上げると、立ち上がった羊くんは優しい顔で僕を見下ろした。

「大丈夫だから。ちょっと待っててくださいね」
「うん……」

取り残される心細さが少しやわらいだ気がした。
2人の背中が給水塔を回って見えなくなったのを見届けてから、また煙草の箱を取り出した。
火をつける手は、少し震えていた。
舌先に苦い味。なんとなく先輩の顔を思い出す。
僕が他の男と幸せにするのを応援しようとは思えない、先輩はそう言って、普通そうでしょうと僕も答えた。
羊くんは一体どういう気持ちなんだろう。
狼と羊くんが話している声は聞こえてはこない。
1本、2本。
煙草を灰にしながらぼんやりしていたところで、ようやく2人が戻ってきた。

「烏」

僕の前にしゃがんだ狼の目にはもう迷いはなかった。

「羊に賭けてみねえか」

すっかり心を決めてしまったような顔で、僕をまっすぐ見ていた。
狼の一歩後ろで羊くんも頷く。
迷っているのはもう僕だけだった。
差し出された狼の手を取ってもいいんだろうか。
羊くんに甘えてしまってもいいんだろうか。

一瞬目をつぶる。
そして目を開けた僕は、目の前の手に自分の手をそっと重ねた。


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